沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

基地の街(立川)

2024-02-26 | 
 
戦前、立川には旧陸軍立川飛行場と立川飛行機など基地関連企業が立地していた。
 
戦後、それぞれ米軍に接収されていたが、四半世紀後に返還された。
 


約500ヘクタールの国有地は、自衛隊、警察、消防、国立病院など災害関連機関や文科省の研究機関、自治大学校などが立地。
 
国営昭和記念公園も返還地の3分の1を占める。

立川飛行機(株)の広大な土地は、立飛ホールディングスが不動産事業を展開して、大規模商業施設、アリーナを建設し、運営を通じて地域の集客と魅力向上に努めている。浅田真央リンクも作るとか。
 
立川駅北の緑豊かな商業施設「グリーンスプリングス」のカスケードとモノレール。
ビルの屋上に、緑と大きなカスケード(階段状の流れ)。
階下のホールでは、昨秋、将棋の第一回達人戦が立飛の支援により開催された。
 
 
立川からモノレールで2駅。立飛駅は、東は「ららぽーと」、西は「アリーナ立川立飛」。
アリーナは、立川ダイス(結成2年目のバスケットボールチーム)の本拠地。
このところ好調で6連勝していたが、昨日、今日と鹿児島レブナイズに連敗した。
 
鹿児島レブナイズの23番アンソニー選手は身長193センチだが、豪快なダンクシュートを決めてくれた。
アンソニー・ゲインズ・ジュニア選手(鹿児島レブナイズ)のダンクシュート
ワンハンドでバウンズパスを出したローガン・ロート選手の身長はジャイアント馬場より2センチ高い211センチ。
試合は負けたが良いプレーが見れて楽しかった。 

神社に消防車が集結

2024-01-06 | 

1/7の松の内の間に初詣をしようと、国立(くにたち)市の谷保(やほ)天満宮に行ってきました。

国立は中央線が開通して国立駅(国分寺と立川の間の意)がそのまま市の名前になったけど、元は谷保村だった。甲州街道沿いの谷保天満宮は903年建立で、1100年の歴史がある。
この神社は東日本最古の天満宮で、「野暮」「野暮天」や「やぼったい」の語句が出来たとされる説があるwiki。
 
谷保天満宮に向かって歩いて行くと、消防車が1台、2台と追い越していく。そんなところを消防車が通れるのかと思う参道を、消防車が進んでいく。
さては、階段下の広場で、古い御守りやお札のお焚き上げをしているが、火の不始末でもあったのかと思う。
 
しかし、お炊きあげのたき火は整然と燃えており異常ない。消防車は本堂の方に向かっていた。新年早々、本堂でぼや騒ぎだろうか。
しかも、さっきの2台以上にもっと集まっており、全部で6台が集結している。
 

そんな状況下でも、お参りする人々は、整然と消防車の脇を並んで、順序よく初詣してる。

隊員達も、消防車から降りて、終結している。ホースは持っていないなあ。

本堂の建物の中に、消防隊員も入っていくよ。

しかし、なんか、落ち着いた雰囲気の隊員達。

隊員達も、並び始めた。
そして、神主さんが出てきて、お祓いをしてくれた。
谷保天満宮は、「交通安全祈願発祥の地」なのだった。
一般車両の車祓い所は、手前の駐車スペースだけど、消防車たちは別格だね。

信号無視して、火災現場に急行するのが使命だから、交通事故回避は最優先事項。
別格扱いは、誰もが理解できる。

消防車両と、消防団の皆様の交通安全を心より祈ります。

交通安全祈願発祥の地について(谷保天満宮のHPより)
今から116年前、宮様が車で谷保天満宮にドライブツアーで参拝し、梅林で昼食会を催された。
 

ダイアモンド富士

2023-12-21 | 

今日の夕陽です。16時12分頃。

富士山にぶつかった光が、放射状に光の道を作って、街を照らしている。


拡大すると、富士山頂付近で、太陽が光り輝いている。
16時13分。光を失った街は急に暗くなり、高いビルの先端にだけ光が届いている。
16時14分。太陽の半分は富士山に沈み込み、大きな火の玉となった。

16時16分。山の端が金色に輝き、街にはすっかり光が届かなくなった。

街の景色も、急に、色を失った。

16時17分。富士山の影になっていないところは、まだ太陽光が届いていた。
16時19分。光の世界と闇の世界の境界。
みなさんに、いいことがありますように。
 
明日12月22日は冬至。
沖縄では、冬至の日は、太陽が生まれ変わる日で「トゥンジー正月」と言われていた。
生まれ変わった「わかてだ(若い太陽)」を見るイベントも世界遺産の中城城跡で開催されている。

メタセコイア

2020-12-19 | 
落葉針葉樹のメタセコイアです。

(針葉樹)
日本の針葉樹にはスギ、ヒノキ、マツなど常緑のものが多くて、落葉するのは寒地で見かけるカラマツくらいです。

(日本人が化石を発見して命名)
1939年、三木茂さんが関西で化石を発見してメタセコイアと命名し、1941年に学会で発表したもの。

(中国で現存を発見、日本へ)
絶滅植物と考えられていたが、1946年に中国で実在していることが判明。
1949年に挿木や種子が日本に送られ、全国各地の公園、街路樹、学校などに植えられた。(wikiより)
(樹齢は最長70年)
ということは、国内で見受けるメタセコイアは、どんな大木でも樹齢は最長70年だね。

和名は曙杉。杉のように成長が早い。




国立極地研究所 南極・北極科学館

2020-12-12 | 

国立極地研究所を探検して来ました。

南極で活躍したカラフト犬たちがお出迎えしています。

奥の建物が研究所が入ってるビル。
手前が南極・北極科学館。

館内は、
1) 南極探検という冒険物語。
2) 生き延びたカラフト犬物語。
3) 昭和基地の調査と地球の過去。
4) 北極の研究と地球の未来。
5) オーロラや現地の映像。
これらが、ワンフロアに詰め込まれております。

南極についてですが、
左下に、1912年1月に白瀬探検隊が初上陸。「大和雪原」命名とあります。
右上に、1957年1月に開設された昭和基地は、反対側(アフリカ側)です。
 
両者の間に、
①45年もの空白があること、
②南極点を挟んだ対岸にあること
が気になります。
 
目立たないところに、昭和9年の白瀬さんの色紙がありました。

「南極の領土を早く獲得し」とあります。
 
どういう意味があったのか、調べてみると、
 
白瀬さんは、当初は北極を目指し、千島やアラスカで過酷な越冬生活で準備。
しかし、1909年米国のピアリーが北極点到達に成功したため、目標を南極へ変更。
(北極点を目指していたノルウエーのアムンセンも、同様に南極に変更)。
 
1909年11月、白瀬隊は、木造帆漁船を改造し出発。冬になり上陸断念。
1911年12月、アムンセンが南極点到達し帰路に。1ヶ月後に英国のスコットが南極点到達(遭難)。
1912年1月、白瀬隊は上陸後に南緯80度まで進み、「大和雪原(やまとゆきはら)」と命名し帰路につく。
 
アムンセンは、スキーと犬ぞりで探検家として北極点到達を目標に。
スコットは、王立地理学協会の応援を背景に、科学調査を兼ねて北極点到達を目標に。
白瀬隊は、後援会の募金を得て、領土獲得を目標に。
支援や募金者の意向が目標に反映されるのでしょう。
アムンセンと白瀬さんは、南極探検の借金を返すために、講演活動を続けたそうです。

 
第二次大戦後、南極の科学調査が国際的に進む中で、敗戦国日本の参加を拒む意見があったようです。
45年前の白瀬隊の実績が認められ参加となり、役割分担で、昭和基地の場所が決まったそうです。
南極大陸の中で、オーロラ観測に最も適している場所だそうです。
 
小型ですが、オーロラ・シアターもありました。
こちらは、雪上車。実物は、迫力があります。


月の隕石と、火星の隕石です。成分を調べたのでしょうか。
南極は、落下した隕石が、氷のおかげで良好な状態で採集でき約4万8千個もあるそうです。



2億年前には、ゴンドワナ大陸で南極は繋がっていた。

ボーリング調査で過去のことが分かり、地球の歴史を知ることができたそうです。

 

戦国武将が愛した文学

2020-12-09 | 

国立の国文学研究資料館に行って来ました。

 
「戦国武将が愛した文学」という不思議なタイトルですが、織田信長を思い浮かべた方がいれば、さすがですね。
 
ーー此時、信長「敦盛の舞」を遊ばし候。「人間(じんかん)五十年 下天の内をくらぶれば、夢幻のごとくなり。一度生を得て滅せぬ者のあるべきか」、と候て、螺ふけ、具足よこせと仰せられ、御物具召され、たちながら御食をまいり、御甲めし候ひて御出陣なさる。ーー「信長公記」
 
--このとき、織田信長は、幸若舞(こうわかまい)の演目「敦盛の舞」の一節を謡い舞った。「人の世の50年の歳月は、天上界の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」。法螺貝を吹かせ、具足を付けて、立ったまま食事をして甲を着けて出陣したーー「信長公記は、家臣だった太田牛一が信長の生涯を記録した歴史資料」
 

写真は、「信長公記」を脚色出版した「信長記(1624年刊)」国立国文学研究資料館所蔵
 
幸若舞(こうわかまい)って何?
 鼓を伴奏に語りをベースにした曲舞で、室町時代に流行したもの。曲舞は、能や歌舞伎の原型となったものだそうです。
 
「敦盛(あつもり)の舞」って何?
1184年、源氏と平家が戦った「一ノ谷の戦い」で、16歳の平敦盛は退却の際、忘れた笛を取りに戻って船に乗り遅れ、追っ手に捕まってしまう。
源氏の熊谷直実は、捕らえた武将が、戦死した我が子と同じ若さだと知り、討つことをためらう。味方に怪しまれ、討ち取ったものの、このような世を儚んで、後に出家した、という物語。
 
信長の心境は?
1560年の「桶狭間の戦い」の時、信長は27歳。
2万5千人と多数の今川義元軍に対し、信長軍は3千人。圧倒的に不利な戦いで、死を身近なもの、生ははかないもの、と感じたに違いない。
出陣する際に、「人の世の50年の歳月は天上界の一日にしかあたらない、夢幻のようなものだ」という舞曲の一節を謡いたくなる心境は理解できる。
 
幸若舞は軍記物を題材にした作品が多く、人気を集め、書物に加え、主要場面は絵画、絵巻、屏風絵などに描かれている。
 

大織冠(たいしょかん) 出典は、上記と同じ。
ーー中国から送られた宝珠が瀬戸内海で竜に奪われたのを残念に思った藤原鎌足(大織冠)が,海女と契ってその女に竜宮の宝珠を取返させるという玉取り伝説。その勇敢な海士こそが、約束を交わした母だった…という王朝物。
 
などなど、文学や歴史物にさっぱりの私も、楽しめた内容でした。

月は東に 陽は西に

2020-11-30 | 
月の写真は、スマホでは難しいですね。

2日前なので、まだ明るい空です。

だんだんと、日が暮れていきます。

これが私のスマホの限界ですね。

木のそばなら、写しやすいかな。



変わらないかな。

すっかり日が暮れて、月の世界になりました。


不思議な施設

2020-11-26 | 
今日のウオーキングは出遅れたので、すっかり日が暮れてしまいました。

いつもは、大きな公園の外周を90分歩くのですが、今日は途中で新しい道を引き返しました。

その結果、珍しい、聞いたことのない施設を発見しました。

「国立極地研究所」

 怪しげです。
誰が何のために研究しているのだろーか?
極地ってどこ? 北極や南極? 月とか?
うーむ。謎である。
 
その隣には、国文学研究資料館。

これは、探検しなければなるまい。

次の施設は、国立国語研究所。

すごいね。国語を研究するんだ。

「林修先生のことば検定」みたいに、国語に関する研究を積み重ねているのかな。

ちょうど退庁時刻で、職員さんが三々五々出てきたけど、「漢字検定」とか「四字熟語」とか得意な人ばかりなのかな。どんな採用試験なんだろう。

ということで、謎は深まるばかり。


モノレールはどこから

2020-11-25 | 
歩いていると、運行路線から外れた変なところにモノレールがいました。

止まって休んでいます。
疲れちゃったのかな。

運行本線から分岐した支線のようです。
どこへ、続いているのかな。

「地下鉄の電車はどこから入れたの。考えると夜も眠れなくなっちゃう」は、春日三球・照代さんの漫才だった。

大きな建物の横に線路は続いています。
だんだん下がっていきます。

今時珍しく、有刺鉄線の忍び返しが付いています。でも、忍び返しの向きが内側だから、侵入防止じゃなくて脱出防止だね。
関係者以外立入禁止と高圧電流が流れているって、厳重だね。深い理由がありそう。

とうとう地面近くに下がって来ました。
フェンスで見えませんが、先に進みます。

おおーこうなっていましたか。
モノレールの車両基地です。
電車基地は屋外だけど、モノレールは建物の中に格納されています。

近くの案内図に、線路が書かれています。
南北道路を左から来て、右上にいます。
モノレールの引込み線は12本あります。

10分間隔の運行なので1時間に6本が必要。
上下線あるので1時間では12本、すなわち全車両が出払ってしまう。これで足りるのだろうか?
補充するとき、どこから入れるのかな。
考えると夜も眠れなくなっちゃう。


富士山が見えた

2020-11-21 | 
今日の朝焼け。
雲が一直線になってる。
その高さの温度で、空気中の水分が一斉に雲になったのかな。
沖縄の雲みたいだね。

2週間続けて毎日1万歩いていたのですが、「筋肉には休みが必要」との指摘。

2日休んで、久しぶりに歩きました。

遠くに富士山が見えるような。

拡大すると、きれい見えました。
秋の空は、空気が澄んで、遠くの景色もはっきりとよく見える。

今日は13000歩くらいかな。
歩く人、ジョギングする人、自転車の人。

駅周辺だけ、控えめのクリスマス。
人通りも控えめですね。



きれいな朝焼けの日

2020-11-20 | 
今日の朝焼けは、きれいでした。
6時頃、カーテンがオレンジ色に。
窓を開けると、雲がきれいに色づいています。

5分後に、気になって外を見やると、黄色に変わっていました。

赤より波長の短い光たちも届くようになったのかな。

今日は、風速5メートルの南風が吹いて、最高気温が24度と暖かい。

雲がきれいでした。

夕方17時でも気温が22度もあります。

沖縄と同じくらいの気温だね。
こうやって過ごしてみると、沖縄は暮らしやすいね。今の時期でも半袖だし。

沖縄の人達は元気かな。




街の緑が教えてくれる

2020-11-18 | 
歩いて見つけた緑です。

住宅地の向こうに大きな樹木がある。

神社の境内ですね。
お詣りもしておきます。

立派な庭のあるおうち。地主さんかな。
石と樹木があるから、フェンスがないね。

古い団地のけやき。


特別緑地保全地区。

これは、玉川上水(右下を流れる)。
367年前、四谷までの難工事を請け負った(玉川)兄弟が、自宅売却してまで完成させた功績で玉川姓を貰ったそうです。今も水道局が管理しています。

送電線の下の樹木群。
剪定していたおじさんに「キンモクセイですか?」と声をかけた。
通り行く人々を、花と香りで楽しませてくれる。

こちらは、野火止(のびどめ)用水。
玉川上水から分水して、武蔵野台地の新田開発に役立ちました。

残された緑は、神社、送電線、上水など街を支える永続性がある施設に付随するもの
街の歴史も教えてくれる存在で、大切にしていきたいですね。

工芸2020 東京国立博物館

2020-11-15 | 
日本の芸術文化を世界に発信すべく、現代の工芸作家が、それぞれ1作品を展示する工芸2020に、行ってきました。

上野駅で公園口に降りて、公園内を東に歩くと国立博物館の表慶館があります。

 銀打出花器「海峡」2013大角幸枝 金工

柏葉蒔絵螺鈿六角合子 2014室瀬和美 漆工


 生と静(特別出品) 2012宮田亮平 金工


 切金砂子彩箔「凛」 2015月岡裕二 截金


 海から天空へ 2018奥田小由女 人形


 黒陶「夢見る童」飾壺 2014大樋年朗 陶磁

最初の部屋だけ写真撮影が可能でした。
他にも素晴らしい作品がたくさんありました。

大きなユリの木(原産地北米)です。1881年(明治14年)に植えられたそうです。

今日が最終日ですが、事前予約で人数制限しているので、ゆっくりと拝観できました。

昼ごはんは三密を避けて、上野駅で駅弁を買って、自宅で頂きました。

     金目鯛西京焼弁当
美味しい。

国立へ

2020-11-11 | 
今日は、歩いて国立へ。

努力が実って、新しい駅の前に、旧駅舎は復元保存され、休憩所になっています。

駅舎などの歴史解説もあります。

国立といえば、大学通り。
高校生の頃、駅から南へ、通った。

夏休みには、柔道着を肩にかけて、下駄を履いてカランコロン。

国立は、約100年前に箱根土地(プリンスホテル)が開発した学園都市。
緑地帯は、今もプリンスホテルの土地だが、美しい桜並木は地元の人が植えたもの。

部活や体育の授業で、学校の周りの道路を走った。
おおー 今でも走ってる。
柔道部は裸足で走ってたけど、今はどうなのか。

緑道を散歩

2020-11-10 | 
今日は近くの緑道を歩いてみました。
基地への引込み線跡を、40年前に遊歩道にしたそうです。
ここを歩くのは、10年ぶりです。

おおー、もみじがきれいに紅葉しているのか!

樹名板の「ノムラカエデ」を調べたら、紅葉ではなく、元来こういう色のカエデだった。勉強になるね!

おっと、後ろから自転車が。

Uber  eatsの自転車だった。

周辺は住宅地になっているけど、昔はここのように畑だったのだろう。ニンジンかな。

こちらは、ドウダンツツジだね。庭木を生産しているね。

赤い実を、たくさんつけた大木に出会いました。
この時期で赤い実はピラカンサかな。
でも樹形が丸いので違うかもしれない。
思い切って聞いてみました。

「こんにちは〜」
「立派な木ですね。ピラカンサですか?」
と呼びかけると、草むしりの手を休めて、「クロガネモチ❗️」と答えてくれました。
「ありがとうございます。」

勉強になったなあ。
見たことのない立派なクロガネモチ。

街路樹や緑道の樹木は、根が横に大きく広がれず成長が制約されるので、このように枝張りの立派な大木になるのは難しい。
ここは畑地だから大きく育ったんだね。

クロガネモチの根があるので、耕作が難しく、作物は育ちにくいだろうけど、きっと自慢のクロガネモチなんだろうね。