沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

浜松やらまいか交流会2023

2023-11-01 | 浜松のくらし

ANAインターコンチネンタルホテル東京で開催された、浜松「やらまいか」交流会2023に参加してきました。

10年ぶりなので、知っている人がいなかったら今回限りとし、これまでのお礼をしてと思って。

 




5月就任の中野祐介市長の市政報告

  • 大河ドラマ館「どうする家康」は、入館者が40万人突破(浜松城公園)。
  • 5月の「浜松祭り」は、255万人で過去最多。(5類が影響)。
  • 都市対抗野球は、ヤマハが準優勝。
  • 浜松航空基地のエア・フェスタ2023は、8万人(ブルーインパルス)

など、浜松の行催事の好調さを近況報告。いいね。

2024年開催行事は、

  • 浜名湖花博2024は、20周年記念事業(ガーデンパーク&フラワーパーク)。
  • 11月には浜松国際ピアノコンクール(40カ国から400人エントリー)。

その後、資料にて、災害対策、交通事故対策、人口減少対策に取組む市政を。

 

会場内には、浜松の特産品がずらりと、圧巻です。

前回出遅れた「ウナギ」は、かばやき、白焼きを、美味しくゲット。

花の舞」。久しぶりに祝い酒。

浜松やらまいか交流会2023

会場では20年前の知人から、たくさん声をかけていただき、驚きました。

海岸侵食、水泳場、環境教育などなど、昔のことなのに覚えて頂いたことが嬉しくなりました。

浜松は、昔よりもさらに元気で、活気にあふれ、やらまいか精神(何でもやってやろう)の街

住んでる人が自分の街に誇りを持つことが、何より大事なことだと思った。

スタッフの方に御礼を申し上げて、会場を後にしました。

 

溜池山王駅構内の無人本屋「ほんたす ためいけ」。新しい時代だね。


浜松のお土産

2013-12-29 | 浜松のくらし

久しぶりの浜松駅。出迎えてくれたのは、家康君。

2位だったけど、2位じゃダメなんですかぁ、と言ってるような。

駅前のバスターミナル。花と噴水できれいです。

お土産は、家康君のベーグル。キャラメルの入ったメロンパン。

うなぎんぼ 洋菓子ですよ。

これは、いただいたうなぎの佃煮。御飯に乗っけて、とてもおいしい!

浜名湖養魚漁業協同組合の紙袋は、サトウキビの搾りかすバガスを使ってました。ありがとー。

新幹線の改札の中には、KAWAIとSUZUKI

新幹線ホームの三立製菓の看板です。

音楽の街「浜松」には、食べられるピアノがある。

みやげ話にそう覚えて(買って)いってください。

エビイモ。小粒サイズは1パック100円。ショウガ醤油もいいし、トン汁もいいし。

九州屋で三ケ日みかんを注文しました。甘くて、酸味があって、おいしいー。


告別式

2013-12-23 | 浜松のくらし

今日は、浜松へ行って、お世話になった方と、永久のお別れをしてきました。

 

仕事場が隣で、夜遅くや休日によく出会った。部下が帰っても、自分自身が納得できるまで一人残って仕事をしていた。「どうされたんですか。」と尋ねると、「仕事が遅いもんで…」と自分のせいにするのが口癖だった。

膨大な資料の中から必要な情報を直ちに取り出して、的確に状況を解説できる素晴らしい努力をしていた。何を聞かれてもすぐに出てくるので、まるで「ドラえもんのポケット」だと思った。

浜松のことをたくさん教えていただいた。現場を少しでも知ろうと、休日に自転車で現場を回っていたが、そのことが新鮮に映ったのか、とても驚いていた。 

Ipadに資料を入れ、ドラえもんのポケットをさらに進化させていた。出始めなのに仕事でもう使いこなす様子に触発され、私もIpadを買ったが、使いこなすことはできなかった。

久しぶりに浜松を訪れた際、「美味しい蕎麦屋がある。」と、遠くの佐久間の北条峠まで、わざわざ車を運転して連れて行ってくれた。

実家で採れたといって、白玉ねぎやサツマイモを送ってくれた。付き合いをとても大切にする方だった。

 

苦労人だった。中学生のころ、自宅が火事になり、普通高校に進学できなかった。

働きながら定時制の工業高校に通い、みんなより少し遅れて大きな会社に入った。

まじめな性格と人柄の良さ、的確に仕上げる仕事ぶりが、多くの方から評価された。

ガンを患って手術したが、人工器具を装着して、頑張って責任のある立場をこなした。

皆に認められ出世して、とうとう、 大会社のナンバー2にまで、登り詰めた。

 

引退して2年。孫の写真を自慢する好々爺だったが、十数年ぶりにガンが再発した。

3ヶ月の闘病生活の間、娘さんの結婚式に車いすで出席し、元気な様子を見せた。

その後、燃え尽きたように、この世を去ってしまった。

 

遺影の笑顔を見ながら、出会いのこと、一緒に仕事をしたこと、お酒を飲んだこと、

「そうだら~。」という、独特のやさしい方言を、思い出していた。

出会えたことに心より感謝します。ご冥福を祈ります。合掌。 


第9回浜松「やらまいか」交流会

2013-11-17 | 浜松のくらし

浜松サポーターとして、日本都市センターで開催された、浜松「やらまいか」交流会に参加してきました。

鈴木康友市長、太田議長、商工会議所副会頭による鏡開き「花の舞」。

来年の4~6月にフラワーパークとガーデンパークで開催される浜名湖花博

10年前、ちょうど浜松に転勤になった時に開催されてた浜名湖花博が再び開催。懐かしいね。

会場内には、浜松の特産品がずらりと、圧巻です。

うなぎは出遅れたのであきらめて、浜名湖のアサリと消費量日本一の浜松餃子をいただきました。

こちらは、水窪(みさくぼ)の西洋和菓子 栃(生栃もち)。これは、おいしい!

栃もちは日持がしないのでお土産には難しかったけど、西洋和菓子なら通販の冷凍配送で20日だそうです。

三ケ日みかん。皮をむくと、香りが広がります。

静岡限定 「ピアノブラック」。源氏パイのメーカー三立製菓さん、やるね。

カンパンで有名な三立製菓さんも浜松の会社で、日本で最初に氷砂糖を作った名門メーカーだった。

寺野・川名のひよんどり(火踊り) 

無形民俗文化財保護団体連絡会の会長さんです。起工式とアクトで見せていただきました。

 

浜松国際ピアノコンクール。優勝したイリヤさん、横浜で公演するそうです。

こちらは、家康君グッズ販売を、笑顔で一手に引き受けるお嬢様たち。

ちょんまげにウナギ、袴がピアノの鍵盤姿の家康君。

さて、ゆるキャラ グランプリ日本一になるかな。

passistaパシスタも、サンバで応援してます。

家康君は喜んでますが、のたね君はちょっと恥ずかしそうです。


第8回浜松「やらまいか」交流会

2012-10-23 | 浜松のくらし

浜松に縁のある人が年に一度集まり、旧交を温める浜松「やらまいか」交流会。

本日、平河町の日本都市センターで開催され、浜松サポーター会員として参加してきました。

表紙の写真は、「出世大名家康くん」 。

ゆるキャラ(R)グランプリで6万票を超え、今のところ第8位らしい。

 

8年前の7月、浜松への転勤が、このブログを始めたきっかけです。

滞在はわずか2年でしたが、遠く離れても行きたくなる、故郷のようなところ。

縁があったら、また住んでみたい。

 

懐かしい顔ぶれで、お互いに年を取ったのかなと思う。 

余興は、昨年の強烈なサンバから一転して、今年は浜松市歌の合唱。

初めて耳にする人でも、歌いやすい曲だと思う。

中央は、鈴木康友市長。

地元の特産品がたくさんありましたが、遠州トラフグと浜松餃子をいただきました。

中締めは、鈴木育男副議長。

今後とも、浜松をどうぞよろしくというご挨拶。

帰りに、珍しいお土産をいただきました。

「浜松出世開運奥義之書」

これを読んで実行すると、出世できるとのこと。ありがたい。

家康は29歳の時に浜松城を築城し、17年間在城した。

浜松城は、家康の天下統一の足がかりとなり、その後の歴代城主も幕府の要職に就いたことから、「出世城」とも呼ばれている。


浜松からの贈り物

2012-05-26 | 浜松のくらし

浜松で暮らしていたころ、お世話になった方から新茶をいただいた。

天竜区春野町の栗崎園とある。

春野町といえば、天竜からさらに山深く、浜松の人でさえなかなか行く機会のないところ。

「霧深き山のお茶」とある。

これは、美味の期待。

さっそく、いただいた。

美味しい~。上品な味。

霧深き山のお茶・春野の精・栗崎園

子供の頃は、食後にお茶をいただくのが習慣だったが、いまではコーヒーやペットボトルのお茶。

こうやって、湯を沸かして、覚まして、いただくのもいいね。

おもてなしの日本文化だね。

御礼の電話をすると、栗崎園は、知り合いの方らしい。

今年のお茶は美味しくできたとのこと。ありがたいことです。


第7回浜松やらまいか交流会

2011-10-31 | 浜松のくらし

浜松市のシティプロモーション事業である交流会が都内で開かれ、浜松サポーターズクラブの会員として参加してきました。

こちらは市政報告会。2期目に入った鈴木康友市長から、マニュフェストの達成状況、震災への対応状況、市政100周年事業の報告など、市政の重要課題に対する報告がありました。

上の写真は懇親会です。気付いたら目の前にうなぎが並んでいます。絶好の位置。今年はかばやきに白焼き、いただきマウス。

地酒、みかん、うなぎ、しらす、あさり、地元の名産品がたくさん並んで、浜松は食材に恵まれた都市だと実感。

驚いたのは、サンバ。本場ブラジルのサンバカーニバルに参加経験のある人たちの迫力ある踊りに圧倒されました。

11月6日(日)にはアクト通りで、浜松カップ フェスタ・サンバ2011が開催される。全国からサンバチームが来て競うらしい。

懐かしい方にもお会いできて、参加してよかったと思いました。

中締めは、浜松市議会の吉村哲志議長さん。丁寧に御礼を述べられて、深々とお辞儀をされていました。

ありがとうございました。


天浜線(車両基地・機関車転車台)

2011-08-27 | 浜松のくらし

 天竜浜名湖鉄道の天竜二俣駅(浜松市)には、国指定の登録文化財があります。

今は一両編成のジーゼル車が1時間に1本しか運行しているだけですが、ホームや線路の多さから昔は貨車や乗客で賑わっていた様子が想像できます。 

 天竜二俣駅には、昭和15年に建築され、今でも活躍している車両基地があり、見学できます(大人100円)。 

 表紙の写真は、71年前建築の機関車扇形車庫。木造平屋建てで、昔は1番から6番まであったそうですが、今は4番まで。

下の写真は、運転区の事務室・休憩所・浴室。

中央は、高架貯水槽。容量は70トンで、蒸気機関車へ水を補給しました。今では洗車機用の水を補給しています。 

 こちらが機関車転車台。直径18メートル。

ここで車両を回転させて、6つの車庫と車両検修庫へ合計7本の線路へ振り分けます。

脱線しないように、線路が二重になって、真ん中にジョイントが入っています。ピタッと位置を合わせてジョイントを入れるとは、すごい技術ですね。夜はどうするんだろう。

 車両検修庫です。こちらは国指定文化財にはなっていないです。

 左側は、宝くじ号。右側はトロッコ列車用のレールバス。どちらも一両しかないそうです。

 こちらは、鉄道歴史館。大人も子供も、鉄道ファンには魅力的です。トロッコ列車の椅子もあります。

隣にいた小学生くらいの男の子は、ずいぶん詳しかったです。

 昔懐かしい切符の乗車券箱です。

窓口で行く先を言うと、たくさんある硬券の中から切符を選んで売ってくれたような淡い記憶があります。 

転車台で回転する様子をYouTubeにアップしました。360度回転しています。 


遠鉄で天竜へ

2011-08-23 | 浜松のくらし

久しぶりに訪れた浜松で、行きたいところが3、4か所ありました。

遠鉄(遠州鉄道)の駅に向かって商店街を歩いていくと、朝から掃除している人がいる。

創業明治5年ということは、139年前! カーテン・節句人形のカスミヤさん。

不思議な品揃えです。

気になったので、ちょっと聞いてみました。

「昔近くに住んでいましたが、明治5年創業とは続いていますね。カスミヤって、カシミヤのことですか?」 

カシミヤ製のカーテンは見たこともないけど。

「カスミは、霞のことですよ。」雲の上のような高いところを目指しているらしい。

「ここまで続いたんで、頑張って続けてくださいね。」

浜松も中心市街地の空洞化が問題となっているが、その原因は商店主が郊外に住み、不動産業化していることも指摘されている。このお店のように、中心市街地に住み、シャッターを下ろさずにお店を続け、掃除したり花や緑で歩道を飾るなど、できる範囲で街中を賑わいのあるものにする努力の積み重ねが中心市街地の活性化に欠かせないと思う。頑張ってもらいたいものだ。

向かい側の99円ショップ。単身生活には便利で、よく利用したが、ローソンストア100になっていた。

遠鉄の第一通り駅に着いた。

ところで第一通りってどこなのか。、また、第二通りはあるのか不明だが、駅はここなのだ。

赤い遠鉄電車に約30分揺られ、終点の西鹿島に着く。

ここで、天竜浜名湖鉄道に乗換。一両編成でコンパクトだけど、カメラ小僧がいるぞ。

天竜川を渡る。川下りの事故関連でしょうか。消防車がいました。

いよいよ、天竜二俣駅に到着です。

ここから、3つ、それとも4つ、回れるでしょうか。


浜松中央図書館

2011-08-21 | 浜松のくらし

夏休みに、浜松へ行ってきました。

上の写真は、駅前広場にある緑のモニュメント(立体花壇)。

タコのような感じですが、徳川家康だそうです。

ちょんまげが、うなぎ、だね。

 

新幹線口の展示スペースには、地元産業のPRスペースですが、今回は河合楽器のピアノが置いてありました。

浜松市100周年の企画です。子供たちが弾いていました。

浜松はKAWAI,YAMAHAのピアノ、SUZUKI,HONDAのバイクや自動車など”ものづくり”が有名だけど、ブラウン管による世界初の実験放送も浜松です。

地元のことを知るには、浜松中央図書館の郷土資料室に行くのが、正解です。インターネットにない情報がたくさんあります。

今から85年前の大正15年12月25日に実験に成功したので、翌日、翌々日の浜松新聞を探しましたが、大正天皇の崩御の日と重なり、記事にはなっていませんでした。

こちらは、舞阪町と新居町が共同で出版した浜名湖の河口付近の変遷図集。

浜名川の渡しがありましたが、1498年の明応の地震津波で、浜名川がなくなり、現在の今切ができています。

地形や交通の変遷がカラー地図で、何枚も描かれており、わかりやすい。

このほか、貴重な資料がたくさんありました。夏休みの宿題でだいぶ活躍しそうです。

浜松中央図書館の郷土資料室は充実していて、浜松について次々と調べたくなるような魅力的な場所です。

なお、写真撮影(フラッシュ無し)は、図書館のご了解を得ています。

また、マイクロフィルムの新聞は、コピー(有料)ができるそうです。

 

浜松といえば、最近注目されている餃子。消費量日本一を宇都宮と競っています。

昔、浜松で暮らしていたころは気付かなかったのですが、結構、餃子屋さんがありますね。

赤ワインに餃子です。パリッとして、おいしいです。

これは、お代わりしたものです。

 


世界初のブラウン管テレビ(浜松)

2011-07-24 | 浜松のくらし

浜松市にあるテレビの原点。


1926年12月、浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)助教授だった高柳健次郎氏は、長年の研究の結果、世界初のブラウン管テレビを作り上げた。

学校の所在地には、高柳博士の功績を示すため、最初に画面に映った「イ」の文字と、テレビジョン発祥地が表示されている。

以来、日本の社会、経済、文化、人々の暮らしをアナログ放送で伝えてきたテレビが、本日正午に、デジタル方式に切り替わる。

アナログ放送の終焉時に、最後に映る文字は何だろうか。

以下は、6年前の記事です。

テレビの原点

2005-11-16 23:44:38 | 浜松
健康診断に行く途中のバスで景色を眺めていたら、見つけたイロハのイ。帰りはバスを使わずに徒歩で探し当てた。
昭和が始まったその日に、世界で初めてブラウン管テレビに成功した高柳博士の功績を示すものだ。世界初のブラウン管テレビ
PCでは液晶画面が主流だが、テレビではまだまだブラウン管の画面の方が優れている。
高柳博士はこの場所で、浜松高等工業学校(現静岡大学工学部)の教鞭をとり研究を進めるとともに、教え子達の技術がやがてノーベル賞を受章するまで成長した。
イロハのイなのか、それともイの一番のイだろうか。高柳健次郎の足跡  スーパーカミオカンデ 光電子増倍管

北条峠の蕎麦屋(佐久間民族文化伝承館)

2011-02-28 | 浜松のくらし

浜松市街から北へ1時間30分、佐久間の北条峠(ほうじとうげ)に江戸時代の農家を移築した蕎麦屋があります。


軒下には、大八車や農具が置かれています。白いのは根雪です。


こちらは、北の水窪(みさくぼ)方面を望んだところ。


この土地に、この風景に、数々の民話が伝承されているようです。



お蕎麦がおいしいというので、楽しみです。


江戸時代から続いてきた地ソバを味わえるというのです。



ざるそばセットです。美味しかったです!


御膳に、左上から、とじくり(米、大豆等で作った和菓子)、柚子味噌こんにゃく、山菜の炊き込みご飯、漬物、地ソバ。



土雛(つちびな)が、飾ってありました。


この地方では、土で作ったひな人形を、ひな祭りに飾るそうです。


とても土で作ったとは思えないほど、美しく着色されています。



ほかの地方にも、土雛はあるのかな。


美しい山並みなのに、亀裂が…

2011-02-28 | 浜松のくらし

浜松北部のつづら折りの山道を、左右に揺られながら車で登っていくと、美しい風景に出会った。

山並みが幾重にも重なり、絵画的だなあと思ったら…。

中央構造線の活動によって作られた、断層谷(だんそうだに)なのだそうです。

諏訪湖から流れる天竜川は、中央構造線沿いの谷あいを流る際に、崩れた土砂を運ぶことによって、長い年月をかけて、海に面する浜松の河口部に大きな砂丘を作った。

旧道 さくま 徒歩60分。

簡単に書いてあるけど、徒歩60分で出るのが佐久間、ということは、ずいぶんと奥山ですね。

杉の木は、花粉をたくさん用意していました。

間もなく花粉の季節ですね。

 今日は、目がかゆくなってきました。


燈火の人

2011-02-26 | 浜松のくらし

5年半ぶりに、住んでいたところに立ち寄ってみました。

歩道の花壇の中に、小さな彫刻がありました。昔はなかったのに。

「燈火(ともしび)の人」

ーこの作品の位置する場所は、火の守り神である秋葉神社の大鳥居跡で、土地の記憶を呼び起こします。-

うーん。小さいけど、考えさせる彫刻である。

確かに、「火」という文字になっている。

手に持っているのは、聖火のような。

聖火ランナー?

大鳥居から秋葉神社へと、続く道を表現しているのかな。

植樹ブロックも御影石で、おしゃれですね。

きれいに掃除してあります。

浜松は、音楽の街。

彫刻も、ビオラを弾いています。

 


本田宗一郎ものづくり伝承館

2011-02-19 | 浜松のくらし

ホンダの創業者、本田宗一郎ものづくり伝承館(2010年開館 入館無料 撮影OK)に行ってきました。

宗一郎が生まれ育ち、本田技術研究所や本田技研工業を創設した浜松市に、昨年オープンしました。

入ると、本田宗一郎の笑顔の写真と、大きな左手が飾られています。

   ハンマーをふるうのは右手

   左手は陰になっていつも犠牲になる

   だけど左手があるからこそやれる

よく見ると、ものづくりをしている最中にケガをした左手の傷跡の解説がしてあります。

左手が、本田宗一郎の多くの苦労と、たゆまぬ努力を語っているのでしょうか。 

1949年製のホンダC型が展示してありました。

宗一郎は、1946年 39歳にして本田技術研究所を浜松市に創設。

自転車に発電用エンジンを搭載した、バタバタと呼ばれる原動機付き自転車を開発。

ホンダC型は、ホンダ初のモーターバイクで、96cc の排気量。

戦後の物資不足のため、バイクのタイヤはリヤカーのタイヤを用いたそうです。

しかし、日米対抗オートバイレースで、クラス優勝し、驚かせたそうです。 

1958年製のスーパーカブ(C100)です。

2008年までに、6000万台という世界的なベストセラー・ロングセラー。

スーパーカブは、四輪、二輪を含め、世界最多の量産車だそうです。

こちらは、ホンダの四輪車の存在を世界に知らしめた1973年のCVCCエンジン。

1970年、自動車の排気ガス公害に苦しむ米国で、排気ガスに含まれる有害物質(一酸化炭素、炭化水素)を、5年後に発売する車は1/10に規制するというマスキー法(1975年規制)が成立。

この達成不可能と言われる規制に対し、自動車部門では後発のホンダは追いつくチャンスと、宗一郎の指示のもと開発されたCVCCエンジンは、1972年12月に世界で初めてマスキー法をクリア。

1973年には、CVCCエンジンを搭載したホンダシビックが発売された。

その特徴は、副燃焼室を設けてガソリンを完全燃焼させることで、汚染物質を減少させるとともに燃費も向上させることになった。

本田宗一郎ものづくり伝承館は、NPO法人が運営しています。

開館時間は10時-16時30分 (確認したところ、館内の撮影はOK)

休館日は、月・火(祝日の場合は水曜)と年末年始。

HP:http://www.honda-densyokan.com/

入口に、さまざまなホンダグッズが置いてありました。いくつか買いましたよ。

バイク好きの方は、 行ってみたいところでしょうね。