沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

屋我地島

2007-05-29 | 名護市
奥武島から屋我地大橋を渡ると、屋我地島です。
5年前、ベニアジサシという鳥に足環をつけたら、約6,000キロメートル離れたオーストラリアのグレートバリアリーフで越冬することが初めて確認されたそうです。

カモメ科の鳥で、無人の小島などに集団で繁殖し、サンゴ礁等の浅海域で小魚を空中からダイビングして捕獲、採餌するそうです。
こうした環境が、生息に適しているんですね。

歩道を自転車で走っていると、木が現れた。危ないぞ。
樹木を大事にする土地柄だなあ。

ここで、車の少ない西を目指す。
どこへ向かうのか。

畑の中に、工事現場。
新しい道が出来つつあった。

島で、一番高い地点を目指します。
一面のパイナップル畑。どんな種類なのかな。

道は突き当たり。ここで東に進路を取る。
海に向かって真っ直ぐ下り坂。風を切る。

着いたところは、山羊の家。
立派な、おうちだなあ。

古宇利島につながる古宇利大橋が見えた。


奥武島

2007-05-27 | 名護市
国道58号線から古宇利(こうり)島へ渡るためには、奥武(おう)島、屋我地(やがぢ)島を経由して行きます。
最初にあるのが、奥武島。
奥武島は、死者を弔った場所で聖地として崇められ、住むことが禁じられていた島です。
浅い海で、潮が引くと、こうなります。

引き潮だと、地続きになり、渡れそうです。
一日に2回、引き潮になると渡れる島だから、聖地になったのかな。

ヒルギの仲間でしょうか。
植物も、少しずつ耐えながら、渡り始めています。

人間は、この時を逃さず、潮干狩りです。

屋我地大橋の手前側に、石碑がありました。
のがれの島の碑
ハンセン病患者達が、住む家を焼かれてしまい、逃れた島には水がなかった。
そして、屋我地島に地上の天国を建設したことが記されています。

中央の小さな島が、半年間のがれて生活したジャルマ島です。
ここも、死者を弔っていた島だそうです。

屋我地大橋を渡り、屋我地島の先端に、国立療養所があります。
石碑に出てくる青木恵哉が、偏見と闘いつつハンセン病者安住の地を勝ち取った。
安住の地を求める姿は、「砂の器」を思い出しました。
国立療養所 沖縄愛楽園

古宇利大橋からも、見えます。

美しい風景にも、人々の様々な歴史があります。

名護の暮らし

2007-05-26 | 名護市
古宇利島は今帰仁(なきじん)村ですが、橋の手前側までは名護市です。
話題の米軍基地は逆方向の太平洋側です。名護市は沖縄北部の拠点都市で広いです。
名護の街中から、自転車に乗って、北東に向かいます。
ある場所だけ、きれいに花が植えてありました。
「救急車を優先」「花は美」とも書いてあります。
植えた人の気持ちが、伝わってきます。

旧道を走ると、昔の家並みに出会います。
セメント瓦という、名護で生まれ普及した瓦です。

高台にある森から景色を眺めていたら、屋根の修理風景を見つけました。
漆喰を使わずに並べるだけなので、赤瓦に比べて補修が簡単だそうです。
名護発祥の屋根材 セメント瓦

海に近い集落です。
年配の方が、停止線(白線)を引いていました。

こちらは親子で停止線と「止まれ」を引いている最中です。
住みやすい暮らしは、自分達で支えています。

古宇利島(2)

2007-05-23 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
古宇利島の風景です。
この島は、島の西側対岸の今帰仁(なきじん)村に含まれます。
観光客は、屋我地島(名護市)から古宇利橋を渡ってやってきて、周回道路で島を一周すると、再び橋を渡って帰っていきます。

海は、どこまでもエメラルド色。

近寄ると、透き通っています。
足を浸すと、泳ぐにはやや冷たい感じ。

島の南斜面にある集落です。
風を除けるためか、道からは石積みの塀と屋根だけが見えます。

北端の砂利道を下ったところにある海岸。
引き潮を利用し、イノーの先端で海産物を探しているのかな。

海辺の畑地帯です。
平坦な地形に耕して、畑を作っています。

畝に植えてあるのは、サツマイモの茎でしょうか。
植えたばかりで、水遣りが必要ですね。

梅雨入りしたのに晴天では苗が枯れてしまいます。
母親が給水車のホースを持ち、黙々と畑の水遣りをしています。

小さな男の子が畝の間で、仕事が終わるのを待っていました。

畑の水はどうしているんだろう、と思っていたらありました。
周遊道路沿いの給水所です。
2500リットルで100円と書いてあります。

海や橋の美しさとともに、生活の厳しさが伝わってきます。

古宇利(こうり)島

2007-05-21 | やんばる4村(国頭・今帰仁・大宜見・東)
古宇利島へサイクリングしてきました。
この島は、2年3ヶ月前に古宇利大橋で屋我地島と結ばれました。
橋の先にある島が古宇利島です。上の写真では手前側。
人気スポットですが橋の途中は駐車スペースがなく、前回来た時は写真が取れなかったのですが、今回は撮れました。
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島の地図です。
丸い形をしており、一周できます。

道端の小さなお店でちょっとお休みです。
島タコの刺身500円。いいねえ。
サイクリングしてタコ刺しを食べるとは、普通じゃ出来ないね。

これって、アロエの畑だ。
スーパーに並んでいたなあ。

こんな風景に出くわしました。
砂利道でしたが、この先へと進んでみたくなりました。

さらに下りていくと、海岸に出ました。

タコ発見。これは食べれないけど。

島タコだけでなく、7月になるとウニが採れるらしい。
海産物も豊富な島です。

首里の散歩道

2007-05-19 | 琉球・首里城
下校中の小学生に道を尋ねた。「教会はどこにあるか知ってる?」
「知ってる。学校の反対側の坂の上にあるよ。」

「教会って何をするところ?」逆に聞かれた。
「お祈りをするところだよ。」「何にお祈りをするの?」
「神様だよ。」「神様って、どこにいるの?」
「自分の心の中にいるんだよ。」「心の中かぁ。」と自分の胸を押さえた。

教会は、学校の裏手にあった。
今は教会だが、戦争で消失するまでこの場所に「御茶屋御殿(うちゃや・うどぅん)」があった。
「東苑」は、首里城の東にある国王別邸の意味。
稜線上にあり展望のよい場所だ。晴れたら久高島も見えるかな。

稜線に沿って、首里城まで歴史散歩道が続いている。
道に面した家も花を植えて、美しい。ヒジガービラまーい。

巨大な石造獅子。この獅子は、御茶屋御殿にあったものだそうだ。

雨乞御嶽(あまごいうたき)。干ばつが続いたとき、国王が祈願した場所。
いつの世も、干ばつは大きな問題だったんだね。

子供達たち、ネットを張って野球の準備かな。

石畳の道と公園で散歩道はつながっています。

「下り坂大丈夫?」と声をかけると「ブレーキあるんだよ。」と女の子。

お祈りをしたくなるような、大きな樹木があった。

散歩道の終点。首里城が見えた。中央が正殿。左が書院。右が二階御殿。
いずれも国王がいた場所だ。ここから見る首里城もいいね。

ドルフィンブルー フジもういちど宙へ

2007-05-12 | 美ら海水族館
原因不明の病気のために尾びれを失ったイルカのフジと、飼育員、獣医、イルカ好きの少女、タイヤ会社の技術者たちのドラマ。

実話に基づいた映画が、今年の7月7日から全国で公開されます。
試写会が沖縄市で開催されたので、行ってきました。
久しぶりに、いい映画を観たなあという感じです。

すでに有名な話で結末はわかっているのですが、映画の中では見所がたくさん用意されています。

登場人物が、イルカのためを想うが故に、協調し、そして激しく対立する。
そしてとプロジェクトを成功させていく過程が巧みに描かれていました。

獣医が主人公ですが、飼育員の情熱のすごさを感じました。

人工尾びれの装着の是非を巡って対立した際に、イルカと30年付き合っている海獣課長が、「イルカが口を利いてくれたら」とつぶやくシーン。

人工尾びれを装着するか、イルカ自身の判断に委ねるシーン。

おじい役の区長(下の写真)が、「沖縄の良さを映画化してくれて、誇りに思う」と語りましたが、沖縄の暮らしや風景の素晴らしさにまず、感動しました。
ロケ地を探すためにスタッフたちが本部半島を探し回ったそうです。
海洋博公園のイルカラグーンのほか、瀬底(せそこ)島、古宇利(こうり)島、今帰仁城跡に近いある集落でロケが行われたようです。

沖縄の良さと、イルカのために情熱を傾ける人々の生き様に焦点をあて見事に映画化してくださった、プロデューサーの山上徹二郎さん、若い監督の前田 哲さんの”テツコンビ”に感謝です。

映画については、 映画『ドルフィンブルー フジもういちど宙へ』オフィシャルサイト

実話や現在の様子などは、 MouRa|イルカ、フジ|美ら海 イルカ日記

過去の記事  イルカのフジ
過去の記事  人工尾びれのイルカ

伊江島へ行こう(6)

2007-05-05 | 伊江島(伊江村)
バスが見えた!間に合った。
前回の最後の写真にもフェリーが写っていたのですが…。
拡大しました<(_ _)>
那覇バスや琉球バスの伊江島観光ツアーが、フェリーに乗り込むところでした。

伊江島の周遊コースは、平坦でサイクリングに適しています。
しかし今回のように、短時間で縦断コースを走るとちょっときついです。

縦断図をグラフにしてみました。高低差は50m、往復10kmです。
写真ポイントも加えました。上が行きに出会ったもので、下が帰りです。

伊江島の港にお別れです。
また来るからね~(^^♪

最終フェリーは満員でした。観光バス何台乗っているんだろう。
お昼を食べていなかったことに気づき、ポークランチおむすびを買って、船の最上部へ行きました。

瀬底大橋の下を通過。結構、ギリギリかな。

おおーっ。伊江島に向かう最終便。
修学旅行生で満員だ。
伊江島は農家民宿への宿泊が大人気だそうです。

30分で本部港へ着きました。
女性観光客は、お土産のユリを持っています。

ここから2時間かけて帰りました。
風も出てきました。海岸沿いの道は、風にちょっと弱いかな。
サドルに座るのが飽きた、というか痛くて、時々立ち漕ぎ。

今日は立ち漕ぎが多かったけど、離島の大変さと、人々の努力を感じることができたのが収穫でした。
サトウキビから燃料開発、花の観光、修学旅行の農家民宿と、最先端の工夫をしている活気のある島でした。
また、行ってみたいです。

伊江島へ行こう(5)

2007-05-03 | 伊江島(伊江村)
時計を見ると、フェリー出発時刻まで25分しか残っていなかった。
最終便の16時35分発に乗らないと今日中に伊江島から出られない。
足を休めるまもなく、自転車にまたがり、来た道を戻る。
ユリって海岸沿いに咲いてるから、また坂道を登らなくちゃならない。

おまけに、強い向かい風。自転車が前に進まない…。
なんで自分はこんなに苦しい思いをしているんだろう。

サトウキビからアルコール燃料(バイオマスエタノール)を作る実験をやってたのは伊江島だった。伊江島における実証試験
オイラにもアルコールエンジンが欲しいなあ。

時間短縮の方法は、近道と上り坂。
近道は、モクマオウ並木を通過する際あった左から合流する道に出れれば…。
その道を目指して、畑の中をショートカット。賭けに出る。
上り坂は、立ち漕ぎの連続。足がつりそう…。

こんな観光客はめったにいないよなあ。
午前中の便で来て、ゆっくり滞在するのが普通だよなあ。
あきらめて、伊江島に泊まろうかなあ…。

モクマオウ並木に合流したよ。ショートカット成功(~_~;)
防風林が、ありがたいです。
島の人も、同じ思いでこの木を植えたんだろうなあ。

防風林や牛さんに励まされて自転車漕いでいると、城山が見えてきた。

これ、走りながら撮った。
何を写したんだろうか。

きれいな家。ブーゲンビリアかな。花はいいねえ。

これが村役場だよ。

ここから、急な下り坂。もう少しだ。
カメラ片手じゃ危ないけど、車が少ないね。


こりゃ!なんじゃ。思わず、引き返す。
日本軍の置き土産なのか。
時間がないから追及できないけど伊江島には米軍基地があった。

最後の角を曲がって、港だよ。果たして…。

伊江島へ行こう(4)

2007-05-01 | 伊江島(伊江村)
着いた!リーリーフィールド公園。
100万輪の鉄砲ユリです。1万じゃなくて100万…
第12回 伊江島ゆり祭り
三分咲きくらいかなあ(4/22時点)。
でも、十分見ごたえがあります。

東シナ海と鉄砲ユリの組み合わせ。

動画も撮りましたよ。
ユリ祭りの風景YouTube - 伊江島ゆり祭り
ユリの自生地発見YouTube - 伊江島の自生ユリ

浜辺を見ると、鉄砲ユリが咲いていました。
「あれは自生ですか?」と島の人に尋ねると「そうです。」と答えが返ってきた。
1万本のユリは、自生ものを増やしたのか、品種ものを植えたのか不明ですが、同じ鉄砲ユリです。

来週のGWには満開になるらしい。
もっとゆっくり眺めていたいけど、自分には残された時間がないのであった。