沖縄での一人暮らし

延べ8年間、沖縄で一人暮らしをしました。歴史・自然・文化を伝えます。

ルーアンとノートルダム大聖堂

2023-10-04 | 欧州

せっかくパリに着いたのに、休む間もなく、高速道路で北西に向かう。

サービスエリアで、自販機MAXIのコーヒーをタッチレスカードで購入。

紙カップのコーヒーが1.7ユーロ274円。3年前のレートなら214円。3割高い。

 

16時、2時間半かけて、フランス北西部の都市ルーアンに着いた。

【ルーアンとノルマンディー公国】

イギリスと深い関係がある。

  • 911年、侵入したノルマン人(バイキング)に対し、フランス王が与えた領土がノルマンディー公国で、首都はルーアン
  • 1066年、ノルマンディー公国のギョーム2世は、ハロルド2世を破り、イングランド国王となり、ウイリアム1世を名乗った。
  • ノルマンディー公国は、フランス王の支配下ながら、イングランド王が支配するという複雑な状況になった。

図は、SHIBAさんからお借りしました。>

  • ノルマンディ公国出身のイングランド王のウイリアム1世は、フランス人で、フランス語を話していた。
  • ギョーム2世(ウイリアム1世)の血筋は、現在のイングランド国王にも続いている。
  • イングランド王のヘンリー2世がフランス貴族との結婚で領土を拡大し、英仏100年戦争の火種になった。
これだけ理解するのに、時間がかかった。
 
【ウイリアム1世やヘンリー1世はフランス名もあった】
  • コッツウォルズの記事で書いた、世界初の土地台帳Domesday Bookのウイリアム1世が、フランス人だったとは。
  • オックスフォードの記事で書いた、パリ大学で学ぶことを禁じたヘンリー2世が、ここで出てくるとは。
  • イングランド王室紋章のモットーには、フランス語Dieu et mon droit 「神と我が権利」が用いられている。
  • 子のヘンリー1世(Henry I)は、イングランド王(1100年 - 1135年)かつノルマンディー公アンリ1世(Henri I, 1106年 - 1135年)だった。ヘンリーは、フランス読みでHの音が消えてアンリ。※同様に、フランスのHermesはHの音が消えて「エルメス」と発音されるが、英語流に発音すると「ヘーミーズ」。
【ルーアン・ノートルダム大聖堂】
ノートルダム (Notre-Dame, 英語ではOur Lady) はフランス語で「私達の貴婦人」という意味で、聖母マリアを指し、フランス国内にノートルダム大聖堂が8つある。ルーアン大聖堂は1145年着工、1544年完成。
ステンドグラスが、凄い。建築様式は、壁が分厚く窓が小さいロマネスク様式に代わり、ゴシック様式が採用された。
ゴシック様式は「神の国」に近づくよう高さと光を求め工夫され、高い天井と、ステンドグラスが特徴。

主祭壇は、明るい空間。

主祭壇。その先に聖母マリア礼拝堂。

最奥部の聖母マリア礼拝堂。

教会は、壁画よりもステンドグラスの絵の方が見やすく、キリスト教の教えを伝えやすいね。

ルーアン大聖堂の正面
クロード・モネが向かい側の建物から、様々な時間帯で表情を変える大聖堂の姿を、連作したのが有名。

大聖堂から西に進むと、14世紀に作られた大時計がある
針は1本で、短針だけだが、4時30分を指している。

観光地なので、人は多い。この先にあるものは、次回に。