首里城は西を向いて城を構えているが、城壁の最西端に西(入り)のアザナがある。
東(上がり)、西(入り)の読み方は、太陽と方角が一体ですね。
この写真は、京の内から西のアザナをみたところです。
城壁が狭まっていくのがわかります。
西のアザナは物見台になっていて、那覇市街、遠くには慶良間諸島が展望できます。
左手の方に那覇港があります。
テンペスト第3話(第13章大統領の密使)に描かれていますが、日本開国の指令を与えられた黒船艦隊のペリー提督が、浦賀入港の1ヶ月前に琉球王国に立ち寄り、艦隊の拠点設置を迫ったことはあまり知られていない。
黒船来航は、鎖国していた日本にとって大きな衝撃でしたが、首里城は高台にあるので、多嘉良(たから)は西のアザナの物見台から黒船艦隊を見下ろしています(第3話p213)。
西のアザナから首里城を見た写真です。
大きな屋根は正殿。右手前の大きな建物は、奉神門(主人公が正殿と間違えた第1話p95)。
右側の白い屋根は、まだ工事中だった書院・鎖ノ間の仮屋根。
一番左の屋根だけ見えているのが北殿で、評定所があったところ。
王府は1853年にペリー提督一行を北殿で歓迎したものの、内容は茶菓子程度とし、城外にある大美御殿では中規模の式典でもてなしました(第3話p264)。
それから約150年後の2000年に開催された沖縄サミットでは、首里城の北殿で主要国首脳をもてなす晩餐会が盛大に開催されました。
ペリーとの交渉に尽力する主人公の寧温は、朝薫とともに西のアザナから東シナ海を眺めています(第3話p302)。
翌年の1854年、琉米修好条約を結びましたが、その内容は、テンペスト(第4話p22-28)にあるように、4か月前に交わされた日米和親条約に盛り込まれた米国人居留地の設置や米国の最恵国待遇の条文は盛り込まれませんでした。
琉球王府の外交力の高さを示すものと言われています。
テンペストの作者の池上さんは、琉球王国の役人の優れた外交能力を、主人公に通じて伝えているのですね。
日米和親条約(1854年3月)
- (第二条)アメリカに物資を補給(薪水給与)するために下田、函館を開港
- (第三条)漂流民の救助、引き渡し
- (第五条)アメリカ人居留地を下田に設定
- (第九条)片務的最恵国待遇
琉米修好条約(1854年7月)
- (第一条)自由貿易
- (第二条)アメリカ船舶に対するに薪水の提供
- (第三条)アメリカ船からの漂流民の救助
- (第四条)アメリカに領事裁判権を認める
- (第五条)アメリカ人墓地を設置及びその保護
- (第六条)琉球国の水先案内に関する規定
- (第七条)アメリカ船舶への薪水の提供に関する費用等
条約は、Wikipediaより
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