沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

サロベツ原生花園

2024-07-17 | 国内旅行

【利尻礼文サロベツ国立公園 サロベツ湿原センター】

環境省のビジターセンターと湿原を歩いて回れる木道があります。

なかなか良い施設です。豊富町にあります。


サロベツはアイヌの人達がサル・オ・ペッ(湿原を流れる川)と呼んでいたことに由来します。
面積6700ヘクタールの広大な湿原。ラムサール条約にも登録されている。
正面の山は、利尻島の利尻山。利尻富士と呼ばれている。

【エゾカンゾウ】
調べたら、禅庭花(ゼンテイカ)の別称で、各地ではニッコウキスゲなど別々に同定されて名前が付いているらしい。

一つの花は一日しか咲かず、朝に咲いた花は夕方にしぼむが、次々と開花するため長い期間花を楽しむことができる。サロベツ原野のエゾカンゾウの大群落は有名らしい。いいね。

木道は、ゆっくり歩いて30分で1周できる。

ビジターセンターに戻ったら。木道を歩く前にチェック。
見たのはニッコウキスゲじゃ無かったと思ったが、今になって、同じ花だとわかった。DNA情報による植物分類とかしてるのかな。同定は難しいね。
【泥炭産業館】
サロベツ原野には植物の残骸が分解されず堆積しており、泥炭地として資源開発された時期がある。石炭の一種で乾燥させれば石炭のような燃料にもなる。ビジターセンターの隣に泥炭産業館があり、その歴史などが良く分かる。

【道道106号線】
日本海沿いを走る道道106号線に戻り、北を目指す。
自転車とすれ違ったので、一枚撮りました。
この風景が見たかった。こういう景色を走ったら、ずっと忘れられないだろうね。

助手席から写して貰った。果てしなく続く道。いつまでも走っていたい。

宗谷本線の車窓から見て、ここは日本なのかと衝撃を受けた風景を思い出す。
抜海駅は乗降客が少なく、今年度末で廃止が決まったそうです。さみしいね。

【浜勇知園地】 稚内市抜海
森繁久弥さんの歌碑がありました。
「浜茄子の 咲きみだれたる サロベツの 砂丘の涯の海に立つ富士」森繁久弥

小さな池がありました。夏にはコウホネという睡蓮に似た花がさくので、この休憩所はこうほねの家と呼ばれています。
利尻富士がきれいです。

冬場は厳しいのだろうと想像します。地吹雪等で視界が悪くなることが多く、通行止め規制されることがしばしばあるそうです。

【ノシャップ岬】
アイヌ語のノッサム(岬のそば)が語源だそうです。ここで日本海は終わりかな。
【エゾジカの帰還】
稚内市内の宿泊先に行こうとしたら、ちょうどエゾジカ家族も家路に着くところでした。
ホテルの夕食はブッフェ形式で、カニやホタテも食べ放題。

オホーツク海です。北防波堤ドームが見えます。

もう夜明けです。緯度が高いと、朝が早いなあ。

日の出は、午前3時47分! 
朝食は、午前5時30分!!

日本銀行券

2024-07-14 | 生活

新しい日本銀行券に両替してもらった。

AA147872。発行から10日。幸運にもAAで始まる若い番号だった。
【世界初の紙幣ホログラム】
津田梅子さんが、まっすぐ正面を向いてます。

しかし、紙幣をちょっと傾けると、横を向いてしまいます。凄くないですか?
映画ハリーポッターで新聞の写真が動くシーンがあったけど、お札とは日本の技術凄い…
【津田梅子の花と植物】
津田さんのホログラムには梅、ぼたん菊、朝顔、萩、桔梗、桜の6種類が描かれ、と裏面のを加える8種類の植物
「これは、クイズ問題に出ますね!」とHBC北海道放送のインタビューで答えたら、「何種類答えられますか?」と逆質問された。

渋沢栄一さんはヤマザクラと街路樹のの木。

北里柴三郎さんはヤマザクラのみ。したがって、津田梅子さんは華やかであると言える。

【目の不自由な方への対応】
新札を見て気づいたのだが、右上の斜め線の位置が、それぞれ違う。手の感触で分かる。
千円札は右上と左下、五千円札は中央の上と下、一万円札は左右の中央である。
加えて、人物の横にうっすらと千円札はⅠ、5千円札はⅡ、一万円札はⅢの線が盛り上がっていて、指で感じることが出来る
なかなか、やるじゃない。
【いろいろな工夫】
詳しく見ると、いろいろ工夫が凝らしているのがわかる。
普通、お札は誰が触ったかわからないので観察しないけど、発行されたばかりの新札なら、手にとって隠された工夫を見つけ出すのも楽しいかも。
額面の金額以上の価値があると思った。

外国人観光客に、新札のセット券を記念に販売したら売れるかも。
3枚セットで16000円、10枚ずつセットで16万円。日本のお土産になるね。

羽幌炭鉱

2024-07-10 | 国内旅行
【オロロンライン】
道の駅おびら鰊番屋で、タコ専門店の美味しそうなおつまみを購入。
袋の裏に、良く分かる地図があった。オロロンラインは、鳥の名前が由来。
小樽から稚内までの海沿いを走るオロロンラインは距離が長く、一日ではたどり着けない。
小平町のやや北に位置する羽幌(はぼろ)温泉を目指す。
【羽幌】
名は、アイヌ語のハポロペッが由来らしい。
羽幌は、かっては国内屈指の炭鉱の街だった。
今では、甘えびの水揚量が日本一らしい(羽幌町HP)。
 
【はぼろ温泉サンセットプラザ】
源泉掛け流し温泉がある。温泉は、道具持参で地元の方も利用してた。
夕食がいいね。ビールを少しと熱燗だね。
はぼろは、炭鉱の街だった。山の中に遺跡があるらしいので出かけてみた。
【羽幌炭鉱】
1874年、石炭鉱脈が見つかるが輸送手段がなく、各社による小規模な採掘。
1941年、羽幌炭鉱鉄道が、炭鉱と鉄道を一緒に行い、国鉄羽幌線の羽幌と結び地域の足となった。
良質石炭を年間100万トン産出する一方で、ジャンプ台建設やスポーツ振興など地域発展に貢献したが、断層にぶつかったこと、石炭鉱業再建整備臨時措置法の期限等を理由に、1970年閉山を決定。
3000万トン以上の資源と7500人の関係住民を残して、30年で鉄道も廃止(バス転換)された。
 
この巨大な建物は、採掘した石炭を貯蔵する貯炭場。
こちらは50年前の住宅の跡だね。
人はいなくとも、家の周りには残された草花が美しく咲いていた。

羽幌炭鉱鉄道病院の跡。
大倉山ジャンプ台と同じ大きさのジャンプ台があり、羽幌炭鉱スキー部には笠谷昌生(札幌五輪ジャンプメダル独占時のコーチ。金メダルは弟)が所属していた。
炭鉱アパートは、「幸せの黄色いハンカチ(1977年)」のロケ地になった。
1969年に完成。水洗トイレ完備。家賃、光熱水費は会社負担。住民の入居は1年だった。
羽幌町へ戻る。
羽幌鉱山鉄道(廃止)の線路の橋脚が残されていた。
 
【羽幌町郷土資料館】
羽幌炭鉱や鉄道の歴史が良く分かる。

開坑と鉄道建設

写真に、当時の人々の暮しがあった。
【オロロンライン】
羽幌から稚内を目指して、海沿いの道を走る。
牛がいた。のどかで、健康そうだ。
国鉄羽幌線(廃止)の線路の橋脚が残されていた。
【天塩町サラキシの漁港】
アイヌ語で葦のたくさんあるところの意。
【オトンルイ風力発電所】
オトンルイは、アイヌ語で「浜にある道」という意味がある。
幌延(ほろのべ)町の風力発電プロジェクトに基づき、3セクで設置。後にJFEに売却。
高さ99メートルの風車が28機、長さ3キロにわたり並ぶ。西風を受けてヒュンヒュン回る。

【幌延深地層研究センター(日本原子力研究開発機構)】
高レベルの放射性廃棄物(いわゆる核のゴミ)の最終処分には地層処分技術の開発が必要で、ここは堆積岩のモデルとして期限を決め調査研究だけを実施していた。
人工バリア(ガラス固化体、オーバーパック、緩衝材)で1000年以上外部と遮断する技術。

人工バリアの実物模型。
国内では堆積岩と結晶質岩の2箇所で調査研究しているが、両者の結果に違いがあるのだろうか。

石狩挽歌と鰊番屋

2024-07-08 | 国内旅行

【石狩挽歌記念碑】

なかにし礼の実家があった小樽市。

青山氏の鰊御殿(貴賓館)に石狩挽歌記念碑があり、なかにし礼直筆の歌詞が彫られている。

1975年のヒット曲だが、記念碑建立が22年後の1997年になった理由は、1996年に兄の中西正一(森田童子の父)が72歳で死去し、ようやく記念碑建立に応じたと、なかにしは『兄弟』に記している。

【石狩挽歌は中西一家の実体験だった】

兄の正一が、小樽の実家を担保に借金して増毛の網元からニシン漁の権利を3日間借りた。

最終日の1947年3月22日の未明。魚が入らず失敗したと中西家全員があきらめたときに奇跡が起きて、遠くの海から大量のニシンが、網に押し寄せる奇跡が起きた。兄23歳、礼8歳の時だった。

海猫が鳴くからニシンが来ると、ヤン衆(ニシン漁の出稼ぎ漁師)が騒ぐ。

雪に埋もれた番屋の隅で、私は夜通し飯を炊く。

燃えろかがり火 朝里の浜に 海が銀色ニシンの色よ。

ソーラン節に頬そめながら 私は大量の網を曳く。

 
【ニシン漁の衰退】
ニシン漁は1910年以降、北海道西側沿岸で栄え、漁で財を成した網元によるニシン御殿が各地に建ったが、1955年以降、すっかり獲れなくなってしまった。
挽歌とは、死を悼む歌。石狩地方のニシン漁が途絶えたことを歌う悲しい歌なのだった。
 
あれからニシンはどこへ行ったやら オタモイ岬のニシン御殿も今じゃさびれて オンボロロ オンボロボーロロー沖を通るは笠戸丸 私は涙でニシン曇りの空を見る
 
【増毛町の朱文別の浜】
増毛は、アイヌ語のマシュケ(カモメの多いところ)が由来。
77年前、中西正一は朱文別のニシン漁で1ヶ統(幅20メートル、長さ60メートル)の権利を3日間買った。増毛には100ヶ統以上あり、ニシンが入ったとしても百分の一の確率。
一攫千金のギャンブルだ。鰊の大群が押し寄せる群来(くき)の時は、明け方の海が乳色・銀色に染まる。
 
しかし、今では、海岸浸食から守る離岸堤が沖合に並び、海岸にはテトラポット。もはやニシン漁が行われることはなさそうだ。


【日本最北の酒蔵】
増毛にある国稀(くにまれ)酒造。日本最北にある酒蔵。


清酒も美味しいが、酒粕焼酎「泰蔵」も人気だ。

【国稀の蔵元限定商品】
  • 国稀 酒粕焼酎泰蔵 木樽貯蔵(30度)
スコッチウイスキーのような香りと琥珀色が飲んでて楽しい。
 
【ニシン丼】
石狩市の道の駅厚田で頂いた。
【恩納村のお土産】
石狩市は沖縄県恩納村と友好都市。懐かしいシークワーサーポン酢やじゅーしぃに出会えた。

【旧花田家番屋】
増毛の北に位置する小平(おびら)町にある。アイヌ語のオッペが町名の由来。
「道の駅おびらニシン番屋」に隣接する国指定重要無形文化財が花田家のニシン番屋。
北海道最大の規模で、往時は200人の雇い人が生活できた。

夜通し飯を炊く。




漁の道具も展示されている。

ニシンを背負うもっこ。
小さいのは子供用。


【北海道の鰊番屋】
 
 
【礼文島の鰊番屋の思い出】
私の最初の北海道の宿は、1977年9月24日(土)礼文島の桃岩荘YH。ニシン番屋だった。
前日、羽田17:15発の全日空で千歳に、21:10札幌発の夜行で稚内に早朝の6:25到着。
夜が明け始め車窓から見えた景色は、森林も家もなく大平原と砂丘。
8:10発の定期観光バス3時間コースで、最北端の地、稚内公園、ノシャップ岬を巡った後に、稚内12:40発のフェリーで礼文島15:10着。迎えのジープに乗り、海岸沿いのニシン番屋を利用したユースホステルに16:20到着した。宿泊者は50名程だった(当時の旅日記より)。

北海道オロロンライン

2024-07-06 | 国内旅行
北海道西北部を日本海に沿ってオロロンラインを北上してきました。
小樽、羽幌、稚内、富良野、札幌の5泊6日で走行距離1180キロ。
 
目的はいろいろありますが、
1)鰊(にしん)番屋 2)サロベツ原野 3)旭山動物園 4)富良野ラベンダー 5)エスコンスタジアム 6)北海道博物館・北海道開拓の村・ウポポイ など。
新札発行でHBC取材、空港直行バス運休など思いがけない出来事もありましたが、よき旅でした。
 
【小樽総合博物館 運河館】
  • 小樽に運河があるのは何故か。
  • 日本銀行小樽支店を始め各銀行が設置され、北海道の金融経済の中心となった理由は何か。
小樽と言えば小樽運河と倉庫。北前船主が建てた倉庫が博物館になっています。
運河館で目を引くのが立派な屏風絵小樽から約100km北の留萌郡小平(おびら)町の花田漁場で行われたニシン漁1903年に描いたもの。翌年開催された米国セントルイス万博に出展された。

屏風絵には、ニシン漁場の仕事の様子が緻密に描かれており、それを紹介する。

定置網に押し寄せるニシンの大群を大タモですくい上げる作業歌が、ソーラン節の起源となった「沖揚げ音頭」
ヤーレン ソーラン ソーラン ソーラン ソーラン
にしん来たかとカモメに訊けば  わたしゃ発つ鳥 波に聞け
チョイヤサエンエンヤーーーァサーァノ ドッコイショ  ハードッコイショドッコイショ
どう考えたって大変疲れる作業。腕や腰を痛めるね。かけ声で重労働をがんばる。

ニシンは一斉に来るので、学校も休みになり、お金にもなったので周辺の人々が手伝った(花田番屋)。

実際の写真を見ると、まあ大変な様子です。絵なので、ここはきれいに描かれています。

カズノコは栄養価も高く貴重ですが、当時は干物にしたようです。

状態が良い大きなニシンは頭や内臓を取り除き、見欠きニシン(ニシンの干物)
一尾ずつ手作業だが、貴重な保存タンパクとして内地に北前船で送られ、大きな収入源となった。

見欠きにはできないニシンは肥料に。ゆでて、油を抜いて、絞って、乾かして。

ニシン粕(煮沸したニシンから魚油を搾り取ったかす)は、肥料として大変重宝され、北陸や西日本に運ばれ、稲、ミカン、菜種、綿花などの肥料になった。

押し寄せるニシンの大群を漁場で待ち受けた大勢の人が加工して小樽へ運んだ。
北陸など北前船の船主達が、海を埋め立てて運河を作り、倉庫を建てた。
倉庫の保管料で稼ぐとともに、北海道への移民者が求める物資を北前船で運び、栄えた。
ニシン漁場の写真 (余市)
下は、群来(くき)と呼ばれ、ニシンの群れが押し寄せているところ。

小樽市鰊御殿(にしんごてん)
断崖の上にある赤い建物。土砂崩れで防止対策しており休館中です。
こんな断崖絶壁です。
貴賓館(旧青山別邸)
青山家は、ニシン漁で巨万の富を築き繁栄した。これは娘のための別荘(国の登録有形文化財)。
日本銀行小樽支店の金融資料館
新札発行の展示を見ていたら、HBC北海道放送「今日ドキッ!」の取材を受け驚いた。
どこから来たか。日銀小樽支店を知った理由。来週から発行される新札についてどうも思うか。デザインについてどうか。偽造防止策についてどうか。
など詳しくインタビューされました。丁寧に答えましたよ。