沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

今夜もサックスが

2009-05-31 | 横浜
横浜では開国博覧会をやっています。
赤レンガ倉庫から見た会場です。
夜空に青い地球が浮かんでいます。

あれ、色が変わった…。

と思ったら、赤い地球になってしまいました。
何かを暗示してるのかな。
直径約20mの巨大な「地球」はアースバルーン「HOME」というもので、宇宙飛行士の向井千秋さんが監修した地球環境物語だそうです。

ナビオス横浜です。
額縁みたいになっています。

汽車道を歩くと、ランドマークタワーとみなとみらいが見えてきました。

今夜もサックスが聞えてきました。

90センチのタンポポ

2009-05-24 | 家庭菜園・園芸
陽当たりのせいか、ベランダの植木鉢のニチニチ草は毎日どころか毎年咲いてくれます。
その古株が専有する植木鉢に、どこから飛んできたのか、新しい草が芽を出した。

名も知らぬ草は、どんどん背を伸ばし、タンポポのような葉を持つので、タンポポモドキであったが、やがて花が咲き、タンポポと判明した。

道端に咲くタンポポは、ライオンのタテガミのようなギザギザの葉を持ち、地際からすくっと太陽を目指して咲き、茎の長さは手のひらサイズで、子供が手折って口を近づけ綿毛を遠くに飛ばすものだ。
踏まれても、また生えてくる逞しさがある。

しかし、このタンポポ君は身長が90センチもある。
そんなタンポポの種類があるのだろうか。
どこから飛んできたのか、また、何を求め、こんなに首を伸ばしているのだろう。
ニチニチ草君は、背比べの必要もないほど小さい。
周囲に競合する草もなく、時に強風が襲うベランダでは、折れる危険を冒して太陽に近づく必要などないのではないか。

やがて、綿毛をつけた。
手に取り、ふっと吹くと、ベランダから高く上がり、遠くへ飛んでいった。
タンポポ君の仕事は、種子を遠くへ飛ばすことだとしたら、風を求めて、ベランダの手すりを越えようと背伸びしているのかもしれない、と思った。

首里城「書院・鎖之間庭園」が国指定名勝に

2009-05-22 | 琉球・首里城
ネットで、うれしいニュースを発見しました。
昨年、復元された首里城の書院・鎖之間(しょいん・さすのま)庭園が、その文化的な価値が認められ、国の名勝に指定されることになりそうです。
この庭園は、琉球石灰岩の地形とソテツやマツを中心にした珍しいもので、古絵図に描かれたり、琉球王国へ訪れた外国の賓客が日記などに素晴らしさが記されていました。
復元は、発掘調査、明治時代に測量された詳細な地図と見つかった数枚の写真などを元に、専門家による慎重な時代考証を重ねながら行なわれました。

2009年05月15日 沖縄タイムス
首里城「書院・鎖之間庭園」など3カ所が国指定名称天然記念物に

名勝として新規指定される「首里城書院・鎖之間庭園」=那覇市
 文化審議会(西原鈴子会長)は15日、琉球王朝時代、王族が接待の場で使用したとされる首里城の「書院・鎖之間庭園」など、史跡名勝14件を新規・追加指定するよう塩谷立文部科学大臣に答申した。県内からは3件の指定答申があった。
 名勝に新規指定するよう答申されたのは「書院・鎖之間庭園」の1件。史跡は16世紀に久米中城按司が築いたとされる久米島町の「宇江城城跡」が新たに指定される。史跡「今帰仁城跡」の北側に隣接する「今帰仁ムラ跡」や「ハンタ道」など集落遺跡は、同史跡への追加指定に答申された。

ゴーヤー君成長記

2009-05-10 | 家庭菜園・園芸
沖縄産のゴーヤーがスーパーの店頭に並んでいました。
198円と少し高めだけど、売っているのがうれしい。

花屋さんにはゴーヤーのタネも売っていました。
ニガウリ=ツルレイシ=ゴーヤー(沖縄の呼び方)らしい。

ゴーヤーで緑のカーテンをやってみようかな。
昔、ヒョウタンで縁側の日陰棚を作ったことがあったけど、涼しかった(^^♪

4月の中旬に種を9粒蒔いて、2週間待ってたら、5月3日に芽が出たよ。

翌日、双葉が開いたよ。

3日目、さらに大きくなってきた。

そしたら、隣にゴーヤー2号が芽を出しました。


1週間後の1号君です。本葉が開いて、いよいよ大きくなあれ。

2号君です。双葉が開いて、本葉が顔を出しました。
成長が楽しみです。

スローバラード&帰れない二人

2009-05-04 | 音楽
忌野清志郎さんが亡くなった。ご冥福を祈ります。

昨日は車の中で寝た あの娘と手をつないで
市営グラウンドの駐車場 二人で毛布に包まって
カーラジオからスローバラード 夜露が窓を包んでいて
悪い予感のかけらもないさ あの娘の寝言を聞いたよ
ほんとさ確かに聞いたんだ
(1976年「スローバラード」作詞作曲:忌野清志郎&みかん)

「初期のRCサクセション」「シングルマン」などのレコードを聴き入っていた学生の頃、渋谷のジャンジャンで行なわれたRCサクセションのライブに行った。
僕の好きな先生、スローバラードなど静かな曲を期待していたが、全曲、過激なロックを歌い、そのあまりの変わりように驚いた。
「シングルマン」が1年で廃盤になるなど全く売れないどん底で、アコースティックバンドからロックバンドへ生まれ変わろうとしていた頃だった。

1972年に発売されベストセラーとなった井上陽水さんのアルバム「氷の世界」には、忌野清志郎さんとの共作が含まれており、陽水さんの甘い声が印象的だった。

思ったよりも夜露は冷たく 二人の声も震えていました
僕は君をと言いかけたとき 街の灯りは消えました
もう星は帰ろうとしてる 帰れない二人を残して
(1972年「帰れない二人」作詞作曲:井上陽水&忌野清志郎)

忌野清志郎さんには様々な面があるが、切ないバラードを歌う素顔が好きだ。
今までありがとうございました。合掌。
このblogに今まで登場した忌野清志郎さん