沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

英国の食事と物価高

2023-09-30 | 欧州
旅行での楽しみは、見知らぬ土地の歴史文化と食文化。
ホテルのビュッフェ。たくさんあったが、選んだのがコレ。
 
コーヒーは、人気なのか、働き過ぎで、壊れた。
カフェラテの仕上げのミルクを、機械がブファッ!て当たりにまき散らすやつ。
気配を察して、避けたから良かったが、床にミルクとコーヒーが。私のせいじゃないよん。

夕食は、創業1877年の英国伝統料理をリーズナブル価格で提供するKennedysへ。
ギネスビール。ギネス記録を生み出したアイルランドのビール醸造所である。
クリーミーな泡はが落ち着くまで、待たなければいけない。風変わりなジョッキ。

フィッシュ・アンド・チップスである。トリップ・アドバイザーの口コミでは評判が良い…。
デザートが出てきた。チーズケーキにメレンゲ。こういうのを食後に食べる文化なのだと思った。

印象は、野菜が少ないよね。
 
英国の消費者物価指数を見たら、3年間で、21%も上昇していた。
前年比で、2021年9月3.2%、2022年9月9.9%、2023年9月6.7%、それぞれ上昇(下図)。
 2020年9月を1とすると、1*1.032*1.099*1.067=1.21
 
直近は1年間で6.7%上昇だが、食料品や飲料は平均の倍以上の13.6%上昇(NHK)
お店としても、価格に転嫁するか、出来ない場合は、内容を変えざるを得ない。

イングランド銀行はインフレを押さえ込むために14回連続で利上げを実施(NHK9/20)。
賃上げ不十分だと、公的機関の医者は退職し、診療待ちの状況に(NHK)、公共交通の労働者は平日ストライキを実施。
 
円・ポンドの為替レートは、2023年9月が182円。2020年9月が135円
2020年9月を1とすると、182/135=1.35。3年間で1.35倍
 
3年間の消費者物価上昇と為替差のダブルパンチ
1.21倍*1.35倍=1.63倍 旅行者には痛い。留学をあきらめる人も。
 
飲料水のエビアン500ミリリットル1本が、1.25ポンドで、228円だった
228円を1.63で除すると、1本140円に
3年前の価格なら、妥当だと思う。
現地のガイドさんは「コロナとロシアが始めた戦争で、原油や輸送、食料価格が上がった。」
その理由なら、日本も変わらないはず。
政府は、英国の様にならぬよう、消費者物価上昇を抑えこまなければならないが。

ロンドンの景観規制と三菱地所(セントポール大聖堂)

2023-09-28 | 欧州
「ロンドン中心部、シティ・オブ・ロンドン(特別自治区:シティと呼ばれる)は、中世の時代から世界金融の中心地。ロンドン証券取引所の建物を、三菱地所がやってくれた。日本人として嬉しい。」と現地に住むガイドさん。
 
思い出した。都市計画で重要なセントポール大聖堂に行かなくては、と思った。
 
1 セントポール大聖堂の景観を守るための規制
1710年に再建後、1962年まで、英国国教会のセントポール大聖堂(高さ111m)は、シティで最も高い建物で、シンボルだった。
ロンドン建築法は、セントポール大聖堂が見えるように、新たな建物の高さは10階建て以下に規制した。
しかし、一律の高さ規制は都市の発展を妨げるため、1938年、著名な場所から大聖堂の景観を守る規制に切替えられた。
 
その1)大聖堂ドームが見える高さに規制
テムズ川河畔などからドームが見えるよう、規制区域内の格子点(赤点)毎に限界高を設定。ミレニアムブリッジ近くでは27mが上限。
その2)眺望回廊(ビューイング・コリドー)など
シティ外の著名な眺望点(①~⑧)から、大聖堂が見えるよう、回廊状に制限区域を設定。
制限区域内での建築計画申請が、景観に悪影響を与えないか、シティは周辺自治体と調整。
図の1~5の建物は、調整。
ネットで検索すると、こんな感じ。
高層ビル群や三角錐のザ・シャードは、コリドーから外れた場所に建設されていた。
日本は、借景など、眺望景観を大事にする文化はあるが、規制することが難しく、都市計画や景観計画には生かされていないようだ。
 
2 三菱地所の再開発計画(パタノスター・スクエア・プロジェクト)
セントポール大聖堂に隣接した北側エリア(英国国教会の所有地)は、1960年代に建てられたビルが老朽化し、再開発が必要だったが、複雑な権利関係と大聖堂の隣というセンシティブな場所のため、長らく手つかずだった。
英国と米国の大手デベロッパーが共同事業で計画を進めたが、頓挫したため、その持分を買取り、三菱地所が単独で再開発事業に取り組むこととなった。ゴールドマンサックス、ロンドン証券取引所など、地上8階建ての建物

1990年に事業に参画し、マスタープランナーの任命、開発プランの見直し、ビル毎に設計者任命、変更案に基づく開発許可申請、開発許可を得て解体工事、インフラ・ビル工事着手、2003年ビル竣工、引渡
初進出のロンドンで米英企業が断念した難しい事業を見事にやってのけたことが、現地の日本人の誇りとなったのだと思う。
西側から見たところ。

再開発事業で作られたパタノスター・スクエア(広場)とロンドン証券取引所。
反対側から見たところ。写真はグーグル。
パタノスタースクエアは、隣にセントポール大聖堂があるため、高さ8階建ての中層ビル。
その後、成功を受け、2023年には英国では7件目の51階建てのオフィスビルをシティに完成。
また、英国子会社は欧州事業の拠点となっている。

ロンドン事情

2023-09-26 | 欧州
2階建てバス
ロンドンと言えば、2階建てバス。自由に乗り降りしたいが、意外と簡単だった。
料金の支払はどうするか、バス路線が複雑で乗りたいバスがいつ来るかわからない。
こんな観光客の難題を、簡単に解決できたので、ご報告。
 
【必要なもの1:クレジットカード(非接触機能付)】
VISA のタッチ決済、マスターカードのコンタクトレス決済のマーク(波形)が付いたもの。
乗車時に、黄色い装置に軽く触れるだけでOK。一律1.75ポンド
現金は使えない。スマホのアプリに同じ機能があれば使える。
Suicaの外国版だね。
別の路線に乗り換える際は、乗車時に再度同じでよい。1時間以内なら料金は同じ。
旅行ガイドブックには書いてなく、添乗員さんが教えてくれた最新情報。
 
【必要なもの2:グーグルマップ
中心部では、同じバス停に、様々な系統が来る。道路混雑で、時刻表通りには来ない。
グーグルマップには、目的地までのバス路線、乗換駅、所要時間が表示される。刻々と最新情報に更新されていく。
観光客は、アプリを見て、路線番号のバスが来たら手を挙げて、乗り込んでいく。
2階席の最前列。眺めがよく市内見物できる。景色が見えない地下鉄よりお勧め。
 
横断歩道のわたり方
日本と同じ左側通行(LOOK RIGHT→)だが、狭い道路では信号無視が多い。
押しボタンを押してWAITしてた紳士も、待ちきれずにわたり始めた。

やっと、青信号になった。

青信号はわずか5秒で消えた。早くない? 赤点灯までさらに5秒。10秒以内に渡る
ロンドンの歩行者用信号【70秒待って5秒】
自転車に注意
自転車は車両なので、歩道ではなく、車道を走る。セグウエイも同じ。
しかし、中央に出てくるとは、危なくない?
運転手も、ひやひやだね。
動画で確認したら、左折専用レーンを避けて、中央に出てきたらしい。
 
物価
朝食9.49ポンド(1700円)の看板メニュー。
10ポンド以下が売りで、他店でも見かける。物価が高いな。
セインズベリーズで購入したイタリアのバゲットサンドは、4.95ポンド(約900円)。
M&S(マークス&スペンサー)のサンドウイッチは、5ポンド(900円)

エビアン500mlが、1.25ポンド(225円)。
 
コンビニやスーパーの決済
レジの数は、コンタクトレスが多く、次に現金支払つき。有人は1。
現金はホテルのチップ用に数ポンドでよく、コンタクトレスのクレジットカードで十分。
羽田で両替した20ポンド紙幣を崩すため、コンビニでエビアンを1本購入したところ、おつりの紙幣が出なかった。繰り返すと、今度は5ポンド紙幣だけ出てきた。
釣り銭切れ。一人で忙しく働いていた店員が、やってきて説明して紙幣をくれた。
 
路上のATM
不思議な光景だった。密室の方が怖いと思うのだろうか。
右側に停車
左側通行なのに、右側に駐車。右ハンドル車はこの方が安全、とは思うが。
 
横断歩道の表示
点線とLOOK RIGHT→ シンプルで美しいね。
 
国際列車ユーロスターの待合所
出発の20分前にならないと、発車番線が表示されない。

表示後に、急いで移動し、乗車車両のトランク置場に積み込む。時間との闘い。

出入国審査とつながっている。エスカレータはホームへ。機能的でおしゃれ。

ロンドン・アイ

2023-09-23 | 欧州
テムズ川沿いの道路に自転車道
渋滞緩和のため、2003年からロンドン中心部に入る際は渋滞税を課す一方で、車線を減らして自転車道を整備
ジョンソン元首相が、ロンドン市長時代に取り組んだ。

ビッグ・ベンBig Ben(時計塔)を、左折してテムズ川を渡る。
右から、ビッグ・ベン、国会議事堂。ビクトリアタワー。橋には自転車レーンも。

行く先は、ロンドン・アイ London Eye
人通りがめちゃ多いが、みんな観覧車目当の気がして、不安になる。

ロンドン・アイは、ミレニアム記念で、1999年12月開業した高さ135m(欧州一)の観覧車
料金は、オンラインでは33ポンド(約6200円)だが、電子チケットが不安で当日券売り場に行くと45ポンド(約8500円)
がーん。購入後に明細をみると37.5ポンドに20%VAT(付加価値税)がついていた。オンライン価格にVATが付くと39.6ポンド(約7500円)ファストトラックでは無く、税金と早売りの差だと判明した。

ゴンドラは15人乗り。乗車時間は約30分。中を自由に移動できる。
東側の風景
右の三角錐は、2012年完成の高さ310mの高層ビル、ザ・シャードThe Shard

南側の風景
中央の大きな駅は、2007年まで国際列車ユーロスターの発着駅だった、ウオータールー(ワーテルローの英語読み)駅
1815年ベルギーの「ワーテルローの戦い」でのナポレオン勝利記念に、1838年の駅開業時に駅名を付けたとある。イングランド侵略を図ったナポレオン憎しだね。
北側の風景
中央の大きな緑は、セント・ジェームズ・パーク。左奥の森に中にバッキンガム宮殿
英国出張の1995年3月20日、公園を歩いていると「日本人か」とパークポリスが話しかけてきた。
「日本も大変だな!」と言われ、事件の大きさを知った。サリン事件の日だった
旅先で詳細はわからなかったが、最寄り駅は霞ヶ関だったので、職場は大変な騒ぎだった。
さっき歩いた橋と国会議事堂(元ウェストミンスター宮殿)が見える。
右端がビッグ・ベン(時計塔)。後ろにウェストミンスター寺院。左端がビクトリア・タワー

西側の風景
どんどん降りていく。きっと夕陽がきれいなんだろうと思う。

テムズ川の遊覧船が、何隻も走行している。

ゴンドラを降り、テムズ川沿いを、東に歩く。
平日だけど、賑やかなイベント。

ワッフルやフルーツが、7~8ポンド(1300~1400円)ロンドンは物価が高いな。
想定外の出費だったので、持参したカロリーメイト(チョコ味)でバランスを取るのだ。

テート・モダン Tate Modern
注目を集めてる常設展示のない現代美術館草間彌生展を開催中。草間さん、世界的だね。

ミレニアム・ブリッジ Millennium Bridge
2000年6月に完成。セント・ポール大聖堂に向かう歩道橋を渡る。
過去(セントポール大聖堂)と現代(テートモダン)を結ぶ、ミレニアム記念事業。

タワーブリッジ Tower Bridge
1894年に完成したゴシック様式の跳ね橋が、遠くに見える。

セント・ポール大聖堂 St Paul's Cathedral
英国国教会の主教聖堂で、聖パウロを記念するもの。607年に創建、何度も被災し1710年に再建。
大聖堂は、1981年、チャールズ皇太子とダイアナ妃の結婚式が行われた教会。
エリザベス女王の結婚式は、ウェストミンスター寺院だった。

大聖堂にまっすぐ向かう。高さ110mのドームは、イタリア・ルネサンス様式。
反対側から、大聖堂を見たところ。2本一組の円柱が特徴。

セントポール大聖堂を目指した理由は、次回に。

ナショナル・ギャラリー(英国国立美術館)

2023-09-21 | 欧州

ここからは、ツアーの自由行動。ロンドンは見所が沢山ありすぎ。「ナショナル・ギャラリーがお勧め」と添乗員さんが助言。

ナショナルギャラリーNational Gallery は1824年に設立設立の経緯は、画家で教育者のサー・ジョージ・ビーチャーが、人々が美術品を見る場所が必要と考え、自分の美術コレクションと美術館建設・維持費用を提供した。すごいね。

その後、寄贈、寄託、購入、贈与、遺産により美術品を収集。文化芸術を身近なものとするため、創設時から入館無料

場所は、ロンドンの中心部のトラファルガー広場

世界史は大の苦手だが、「トラファルガー」は、聞いたことがあるぞ。ナポレオン戦争の1805年、トラファルガーの海戦での歴史的勝利(イギリス艦隊がフランス・スペイン連合艦隊に勝利、ナポレオンの侵略計画を阻止)を記念して建設され命名された。広場には、4体の巨大なライオンの彫刻がある。ライオンは勇気と力を表し、トラファルガーの海戦での勝利を象徴


ガイドブックの「一生に一度は見ておきたい作品」を探すことに。
「大使たち The Anbassdors」1533年 ハンス・ホルバイン・ザ・ヤンガー(ドイツ)
ヘンリー8世の3度目の離婚をローマ教皇が拒否し、国王と教皇が対立していた時に、ヘンリー国王が命じて画かせた。
ローマ教皇からの分離・独立を思いとどまらせようとするフランスからの大使達を、ホルバインは巧みに描いた。
左側は、ヘンリー8世の4回目の結婚式に出席したフランス大使のダントヴィル 。フランス王は教皇からの分離を心配していた。
右側は、ラヴォール(フランス)司教のセルブ 。20代のフランス人で親友同士。 
楽器の弦は1本外れ、不和を表すが、賛美歌は「聖霊に来なさい」と「十戒」でキリスト教の一致を表現。
二人の足下の床は、英国国教会のウェストミンスター寺院の主祭壇の床模様を表している。
  ※ ↓ ウェストミンスター寺院の主祭壇の床模様
足下の細長い棒のようなものは、右下から見ると、なんと、骸骨が浮かび上がる
ナショナルギャラリー グーグルバーチャルツアーで、右下から見た写真↓。

絵の左上のカーテンの影には十字架。贖い:キリストの犠牲による救いの希望を表現している。
イギリスがローマ教皇と決別し、イギリス国教会が成立した背景を、後世に伝えようとしたのか。
画家ホルバインは、様々な道具に意味を載せて毛布や衣装に繊細な質感を載せて、描いた。
 
バッカスとアリアドネ Bacchus and Ariadne」1520~3年 ティツィアーノ(イタリア)
ギリシャ神話を表現。クレタ島の王女アリアドネは、ギリシャのナクソス島に置き去りにされた。彼女に惚れたワインの神バッカスは、戦車から飛び降り、アリアドネ(左端)の冠を空中に投げると、それは、天空のかんむり座となり、不滅になった。

鏡を見るビーナス The Toilet of Venus1599 - 1660 年ディエゴ・ベラスケス(スペイン)
顔は鏡に映っているが、息子のキューピットが描かれており、ビーナスとわかる。
なお、この絵は、1914年にフェミニスト活動家の女性によって包丁で傷つけられた。「神話の歴史の中で最も美しい女性を攻撃した。男性客が長いこと見とれているのが我慢できなかった」。

「睡蓮の池 Water-Lilies」1899年 クロードモネ(フランス)
モネは自宅に「花の庭」「水の庭」を造り、それをモデルに、1926年に亡くなるまで約250点の「睡蓮」の作品を描いた。橋は、浮世絵からインスピレーションを得た。

「睡蓮」1916年以降

「ヒマワリ Sunflowers」 1888年 フィンセント・ファン・ゴッホ(オランダ)
世界の美術館に現存するヒマワリ5点の1つ。「ひまわりは私のものです」と宣言したゴッホ。7点描き4番目のもの。1点は東京空襲で焼失。
ゴッホは、友人で仲間の芸術家であるポールゴーギャンの訪問に備え、アルルの家を飾るために描いた。
ビーナスとマルス Venus and Mars1485年頃 サンドロ・ボッティチェッリ(イタリア)
眠りに落ちている軍神マルスを見つめる女神ビーナス。
「解体されるために最後の停泊地に曳かれていくテレメール号 The Fighting Temeraire, tugged to her last berth to be broken up.1838」1839年ジョセフ・マロード・ウィリアム・ターナー(イギリス)
1805年のトラファルガーの海戦で活躍した軍艦テレメール号は、製造後48年。木材の価値しかなく、材木商人に6ポンドで売却された。マストがなく自力航行できず、テムズ川に沿って蒸気タグボートで曳航された。今でも英国人に最も人気のある絵画。
人気のある作品はハイライトで詳細を見れる
2600点以上のコレクションを検索できる

大英博物館

2023-09-18 | 欧州
大英博物館 British Museumは、世界最大級の800万点の遺物、美術品、書物などが収集された、世界初の国立博物館。
古代エジプト、古代ギリシャ・ローマ、中東アッシリアの貴重な収蔵品を、誰でも入館料無料で観ることが出来る。
いったい、誰がどうやって収集したのだろうか。
 
博物館建設の経緯は、王室や上流階級相手の医師だったハンス・スローン郷が、自分の収集品や買取ったコレクションを、自分の死後、国立博物館を建設することを条件に国に寄贈し、1753年に大英博物館が設立。
17世紀の大航海時代、18世紀の産業革命による経済的優位、ナポレオン戦争勝利で、英国の領土が広がり、世界的収蔵品を入手した。
以下は、1801年から1868年にかけて、英国の国威発揚とともに、世界的文化財の研究・保存・展示のため収蔵されたもの
 
<チリ>
Hoa Hakananai’a イースター島の巨石像
1000~1200年頃に彫られたもの。
1868年、イギリスの調査船の乗組員が、南米チリ沖のイースター島を訪れ、Moai HavaとHoa Hakananai’aを発見。
彫像はイギリスに持ち帰られ、1872年に大英博物館に寄贈された。
<古代エジプト>
ロゼッタ・ストーン Rosetta Stone
1799年、ナポレオンのエジプト遠征の際、フランス兵士がロゼッタで発見した古代エジプトの遺物。
1801年、イギリス軍がエジプトに上陸しフランス軍を降伏させ、イギリスの所有物となり、大英博物館に。
一つの法令が、象形文字、日常語、古代ギリシャ語の3言語で刻まれており、欧州の学者達が解読を試みた。
1822年、フランスの学者シャンポリオンが解読に成功し、古代エジプト象形文字の記録の解読が可能になった。
1822年、フランスの学者シャンポリオンが解読した文字の対比表

ラムセス2世の胸像 Colossal bust of Ramesses Ⅱ
BC1292~1189年。古代エジプト最大の王と言われるラムセス2世の胸像。
1817年イギリスの外交官・コレクターのHenry Saltヘンリーソルトが発掘調査し取得。
<アッシリア>
翼のある人頭の雄牛像 Colossal statue of a winged human-headed bull
BC865-860年。アッシリア(イラク北部)のニムルド宮殿より出土した壁面レリーフ。左右一対(牛とライオン)で悪を防ぐ守護獣。横から見たときに4本になるよう、足が5本ある。
1850年、英国の考古学者オースティン・ヘンリー・レヤード卿が発掘。
アッシリアのニムルド宮殿描かれた壁面レリーフ
BC730-727年、ティグラト・ピレサー3世の頃。
1851年、英国の考古学者オースティン・ヘンリー・レヤード卿が発掘。

<トルコ>
ネレイド記念碑 Nereid Monument
BC390-380年。大理石の柱と海神ネーレイスの女性像。
1848年、英国の考古学者チャールズ・フェローズが、トルコ アンタルヤ で発掘。

<ギリシャ>
パルテノン神殿彫刻 Parthenon Marbles 
BC447-432年、古代ギリシャのアテネ、アクロポリス寺院にあるパルテノン神殿を飾っていた大理石の彫刻・彫像。
1801年~1812年、トマス・ブルース英大使(第7代エルギン伯爵Lord Elgin)が、ギリシャを支配していたオスマン帝国の許可を得て、神殿からはぎ取り、その後、大英博物館に譲渡。
「エルギン・マーブル」として、芸術破壊・略奪批判と文化財散逸防止擁護の論争に。

「はぎ取って持ち帰った」のは複雑な心境。パルテノン神殿が現存するだけに、戻すことが出来れば。

カリアティード caryatid(柱の役割を果たす女性の立像)
BC421~406年。アクアポリスのエレクテイオンの南ポーチにあるアーキトレーブを支えた6人の女性像の1人。
1816年、トーマス・ブルース(第7代エルギン伯爵)より購入。

エジプト、ギリシャ、チリからは、収蔵品の所有権と本国返還の争いがある。
 
大英博物館の以下のサイトは、とても役立ちました。
パソコンで、観客のいない博物館内を、自由に観ることが出来る(グーグルストリートビューで)。
収蔵品は、オンラインで検索でき、詳細を知ることが出来る。

ウェストミンスター寺院

2023-09-16 | 欧州

ロンドンの中心部ウェストミンスターWestminsterにある英王室の教会。

2022年9月にエリザベス女王の国葬、2023年5月にチャールズ国王の戴冠式が行われた。英国教会の首長は、ヘンリー8世の時代にローマカトリック教皇から分離し、国王。(理由は、イングランド国王の離婚をローマ教皇が認めなかったこと。王権と教皇権の争いの結果)。

王冠は神の代理として、教会の中で主教から戴冠される。

11世紀にエドワード懺悔王が建設し、戴冠した。以降、歴代国王はここで戴冠式を行い、結婚式を挙げ、永遠の眠りにつく。王室関係者以外にも、政治家チャーチル、探検家リビングストン、科学者ニュートンなどイギリス史の主要な人物が埋葬(墓地としては満杯)され、記念碑がある。7世紀初めに創建、増改築が行われたゴチック建築は、世界遺産(文化遺産)に登録された。

ツアー客は、南西の入口(矢印)から、セキュリティチェックを受け、入場。
大回廊の中庭。隣のウェストミンスター宮殿のヴィクトリア・タワーが見える。

回廊の床の御影石には、名前と生年月日、死亡年月日が刻まれている。お墓だ。
お墓がぎっしりの回廊。

西入口から東へ続く身廊(しんろう:入口から主祭壇に向かう中央通路)
戴冠式の椅子(1308年以降、歴代王が即位式で座る、樫の木製)
入口にある英国無名戦士(第一次大戦でフランスで戦死した身元不明の兵士)の墓

身廊には、ニュートンの近くにホーキング博士(1942-2018)。


聖歌隊席。
ここでエリザベス女王の国葬が行われた(写真2点はロイターより)

南北の回廊とクロスするところに、主祭壇がある。
定時になったら、観光客にも黙祷を呼びかけるアナウンス。
南翼廊(POET'S CORNER:詩人のコーナー)

ヘンリ7世聖母礼拝堂(主祭壇の東側)

北翼廊 (北入口)

南翼廊には、詩人のコーナーと呼ばれ、多くの文学者達の墓や記念碑がある。
ルイス・キャロル(1832-98)「不思議の国のアリス」「鏡の国のアリス」。
シェイクスピアの記念碑もあった。
チャールズ・ディケンズ(1812-1870)「クリスマスキャロル」
キップリング(1865-1936)「ジャングルブック」

長い歴史を持つ英国民にとって、大切な場所だと理解した。

オックスフォード

2023-09-13 | 欧州
コッツウォルズから南東へ約40km進み、オックスフォード(Oxford)にやってきた。
街の人口の2割は、学生だが、観光客も多くにぎやかな都市だ。

名門のオックスフォード大学はどこにあるの? 

日本のような「敷地で囲まれた大学」ではなく、「街の中に点在する教会や歴史的建造物を総合したものが大学」らしい。

街の中を歩いて、オックスフォード大学を探すことに。

カーファックス塔 Carfax Tower

1032年に建造された時計塔。かっては教会の一部だったが、今は有料の展望台。大学ではない模様。

大学ができる前は、修道院や教会が教育の場だった。

1167年、国王ヘンリー2世は、イングランドの学生がパリ大学で学ぶことを禁じた。このため、オックスフォードの修道院や教会にパリから学生が集まり、暮らすようになって大学が形成された。

ホール(寮)が設立され、ホールはカレッジ(学寮)へと発展した。カレッジは、学生だけでなく教職員やその家族も暮らす共同体機能を持った。カレッジは、多くが修道院や教会から支援を受けていた。

オックスフォード大学は、現在、独自の歴史や特色を持つ38のカレッジと、6のホールで構成される。

学生は、学部やコースと同時に、カレッジ・ホールに所属し、学部の指導教官とカレッジの指導教官から、それぞれ指導を受ける。大学入学の許可とともに、カレッジの入学許可が必要

大学は、学生に対して講義や実験、試験などの教育を提供し、学位を授与する。

カレッジは、学生に対し少人数での指導や、宿舎、食堂、バー、図書館、スポーツ施設など福利厚生を提供する。

ここを左折して、東に延びるハイ・ストリート High St. 沿いに、カレッジや関連施設があるらしい。

リンカーン・カレッジ図書館 Library of Lincoln College

1427年に設立された古いカレッジの図書館。カレッジは冷戦時代のスパイ小説作家のジョン・ル・カレが卒業。

この小路を左(北)に進むと、リンカーンカレッジがある。

さらに進むと、コッツウォルズの美しい村を広めたウイリアム・モリスが学んだエクセター・カレッジ Exeter Collegeがある

 
セント・メアリー教会 University Church of St Mary the Virgin
 オックスフォード大学の主要な教会で、千年近くの歴史がある。
 当初、式典、集会、試験がここで行われたが、各カレッジが独立すると、役割は弱まり、存在は象徴的になった。

ラドクリフ・カメラ Radcliffe Camera

医師のジョン・ラドクリフが、死の2年前に大学図書館建設を企画し、その遺産で1749年に建造。

カメラは、ラテン語で”円天井の部屋”の意味で、写真機のカメラも同じ語源。

オール・ソウルズ・カレッジ All Souls College

カレッジで唯一、学生を受け入れず、大学の研究施設となっている。

ここから、南へマグパイ小路 Magpie Laneという狭い道を進む。マグパイはカササギ。日本ならセキレイのような身近な鳥。

マートン・カレッジ教会 Merton College Chapel

 1264年設立のカレッジの教会。カレッジは血液循環説を唱えたウイリアム・ハーベーなど著名人を輩出し、今上天皇も留学。


マートン・ストリート Merton St. 

 大学前を東西に延び、沿道に学生たちの寄宿舎がある。

さらに南へ、グローブ・ウオーク Grove Walk を進むと、東側にマートンカレッジ Merton Collegeと、広いフィールドがある。この先は、クライストチャーチだ。

クライスト・チャーチ  Christ Church

キリスト教の修道院・教会の意味で、大聖堂を持つ最も裕福なカレッジ。1546年にヘンリー8世が設立。

多くの政治家や学者を輩出し、13人のイギリス首相やルイス・キャロルなどの文化人がここで学んだ。


ブロード・ウオーク Broad Walk を西に進み、カレッジの前を通過する。

クライストチャーチ大聖堂と戦争記念庭園 Christ Church Cathedral & War Memorial Garden
 庭園は、第一次世界大戦で心身が傷ついた兵士たちを癒したとある。

アリスズ・ショップ Alice's Shop(大學入り口の反対側にある)
「不思議の国のアリス」の作者ルイス・キャロルは、クライスト・チャーチを卒業後、同校で数学を教えていた。
続編の「鏡の国のアリス」に、多くの品物が並ぶ食料品やお菓子の店で、アリスと経営者の老いた羊とが挿絵に描かれていた。
  その光景を残そうと、この店が存続され、今ではアリスグッズの専門店になっている。

トム・タワー Tom Tower
クライストチャーチ大聖堂の正面玄関にある鐘楼。
毎日21:05に、外出している学生たちに、寮に戻る時刻を知らせる。元の101人の大学職員を記念して101回連続してベルが鳴り、人々を驚かすそうだ。

オックスフォード市役所 Oxford Town Hall

「川を渡る牛」が旗に描かれている。オックス=牛、フォード=渡し場。この土地が、牛の渡し場だったことに由来する。
アシュモレアン博物館 Ashmolean Museum 
オックスフォード大学の美術考古学博物館で、古物商アシュモールが植民地時代のコレクションを寄贈し1683年に設立された英国最古の公立博物館。


ボートン・オン・ザ・ウォーター

2023-09-11 | 欧州
コッツウオルズに行ってみたいと思ったのは、今から18年前、ユウさんのブログ「風を紡いで」の2005年コッツウオルズ母娘旅を読んだ時からである。
 
ー仕事でロンドンに2回行った時に実感した英国と全く異なり、ブログにはイングランドの美しい村、歴史文化、自然風景があった。
移動は鉄道・バス、宿泊はB&B。初めて訪れる異国の地を、母娘が多少の失敗をしつつもそれを補う現地の人とのふれあい、濃厚な思い出深い旅が描かれ、ビジネスや観光で訪れる英国旅行では体験しがたい内容だった。同じ体験は無理にしても、写真で見た美しいイギリスの村に自分も身を置きたいと思ったー
 
バイブリーから車で北へ約40分、約25キロ離れたところに、ボートン・オン・ザ・ウォーターがある。
名前の由来は、村の中心を流れるウィンドラッシュ川に沿って建てられた家々や橋が、まるで水上に浮かぶように見え、コッツウォルズのヴェネチアとも呼ばれたことによる。村では古代ローマの陶器や通貨が発掘され、ローマ帝国の支配を受けていた証拠となっている。
美しい町並み、自然風景、様々な観光施設、お店、宿泊施設があり、人気観光地となった。
今日は8月28日、イングランドでは8月最後の月曜日はバンクホリデー(公休日)で、多くの人が訪れていた。
この橋の上から見る景色がヴェネチアなのだが、大変な人だかり。何があったのか。
川の中で、おじさんたちがゴールネットにめがけて、なんかやってる。大勢の観客で盛り上がる。
ロイター通信によると、100年前から、毎年8月の公休日に行われるリバーフットボール大会。
5人制で30分。水しぶきを上げ、地元の大人たちが楽しみにするお祭りに遭遇できた。
こちらは立派な教会。羊毛産業で繫栄し、教会も豪華で「ウール・チャーチ」と言われるようだ。
川から離れると、人通りが絶え、静かな街並みが広がる。
石造りの家屋を補修・保存しながら、コテージやホテル、ショップにも活用されてる。
屋根が石材なので、テレビのアンテナが、家や煙突の壁に取り付けられている。
塀の石積みを低くし、花を植えている。
駐車禁止の標識も、周囲の景観に溶け込んでいる。
お店の入り口。ポーチライトとドアノッカー。
景観を損なう電柱や電信柱はなく、ケーブルは地下に埋設されてる。
果樹園。表紙の写真は、イングリッシュガーデンの素敵な家。
さらに北に約6キロ、ストウ・オン・ザ・ウォルドにバスで移動。
ここのカフェでは、伝統的なアフタヌーンティをいただいた。
下から、サンドイッチ、スコーンとクロテッドクリーム、 ケーキ。
コッツウオルズの歴史、文化、街並み、お祭り、イングランドの休日、食事を楽しめた。

コッツウオルズへ

2023-09-08 | 欧州

憧れのコッツウオルズにやって来ました。

羽田から、ロシアを避けた東回りルートで、14時間半もかけて、氷点下50度のグリーンランド上空を通ってロンドンへ。
ロンドンからバスで2時間半かけて、両側に延々と広がる牧草地帯を見ながら、コッツウオルズ地方へ。
コッツウォルズ(COTS WOLDS)は、「羊小屋のある丘」の意味。

コッツウォルズ地方の中心地、バイブリーに着いた。
詩人・デザイナーとして活躍したウイリアム・モリスが、この土地を「イギリスで最も美しい村」と称して有名になった。
モリスは、オックスフォード大学で建築を学び、産業革命後の大量生産とは異なり、中世の建築やデザインを重視し活動した。
1380年に羊毛貯蔵所として建てられ、17世紀に職工のコテージに改装されたアーリントン・ロウ。
独特の「はちみつ色」の石灰石で作られた家並み。今はナショナルトラストで保存されている。
子供の頃に読んだ絵本の世界だね。
なぜ、立派な石造りの建物が建造されたのか。コッツウオルズが羊毛が栄えた理由は、
1)この地域が羊の飼育に適していたこと
コッツウオルズは丘陵地帯で、草が豊富に生え、冬は寒すぎず、夏は暑すぎない気候。これらの条件は羊の健康に良く、高品質の羊毛を生産することができた。
2)羊毛の需要が高いうえ、他より有利な土地だったこと
中世ヨーロッパでは羊毛や毛織物が貴重な財産で、貿易や税収の源とされたが、コッツウオルズはイギリスの主要港や市場に近く、交通の便も良かったため、羊毛の輸出に有利だった。
屋根まで、石で葺いてある。雨水が浸み込まないよう急こう配だ。

よく見ると、ナショナルトラストと壁に記されている。
コッツウオルズは、古代ローマ帝国の支配下だったため、ローマの文化や技術が取り入れられた。ローマ調の道路や水道、温泉施設などが建設され、ローマの建築様式や装飾もコッツウオルズの建物に影響を与えたそうだ。
入場料もなく、保存された歴史的建造物と往時の風景を楽しむ、観光客が訪れる。
入り口に、解説版が一つ。
「バイブリー村は、かってウイリアム・モリスによってイギリスで最も美しい村と評された。その起源はドゥームズデイ・ブック(1086年)までに遡る。この村には歴史が深く刻まれており、歴史的建造物と野生生物の両方が生息している。」とある。
 ドゥームズデイ・ブック(Domesday Book):イングランド王国を征服したウィリアム1世が行った検地の結果を記録した世界初の土地台帳。
トイレや駐車場は、沼地の向こう側(案内板の右側)にある。
広い沼地の中には、野生生物が生息している。
なぜ、建物は今でも残っているのか。
その理由は、産業革命によって時代に取り残されたことにある。
この地方は鉄道網からも外れ、数百年前の田園風景が保たれた。
1966年には、特別自然美観地域 (AONB) に指定され、その景観が保護されるようになった。
現在では、地元の人々やボランティアが石壁などの修復や管理を行っている。