沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

水納島(みんな島)本部町(11)

2008-04-29 | 水納島(本部町)
先週に続いて、離島です。
良い天気の日曜日って、大好きです。
海水浴場といえば、水納島だよね。
本部町の渡久地(とぐち)港から、乗船15分です。

島に着いたら、島のおじさんが海水浴客を集めて丁寧に注意事項を伝達してくれる。
こういうサービスも、珍しいよね。
人口わずか数十人の小さな離島だからかな。
「ここは、ツアー客用ですか。」とたずねるお客さん。
「ツアー以外の一般のお客さんです。」

ライフジャケットと足フィンを借りて1000円。
監視台の近くに、陣地を取ります。
もし溺れたら、この舟で運んで来てもらえるね。

よーく準備体操して、水に入ります。
ちょっと冷たいような感じがしましたが、すぐに慣れました。
4月下旬に、今年初めての海水浴です。
昨年最後も、10月下旬のみんな島だったなあ。
半年振り~(^^♪ 正面は伊江島だよ。

いよいよ、沖に向かって進んでいきます。
スノーケルでお魚を見ている子供達です。

体長80cmはある大きな魚です。
ハマフエフキです。
こっちの様子を観察しながら泳いでいます。

岩かな、と思ったら、ジャノメナマコです。
これも40cm近くあります。巨大です。

アオヒトデ君です。
拡大していますので15cmくらいです。
ウニ君と戦っているのかな。

このお魚は、何だろう。
群れをなして、泳いでいます。
ウメイロモドキ君かな。

伊江島です(20)

2008-04-27 | 伊江島(伊江村)
サイクリング中に見つけた伊江島の様子です
一面の畑の中に、見慣れない花が咲いていました。
たばこ第2黄色種と書いてありました。

手作業で、農家の方が花を摘み取っていました。

遠くに灯台があります。
伊江島の西端です。
灯台に続く一本道を走ります。

なんと、ここから先は米軍基地。
灯台は基地内のため、立ち入り禁止でした。
車の方向転換場所も、ちゃんとありました。

ここから北に向かいます。
団結道場にやってきました。
たくさんのメッセージが書き込まれています。
米軍基地の多い沖縄で、土地返還運動の原点といわれています。

「伊江島土地を守る会」の会長を務め、反基地運動の先頭に立ったのは阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)さん。伊江島へ行こう8命こそ宝 - 沖縄での一人暮らし
書いてあるメッセージは、平和資料館「ヌチドゥタカラの家」のと似ています。

バス停もあります。

リリーフィールド公園の近くにある放牧場です。
伊江牛は、美味と評判です。

伊江島ゆり祭り(19)

2008-04-25 | 伊江島(伊江村)
伊江島といえば、ユリ祭り。
全国にもTV放送され、知名度も上がってきました。
植えた株数は20万ですが、一株が複数の花をつけるので、花数はその数倍あります。

リリーフィールド公園の入り口です。
去年ここへたどり着いた時は、必死の思いだったなあ。

背後の海の青さと、ユリの白さの対比が見事で、印象的です。

狭い通路があって、海に近づいてみました。
自生のユリなのかな。

さらに近づくと、トゲトゲの岩場です。
ちょっと危ないです。転んだり、手をついたりするとケガをしそうです。
海岸が隆起したのでしょうか。
グスク山(塔頭)も世界的に珍しい地形だそうですが、水が湧出するワジーやトゲトゲ海岸もあり、伊江島の地形は不思議で一杯です。

伊江島のイノー(18)

2008-04-22 | 伊江島(伊江村)
休みが取れない日々が続いていましたが、ようやく伊江島へ行ってきました。
イノーに足を浸すと、水温も高く、これなら泳げそうです。
離島の海なのに、波が立たないのが、沖縄の海の特徴です。

サンゴです。ミドリイシの仲間かな。

青い魚はルリスズメダイかな。

巨大なナマコです。何を食べているんだろう。
30cm以上あります。ジャノメナマコかな。

伊江島のイノーの風景です。
風も波もなく、鳥の声が響く、のどかな海です。

しばらく佇んでいたら、お魚君が近寄ってきました。
よく見ると、ハリセンボンです。
怒ると水を飲み込んで、フグのように膨らんで、ハリを出すそうです。
ハリの数は、1000本の半分だそうですが、こんなに小さいのに数多いです。

パタパタと泳いでいます。

たくさん、集まってきました。
ハリセンボンの家族なのかな。


アーニーパイル慰霊祭(伊江島17)

2008-04-20 | 伊江島(伊江村)
アーニーパイル(本名 アーネスト・テイラー・パイル)
1900年 8月3日生れ
1942年 米軍に通信員として入隊。
    北アフリカ、イタリア、ノルマンディ、ドイツに同行し、兵士の観点から戦争を描く。
1944年 ピューリッツアー賞を受章。The Pulitzer Prizes for 1944
1945年 米軍の沖縄上陸に同行し、4月16日伊江島に上陸。
    4月18日 日本軍の銃弾にあたり生涯を閉じる。
彼の功績を讃えるため在沖軍人会がアーニーパイルの碑を建立し、毎年4月18日に近い日曜日に慰霊祭が行なわれる。

慰霊祭には、米軍関係者が50人近く出席した。
伊江島の村長も花束をささげた。
この小さな島で、村民、軍人3500余人が亡くなった戦争を繰り返さないと願う。

関係者が、順番に花束や花輪を置いて行く。

敷地の対角線上に立ち、トランペットの輪奏。
黙祷。

赤土の海

2008-04-13 | 沖縄のくらし
夜半から激しい雨が降って、昼頃に出かけると、川は国頭(くにがみ)マージと呼ばれる赤土(あかつち)で、河口部の海のエメラルド色が赤色に染まっていた。
波や海流の作用で、これ以上は拡散しないのだろうけど、河や河口部の海底は赤土が堆積しているのだろう。
こうした土砂が堆積することが、海を住処とする野生生物にとって、良いのか悪いのかは分からない。
赤く染まった海が、悲鳴をあげているように映る。

川も、赤い泥だらけだ。

サトウキビは、数年に一度、耕転しないと育ちが悪いらしく、どうしても赤土だけの時期がある。
そのときに強い雨が降ると、道路に流れ出し、排水口を通って川に流れ込む。

歩道が赤く汚れ、道路の側溝に流れた跡が、見える。

サトウキビから得られる少ない農家収入だけでは、効果的な対策は期待できない。
このため、校庭や畑の畦から赤土が流れ出さないように、縁に子供達が草を植える活動も試みられているようだ。

こうした取り組みが、効果的なものになって、地元の人たちだけでなく、観光客の方の理解と協力も得られて、沖縄の美しい海が守られていくことを望みます。

やぎ汁だあ

2008-04-04 | 料理
お祭りの屋台って、楽しいですね。
沖縄民謡の「童神(わらびがみ)」が流れて、お店に引き込まれちゃいます。

何にしようかな…と値札を見ると、商品は500円刻みというアバウトさ。
「やぎ汁って、1000円もするんだ。」とつぶやいたら、「貴重ですから。」と店員さん。
「やぎ汁、お願いします。」と頼んで、しばらくすると出てきました。

やぎ汁には、ヨモギ、温かいご飯、しょうが、塩がついています。
この内容で1000円というのも、いいのかも。
いろんな部分のお肉が入っています。
というか、お肉と骨とスープのみです。

しょうがと塩を少々つまんでふりかけます。
やぎ汁の味付けは、これのみです。
ヨモギの香りと歯ごたえが変化を与えます。

骨だけ残して、完食です(^^♪
ごちそうさまでした(^o^)丿

東村つつじ祭り

2008-04-02 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
東村で3月上旬から開催しているつつじ祭り。
23日(日)までの予定を延長し開催していると聞き、行ってきました。

2時間ほど自転車漕いで到着です。
つつじの山になってます。

山に上がって東の方を振り返ると、つつじ越しに、太平洋が見えます。

こちらは南の方をみた景色です。

こちらは西の方を見た景色です。
深い谷の向こう側にも、つつじ。

つつじをたくさん見た後は、お店がありました。
何を食べようかな。