沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

伊江島の風景

2020-06-18 | 伊江島(伊江村)
漁港から、北へ自転車で進みます。
タバコ畑と製糖工場。伊江島の産業です。


グスク山を撮ろうとしたら、横切るトラクター。
コレは、どんな機械なんだろう。丸まってるのを伸ばすのかな。ワクワクするね。

伊江島生まれの人に、何に使う機械なのかと尋ねたら、サトウキビかなぁと?
サトウキビの収穫期じゃないから、牧草ロールを作る機械かな、見てて楽しい機械。

写真を見ると、ISEKI WELGERとある。
走行しながら干し草を溜め込み、いっぱいになると、ロール状の牧草塊を産み落とす糞転がし君、イセキのロールベーラだった。壊れたのか、カバーが外してくれたおかげで、中の複雑な構造が見えます。

電照菊の畑です。収穫後ですね。
日が短くなると咲き始める菊の習性を利用し、電球で照らして出荷時期を調整します。

青少年旅行村に着きました。
6月18日まで休園かあ。引き返そうとしたら、ゲートのお母さんが、両手で大きなマルを描くサイン。

入れるよ。入場料は19日から有料。
ありがとう、と返して進みます。

ビーチはまだですが、売店はやってました。「にしんすに」とは、伊江島の北側の釣りポイントの名称。昔、バーベキュー食べて美味しかった店です。
沖縄そばも美味しそうだけど、今日はかき氷ならやっているとのこと。

「かき氷、カキ氷食べたい」って、強くお願い。
「中身は?」て聞かれたけど「お任せ」。
そしたら赤黄青のなんか3種類ミックスしてくれた。150円とはスモールサイズだったのかな、安くない?

青い空白い雲エメラルドの海に赤黄青三色のかき氷。

伊江島最後と思ったけど、「にしんすに」の沖縄そばを食べなきゃいけない。

タッちゅんです。帽子がグスク山、ハイビスカス、伊江フェリー。

パンツはジーマミ(地豆 ピーナツ)。
背負っているのは、

島ラッキョウ。
伊江港のタッちゅんは、テッポウユリにマスクとのぼり旗。

お土産は、ゆり酵母仕込み泡盛「伊江の華」とジーマミ。

ありがとうございました。

伊江島の漁港

2020-06-17 | 伊江島(伊江村)

高さ172メートルのグスク山から、ゼロメートルの海岸に向かいます。

山から海へ。位置エネルギーが運動エネルギーに変わるね。海辺につき振り返ると、グスク山がコッチを見てる。


全ての道は、ローマに通ず。
全ての道は、グスク山に通ず、だね。
漁港の前に拝所があります。
阿良御嶽(アラウタキ)。航海の安全を祈願します。

階段を上がると、やはり。
拝む先に、グスク山。

拝んだ後に、漁港の桟橋に行きます。

エメラルド色の海が広がっています。
カニさんが、魚を待ち受けているのか、頑張っています。

伊江島いいですね。





伊江島の全景(グスク山)

2020-06-16 | 伊江島(伊江村)

 自転車ギコギコ鳴らして、グスク山の登山口に到着です。

階段が続きます。自転車で膝酷使してるのに、膝にきますね。大きな木の株が手すり曲げとる。


広場に到着。車はここまで。階段を知らずに自転車でここまで上がったことあるけど、大変だった。

ここから頂上まで、再び階段です。

手すりを頼りに登ります。
階段は急勾配で、蹴上げの高さは25 センチもある。7段上は身長くらい。こたえるね。

テッポウユリ が自生しています。

島の西側が見えます。奥に飛行場が見え、その先は米軍基地。
島の南側は民家。北側は畑や牧草地です。

頂上からのパノラマです。
海風が心地良いです。
本部半島、水納島が見えます。
雲が、モコモコ、蒸気機関車が通ったみたいに一直線。

頂上で休んで、もときた階段をゆっくりおります。麓には城山御嶽(グスクヤマ ウタキ:拝所)があります。

行きは、お祈りしている人達がいたので、帰りでしたがお参りさせて頂きました。


山が信仰対象ですね。

自転車の旅は続きます。


伊江島へ

2020-06-15 | 伊江島(伊江村)
久しぶりのいい天気。
1ヶ月以上新型コロナ陽性患者が出ていない県民は、離島への渡航自粛が解除された。

洗濯物干して、時計見たら10時。
11時のフェリー大丈夫かな。
ひたすら自転車のペダルを漕ぐこと45分、本部港に着いた。

伊江島14回目なのに、いつも慌ただしい。何でかな。
海が青い。空も青い。日焼け止め塗った。紐付き帽子もかぶった。
リュックに炭酸水1リットル、タオルも空気入れも、充電器も、マスクも2枚ある。

伊江港です。
この角度、塔頭の角度に合わせたよね。

塔頭(たっちゅう)と呼ばれる城(グスク)山を、自転車で目指します。

75年前の沖縄戦の跡。陸軍飛行場があり、攻防拠点となった。住民と日本兵の死者は約4700人。今の伊江村の人口は4100人。

だんだん坂がキツくなってきます。
道端に、花が綺麗に植えられています。

畑仕事の方が、木蔭で休んでいました。
「道端の花が綺麗ですね」と声をかけたら、「2人は先に行ったよ」とすれ違いの返事。

察するに、2人連れの自転車の後から、遅れた自転車1台やって来た。教えてあげよう、かな。
「私は1人ですよ。道端の花が綺麗ですね。」と、もう一度声をかけた。
「植えたんよ。」と嬉しそう。

「ゆり祭り、今年は残念でしたね。去年土産に買った球根が、東京で今年も咲きましたよ。」
「東京から来たんか?」
「いや名護ですけど、東京に家があります」誤解されてはいけない。

「私の娘も東京にいるよ。」
「ご活躍されているんですね」
「美人だからね」
「それは聞いてないですよー。でもその通りだと思いますよ。」
大笑いしてくれた。

「写真撮っていいですか?大丈夫です。暗くて写らないから」
また笑ってくれた。

「この実は、バナナですか?」
「そうだよ。2ヶ月すると食べられるよ」
「カラスとかに食べられませんか?」
「大丈夫だよ。1ヶ月したらあげるから、またおいで」
嬉しい言葉だった。
「ありがとうございます。気持ちだけ嬉しいです。お元気で。」

楽しい伊江島サイクリングになった。
そして、塔頭を目指すのであった。

表紙の写真は、伊江島のシンボルで構成されています。答えはいずれ。

伊江島の落陽

2020-05-22 | 伊江島(伊江村)
あたりが明るくなり、西の海を見ると、夕陽が沈むところだった。

伊江島の城山(グスクやま)に沈むのかな。

やや北側かな。

水平線近くに雲があるようです。

お日様が、雲に隠れてしまうかな。



なんとか、雲の合間から顔を出しています。

伊江島に沈むことができるかな。

雲間から現れ、線香花火の最後の輝き。

伊江島に半分くらい沈んでいます。

太陽 伊江島に落つ。


伊江島(米軍基地)

2019-04-27 | 伊江島(伊江村)


湧出ワジー です。高さ60メートル断崖絶壁の下から湧水が海へ流れていく。

昔は、ここから汲みあげる大変な暮らしだったと。

「戦後、米軍らの手によって送水管が設置され便利になり、水不足に悩んだ島も解消された」と解説板にあります。

ボコボコの米軍補助飛行場です。

外国人の10代の子供達が9人、元気よく走って行きます。 さっきは登り坂で自転車のギアが外れた女の子がShit!って 10代だよね。

この子達に追い越されるのは、今日2回目です。

米軍基地の境界です。標識だけ立っています。

普通の農地のように見えますが、突然、米軍の管理区域になります。

伊江島の土地を守る会1955年5月 の団結道場です。

米軍占領下に、土地を奪われた農民の人たちが戦った拠点です。

「命こそ宝」阿波根 昌鴻(あはごん しょうこう)さんの活動拠点です。

無抵抗/非暴力による市民の抵抗。

インドのガンジーや米国の公民権運動のキング牧師と同じです。 生きていくために必要な塩を、植民地支配の英国が専売し収入源とすることに抗議したガンジー(ガンディー)の「塩の行進」が1930年。 阿波根さんも伊江島に来た牧師から闘い方を教わり、農民から農地を強制収容したら 乞食になるしかないと抗議し、1955年沖縄本島を半年かけて「乞食行進」を行い、土地奪還運動の礎となった。 初代大統領リンカーンが奴隷制度を廃止して100年経つのに、未だに残る人種差別に抗議したキング牧師たちが20万人以上の米国民とともにリンカーン銅像の前に集まった「ワシントン大行進」が1963年。

「金持ちの庭にも、貧乏人の庭にも、花は等しく美しく咲く。」

占領している裕福な米国と、土地を奪われた貧しい伊江島の人々。

どちらの庭にも、花は美しく咲く。

裕福か貧乏かは無関係に、花の命は生まれ、咲く。人間も同じであるべきだと。 相手の信じている聖書などから引用して問う。

バス停と米軍基地の境界。何の変化もない普通の風景なのに、今でもここから先は米軍基地だと。たぶん建物は規制されているのだと思う。米軍補助飛行場も農地も、有事の際には、基地そのものとなる。

内地ではあり得ない、不思議な風景が、伊江島では当たり前になっています。

戦後74年、沖縄の本土復帰から47年経つのに、変わらず…。

「求む 軍用地」。

米軍基地の区域内の土地、すなわち「軍用地」が、不動産屋の取引条件となる。

内地と違って、沖縄の米軍基地は殆どが民有地。

地主が強制収容所に収監されている間に米軍により基地が建設され、未だに多くが返還されていない。

「財産権は、これを侵してはならない。財産権の内容は、公共の福祉に適合するやうに、法律でこれを定める。私有財産は、正当な補償の下に、これを公共のために用ひることができる。(憲法第29条)。」国から、少額だけど財産権の制限に応じて借地料が入る土地という付加価値がある。阿波根さんたちは受け取りを拒否して裁判を起こした。

これも沖縄だけの風景。

牛さん です。放し飼いなのか、寝そべっております。牛さんも花と同じですね。


伊江島ゆり祭り

2019-04-27 | 伊江島(伊江村)


久しぶりにやってきました!
前回は、確かオープン前でだーれもいなかった。
今回は10連休の初日なので、計画的に早めに家を出て、自転車1時間かかって本部港フェリー乗り場に到着。混んでるけど、自転車は身軽です。

30分で伊江島に到着。

自転車だと、好きなところ廻れます。

JAでお弁当をゲット。

伊江島の暮らしには、きれいな花がある。

そして どこからも伊江塔頭が見える。

きれいな仕立てです。

ヤギさんと牛さん

タバコと伊江塔頭。

紅芋タルトの紅芋と塔頭。 しかーし、伊江塔頭を左に見ればリリーフィールド公園にたどり着く、と思ったら大間違い。 伊江塔頭の周りをグルグル回転地獄になるのです。 展望休憩所が見えると言うことは、完全に通り過ぎてしまいました。他に目印無いし。

海岸に自生しているテッポウユリ。

西洋人が多いですね。人気です。
伊江島のテッポウユリはヨーロッパでは、サンタマリアとして、特に人気だったそうです。

伊江島特産のミルクとココアのジェラート。


伊江島の新しいフェリー

2018-07-14 | 伊江島(伊江村)


新しいカーフェリー「ぐすく」の就航式をやっていました。

「離島苦(りとうく)」いう言葉があります。
離島の伊江島において、島民が苦しみ、いつか未来には克服したいと願うことが2つ。
①医療と②交通の確保。

生活物資や島民を運ぶカーフェリー。
ぐすくは「城」で、伊江島を象徴する塔頭はグスク山とも呼ばれ神聖な存在です。

旧ぐすくは、本島の本部港と伊江港の間を往復。26年間働いて500万人を運び、航海距離は地球11周にも相当する。

耐用年数を既に超えており、バリアフリー対策や横揺れ防止装置の付いた定員700名のフェリーが必要だった。

操舵室(最上階)

エンジン室(階下)

航海安全を祈る「アヤメ歌」を、島の女性達が輪になって歌います。


こちらは、国の無形文化財に指定された伊江島の村踊の1つ「シティナ節」。

新しいものと、古くから伝えて来たもの。
伊江村の大切なものを見せて頂いた日でした。


伊江村海神祭

2018-06-17 | 伊江島(伊江村)


大漁と航海の安全を神に祈る海神祭の日だった。
旧暦の5月4日が6月7日。県内各地でハーリー。
伊江村でも、午後からハーリー大会。

中学生は、各クラス2チームで12チーム。
職場では、農協、漁協、ヘアサロン、福祉施設、学校など24チーム。
さらに、中学校の同期会が17チームもある。

学年対抗だが、中学1年のタイムがトップになることもある。

オールを漕ぐタイミングが合うと、グイグイ前に出る。バラバラだと、前に進まずに、もたつく。

村の人もたくさん応援に駆けつける。

夜にはステージがあるようです。
盛り上がる気配。


伊江島へ

2018-06-17 | 伊江島(伊江村)


伊江島の城山グスクヤマ からの風景です。
いつもは 反対側から見ている景色です。

自宅から自転車でやって来ました。

フェリーは快適 新しい船かな。

コープでお弁当買って登山口へ。
ここまでも、結構キツイ!

階段と手すりがあるから登りやすい。

休憩しながら、しばらく登ると、いい景色。

頂上で お弁当。風が心地よい。

誰かの吸殻も拾って綺麗な塔頭を。






伊江島へ

2018-04-21 | 伊江島(伊江村)


2年ぶりに伊江島を目指しています。
テッポウユリが咲いている頃だし。
自転車も、買い替えたし。
フェリーは、欧米の家族も多いね。

自宅から、本部港まで自転車で1時間。
伊江港からショートカットルートは、登り坂が続く。
膝にくるね。18段ギアなのにね。

サトウキビの植え付け。
大変そうですね。

こちらは葉タバコだね。花はそろそろ摘まないとね。

このマシーン 自走するタイプ。凄いね。

牧草ロールと伊江塔頭。
我ながら、ナイスショット。

伊江牛は、牛舎でお休み中。

着いた~、リリーフィールド公園。
しかーし、誰もいない。

作業している人に尋ねると、伊江島ユリ祭り は、明日開始だった〜。
良かったよかった、ユリ独り占めなのだ。それに静かだし。

そして、サイクリングは続くのです。

ハイビスカス園。 入場無料

風力発電の風車。 迫力あるね。

向かい側に、沖縄美ら海水族館が見えた。屋根が光ってる。

わびあいの里です。ヌチドゥタカラ(命こそ宝)の家・反戦平和資料館

植民地時代のインドで支配者英国を相手に、無暴力の塩課税反対行進を行ったガンジー。 米国統治時代の沖縄で琉球政府を相手に、無暴力の土地返還運動を行った阿波根昌鴻(あはごん しょうこう)。 肉声を、録音で聴かせて頂いた。


伊江島の虹

2017-10-19 | 伊江島(伊江村)


今朝、通り雨があった。
風向きの関係から、西側に雨雲が移動すると、虹が見える。

雨雲が近いせいか、大きな虹だ。
しかも、二重にあって、雄大だ。

伊江島が、小さく見える。


今日は、薄曇りで気温は29度だった。
夕焼けは、こんな感じだった。