昨夜、元市議の村上静史さんが急逝されたとの報せを種清喜之市議から聞き、茫然とした。
23日㈯、午前中に静史さんのご自宅を弔問し、ご遺族にご挨拶し、静史さんのお顔を拝見した。ゴルフのラウンド中に急性心筋梗塞で倒れられたとのことで、眠っておられるような全くいつもと変わらないお顔だった。半年ぶりのゴルフで、楽しみに出掛けられたそうだ。
静史さんには私が落選中に市議に出馬していただき、私のためにずいぶんご尽力いただいた。物部地区での演説会等の動員力はいつも群を抜いていた。
また府議になってからも、物部地区の様々な課題箇所をご案内いただいたり、農業のことや地域のこと、いろんなことを語り合ってきた。
市議としては1期だけだったが、後任に種清市議を立てられ、立派に引き継がれた。現地現場の声をいかにして市政に届けるかに重点を置いて活動されていた。
市政報告会をこまめに開催されており、私もいつもお招きいただいてきた。
70代半ば、まだまだお若かかった。つい先日も私の事務所に立ち寄っていただき、農業のこれからのことを話していたばかりだったので、早いお別れがつくづくと悔やまれる。
しかし、静史さんは病気で臥せることなく、元気なままで旅立てたことを自分では喜んで笑っておられるのではないかと思う。最後に事務所で小一時間、お話できたことも本当に良かった。
24日㈰にはお通夜に参列した。「天王院顕示静笑居士」という良い戒名をいただかれていた。
お別れは本当に残念だが、心からのご冥福をお祈りし、私は今後も物部地区や農業の振興発展のために努力することを静史さんにお約束いたします。安らかにお眠りください。
25日㈪は朝から京都へ。10時半から自民党府議団の商工労働観光部会、12時半から議員団会議、13時半から文教常任委員会に出席した。
新型コロナウイルスも、今日でようやく全国の緊急事態宣言が解除された。早く元の生活に戻すようにしていかなければならない。