誕生日に、突然届いた。
開けてみると、カチンカチンに凍った山羊刺身と山羊汁。
冷蔵庫で1日解凍して、まずは刺身をいただきます。
名護市のサミットビルの前にある、ひんぷん山羊料理の2号店。50年を超える山羊専門店の歴史があり、超有名です。
冷えたグラスでオリオンビールを二杯飲んだら、山羊の刺し身。
生姜醤油に酢を加えて、頂きます。
実に、美味しい!左の皮はコリコリしており、右の赤身は柔らか。交互にいただく。
生肉は大丈夫なのかとよく聞かれるが、山羊は清潔な環境で育てられ、草しか食べないので、生肉を食べて体調崩した話は聞いたことがない。
沖縄では、正月や新築祝いなど節目の行事にいただく貴重な料理です。
お店のカレンダーには大晦日に刺し身20人前、15人前と持ち帰り用の注文がたくさん入っていた。
続いて山羊汁。泡盛のロックでお肉をいただく。今帰仁酒造の「千年の響」香りと味わいがいいね。氷無い方が好きだけど、呑みすぎちゃう。
ご飯は、最後にスープに入れて雑炊でいただくのが美味しい。
創設者で今春1号店を引退したおばあのおススメ。
今年の山羊納めなのでした。
おばあの娘さん達が、伝統の味を守っています。
おばあはここにいます。転ぶのが怖いので出歩くのは控えていますが、元気です。1号店の復活はあるのでしょうか。
写真掲載の了解は頂いています。
おばあから電話がかかって来た。
ひんぷん山羊料理2号店で、
日本テレビの番組取材を受けるという。
取材は料理中心で、おばあは、山羊汁と閉店記事と一緒にカメラに映っている。
おばあに会ったのは5か月ぶり。
少し太った、という。元気で良かった。
取材が来る前に、ビールを注いでくれながら、いろいろお話をしてくれた。
お店にいる時は、常連さんや観光客の方と、たくさんお話したけど、今はできないのが寂しい。
部屋の窓から、川面の魚を見てる。
近くに住んでいるので、時々歩いてやって来る。
転ぶのが怖いので、杖をついている。
閉店したけど、新しい店は難しいようだ。
2号店を、看板を外して本店にすれば良いと言う。
2月の沖縄タイムスの閉店記事は、2号店のことが書かなかったのがいけない、と言う。
自分が55年間続けた山羊の店が終わったとするのではなく、子供達や孫によって継承されていることを、記事に書いて欲しかった。
いろいろ話したのに、記事は閉店部分だけだったと、おばあは今でも残念がる。
二男の嫁、三男の嫁と孫、従業員の4人で、夕方3時から朝3時まで交代で頑張っている。
山羊を飼育しているので、それも大変らしい。
娘さんによると、夜中に眠れないと言って時々おばあが現れて、厨房を磨いてキレイにしているそうだ。
おばあの山羊料理への想いが、伝わるといいですね。
山羊を食べに、みどり街の2号店へ行ってきました。
以前より、店構えが明るくなった。
ヤギさんの絵も描いてもらったんだ。
店内には、おばあの姿はなかったけど、娘さんが厨房にいた。
「この間、新聞に載ってましたね」と声をかけると、「続報も出るんです」と言う。あの記事のままだとお店が本当に終わっちゃうと誤解されるかも。
琉球新報も取材があったらしい。
どんな記事が出るのか、楽しみだ。
日本ハムファイターズの名護キャンプが始まリ、街は賑やか。
店内にも、富山から来たというカップルがいた。
「ヒツジを食べたことはあるが、ヤギを食べるのは初めて」と言う。
山羊と羊 、漢字は似てるけど、肉の味は似てないと思う。ヒツジの定番料理のジンギスカンは肉の臭いを消す料理なので、ヤギも同様に臭うと想像しているのかもしれない。
それに、羊肉の刺し身って聞いたことがない。美味しそうには思えない。
そう考えると、山羊の刺し身を美味しそうに食べている我々を目の当たりにして、この人達はビックリしているのかもしれない。
そのお客様は、ヤギ汁を注文した。
「ヤギ汁って、飲んだことない」と女性がいう。
飲み物じゃないんだけど…。
それに、見た目は驚くほど悪いよ。
一人で来ていた地元のおじさんと話し込んでいたので、その後初めて見たヤギ汁が気に入ったのかどうかは、わからない。
我々も山羊汁を頼み、泡盛のボトルも入れた。泡盛はストレートでいただくと味がよくわかる。チェイサーの水は空いたビールグラスで十分です。
お孫さんも、途中で現れた。
二人で、山羊刺し身と山羊汁とビールに泡盛のボトル1本を入れてお代は4500円。
御馳走様でした。
本日の沖縄タイムスに「老舗ヤギ料理店に幕」という見出しが載った。
沖縄タイムスは、琉球新報と並んで沖縄県民の愛読紙だ。
名護市の「ひんぷん山羊料理店」の記事だった。
88歳の宮里さん のれん守り56年「名残惜しい」 とある。
緊張しているのか、おばあは笑顔を見せていないよ。
家の周りは、再開発工事が進み、取り壊されるのは、間近だ。
記事にはそのことは触れていないけど…。
一面の「沖縄タイムス」のタイトルの直ぐ下にある本日のトップ記事目次に、
この記事がカラー写真と要約つきで紹介される、重要ニュースだ。
「新しい名護市長が、首相と面談」という重大記事よりも、上に紹介されている。
異例の扱いだ。
全国にも、この店のファンが多いからなのだろうか。
おばあが作り上げ、守り続けた料理文化への敬意の表れと、お別れのメッセージなのだろうか。
ひんぷん山羊料理店は開発の立ち退きで閉店しますが、娘さんと孫が経営する「ひんぷん山羊料理2号店」に継承されています。
…ひんぷん山羊料理店には、何度も行きました。
お店に関するblog記事は、このblogのカテゴリー「名護市」に数多く掲載しています。
おばあの考え方や生き方も記事にしましたので、よろしければ見てください。
昨日、ひんぷん山羊料理店に行くと、今月限りで閉店するという。
カウンターに「お疲れ様様でした」と書かれた胡蝶蘭が置いてあった。
住居と道路の間に、店を構えた造り。
雰囲気がとても良かったのだが、これも見納めだろうか。
お品書きは3種類だけ。
ヤギ汁 1000円
ヤギ刺身 1000円
ヤギソバ 700円
ヤギは一頭ずつ自分で見て仕入れている。
1歳半くらいが美味しいらしい。あとは体型とか、コツがあるようです。
1000円では、利益が出ないので値上げしたらと思うけど。
新しい店は、駐車場があるところを探している、とおばあがいう。
遠くから車で来るお客さんが多いからね。
4月の入学祝いには、相当数のヤギの需要があるので、それまでに開店できるといいけど。
長らく住んだ家だし、引っ越しも大変だねというけど、おばあは気にしていない。
そういえば、杖も持っていない。
おばあ、完全復活 みたいです!
89歳にして、引っ越しへの不安とか、引退の考えは感じられない。
おばあは元気で、うれしい。
おばあから、電話がかかって来た。
三枚肉を作った、という。
珍しくお客さんが誰も来なかったので、おばあからいろいろな話を聞いた。
山羊専門店を出す前は、名護の公設市場でレストランをやっていて、いろいろな料理を出していた。
当時の沖縄の人たちは、山羊は会社の職場などで自分たちで料理をしていた。
冷蔵庫も冷凍庫もない時代だったので、すぐに食べないと傷んでしまうものだった。
沖縄は、お正月や小学校入学祝いなどのお祝い事には山羊が欠かせない。
55年前に、初めて山羊料理の専門店を出した。山羊肉の刺身と山羊汁だけ。
ヨモギ入れるのもウチが最初。当時から値段は千円。今も。
山羊肉は臭うので苦手という人がいるのが、不思議だ。
3年前に内地から競輪の選手が大勢、山羊を食べに来た。どれだけ臭いのかと来てみたら、全く臭わないと驚いていた。
調理場は、綺麗に磨いて消毒する。野菜も葉っぱ一枚ずつ洗う。ゴーヤも塩で揉んでから出す。
夏場は特に神経を使っており、55年間保健所から言われたことはない。
店は借地なので古いままで手直しもせずに見かけは悪いが、調理場はピカピカ。
……そして、重大な話を聞いた。
来年2月か、3月には、閉店するという…。
10年前から地主さんから立ち退きを求められていて、頑張って営業を続けてきたが、閉店するという。店の周囲は大きなマンション建設が進んでいるから、この場所も駐車場か何かに変わるのだろうか。
閉店後は、緑街の2号店で、15時くらいから店を開けて営業を続けるとともに、大きな店も探す。
この店の山羊料理を楽しみに、遠くからやって来る人もいるのだから、閉店の予告は早めに出してくださいね。
55年続いた、味のある古い店が、とうとうなくなってしまうのか。
先週、ひんぷん山羊料理店に行くと、近々、おばあが退院予定という。
今週、ひんぷん山羊料理店に行くと、退院したおばあが出迎えてくれた。
89歳になるが、72日間の入院治療とリハビリを終えて、おばあは元気だった。
うれしい…。
奥の部屋から出てきて、テーブル席に座って、いろいろな話をしてくれた。
55年間続けているおいしい山羊の刺身と、山羊汁をいただきながら、お話を聞いた。
朝起きて、動き始めたが、気がついたら転んでいた。
這い這いして、なんとか電話にたどり着き、家族に連絡して入院した。
去年と同じ場所を骨折したので、もう歩けなくなるのではないかと、とても不安だった。
1ヶ月半は、骨折したところが痛くて、痛くて、大変だった。
でも、歩かないと、もう歩けなくなることがわかっていたので、毎日、リハビリを頑張って、歩く練習を続けた。
そうしたら、杖をつきながらだけど、やっと歩けるようになった。
おばあ、よく、頑張ったね…。
杖には、照明スイッチがあって、足下を照らしてくれる優れもの。
孫が買ってくれたと、スイッチをつけて照らして、おばあはうれしそう…。
入院中は、毎日、日記を書いていた。
去年の入院から書き始めている。
きれいな字を書きたいので、娘が買ってくれたボールペン習字のノートで、毎日、練習している。
奥の部屋に取りに行って、ひらがな、カタカナ、写経の練習帳を見せてくれた。
カタカナが難しい、という。ツ、シ、ソ、ン…。
そういえば、そうだね…。
手本に近づけようと一生懸命書いている、おばあの姿を想像した。
今年は、年賀状を書く、という。
驚いて、年賀状を毎年書いているんですか、と尋ねると、
十数年、年賀状は書いたことがないという。
おばあは、新しい目標を掲げ、努力する人なのだった…。
今年は、年賀状を出すから、住所を教えてくれという。
後で書くからね…。
国頭村から定期的に山羊を食べに来る常連さんと話した後、おばあは疲れたようで奥の部屋に戻った。
やがて、会計をしていると、おばあが奥の部屋から出てきた。
住所を書いてくれと言う。
忘れるところだった…。
メモ用紙というか、カレンダーの裏紙を手のひらサイズに小さく折りたたんだだけの用紙に、書いた。
昔の人は、紙を大事にするよね…。
電話番号も書いてね、という。
年賀状に電話番号がいるのかとも思ったけれど、去年から言われ続けていることなので、書いた。
また来るからね、とお別れをして、外に出ると、ひんぷん山羊料理の2号店もやっているお孫さんがいた。
おばあが、元気になって、お孫さんもうれしそうだった。
星空が、きれいだった。
ひさしぶりに、山羊が食べたい気持ちがしていた。
だから、後輩から山羊に誘われた時には、即断だった。
「ひんぷん山羊料理店」へ行かなくてはいけないと思った。
台風の影響で天候が荒れていたので電話で確かめると、今日は営業しているという。
オリオンビールで渇いたのどを潤して、山羊刺身をいただく。
山羊の刺身は、100gで1000円の高級品なのだ。
歯ごたえのある皮の部分と、柔らかい肉の部分が併せて出てくる。
ショウガと酢とお醤油でいただくのが、この道55年のおばあの教えだ。
泡盛のボトルは切れていたので、新しいのを頼むと、お店の在庫も切れていた。
おばあのお孫さんが、雨の中、買いに行ってくれた。
おばあの娘さんが、息子を追いかけて、「タクアンも」。
のどかだね。
お孫さんは名護の緑街にあるひんぷん山羊料理の2号店も切り盛りしている。
お孫さんが戻ってきたので、泡盛(くら)と山羊汁と付け合わせのタクアンをいただく。
山羊汁にはショウガが落としてある。酢醤油でいただく。
汁用の肉は、いろんな部位が入っており、1000円でどんぶりにてんこ盛りなのだ。
残念なことに、沖縄でも山羊肉が嫌いな人がいる。
理由を聞くと、山羊特有の臭いがダメという。
不思議だ。
この店の山羊は、全く臭いがしない。
理由を聞くと、「新鮮だから」の一言。
メニューは山羊(刺身、汁、そば)の3種類しかない専門店。
この道55年のあばあが2,3時間かけて脂分やあくを取る手法を確立し、常連さんが多い。
仕上げは、おばあのお勧め、ごはんを加えて雑炊(ジューシー)で、汁も残さずいただく。
おいしかったです。満足です。
ところで、今日は、おばあの姿が見えない。
様子を尋ねると、
「今朝、転んで、骨折して、入院した」という。
1年前と同じですね、というと、「1年前と同じ場所で転び、同じ箇所を骨折した」という。
おばあ、ショックだね。
私も、ショックだよ。
山羊を食べたくなったのは、おばあが、呼んでくれたのだろうか。
お店を取り囲むように再開発の工事が始まっていて、おばあが構えたこの店も、かなり古い。
今年は89歳なのだから、おばあには転ぶことのない、安全なお店が必要だと思う。
ひんぷん山羊料理店は1962年創業。
54年間、山羊の刺身と汁だけで、沖縄文化を築いて来た。
時代やお客は変わっても、値段は創業以来変えることなく、お客様のために頑張って来た。
その偉大なおばあが、数えで88歳を迎えた祝いの年に、転んで脚を骨折してしまった。
6年前 初めて会った時のおばあ
県立病院で手術して、リハビリの病院に移ったと聞いたが、正直、怖かった。
昨日 電話すると 明日退院だという。
車椅子ではないという。
よかった。
おばあは、強い。
大好きなテビチは、入院中食べれたのだろうか。
ひんぷん山羊料理店に、久しぶりに行ってみると、おばあの姿がない。
三週間前に来たときは、88歳の米寿のお祝いを市長から貰ったと、嬉しそうに見せてくれた。
いつも入口のドアを開けると、テレビを見ながらお客を待っているおばあが、いらっしゃいと声をかけてくる。
おばあが、いないと、なんだかさみしい。
高齢だから、今日は休んでいるのかな。
一人で山羊汁を食べていたオジサンが、会計をするときに、娘さんと何やら話をしている。
「県立病院に入院?…」
驚いて、様子を詳しく尋ねると、二週間前に自宅で転んで、大たい骨を骨折したそうだ。
おばあは、入院や手術は、初めて、らしい。
おばあ、大丈夫だろうか。
骨折して入院すると筋肉が衰えてしまい、完治しても、以前のように歩けなくなる高齢者が多い。
翌日、西平の黒糖のドーナッツ棒を持って、お見舞いに行った。
四人部屋で、入口に近いところのベッドに、おばあは寝ていた。
私に気付くと、笑顔になり、大きな声を出して喜んだ。
おばあの声は、ひときわ大きく、病室中に響き渡る。
思わず、唇に人差し指を当ててしまう。
「手術して二週間寝たきりだったけど、同室の人たちと、昔の話をしていたよ。」
おばあは、声の音量を下げる様子もなく、元気だ。
「筋肉が衰えないようにしないと…」と言いかけると、
おばあは、笑いながら両手を万歳するとともに、布団から出た左脚が、高く上にあげた。
衰えないように、筋肉を鍛えているらしい…。
おばあは、かなり、元気だった。
週明けには、リハビリを開始するらしい。
昨日は、山羊の刺身がなかったというと、
「今日はお店にあるよ。さっき注文しといたから。」と、いう。
寝たきりの病院のベッドから、お店の材料の仕入れをしているというのか…。
おばあは、驚くほど、想像以上に、元気だった。