現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

コミュニケーション能力

2012-07-24 19:57:20 | 社会問題
朝日新聞 7/21 の 特集記事は「コミュニケーション能力」。
アンケートで「コミュ能力」が「大いにある」という自信家は
わずか5パーセント。「ある程度ある」が47パーセント。
約半数は「ある」と答えています。これに対し「あまりない」が
38%。「まったくない」が10% ですから、「ある」と
「ない」は、ほぼ半々に分かれます。

「ネットやケータイの普及で、若い人の“コミュ能力”が
落ちている」と回答した人は 6割弱。たしかに、若い人の
“会話能力”には、私も疑問を感じます。

しかし、若い人が、ひっきりなしにメールをやりとり
している姿を見ると、若い人たちの方が、友だちづきあいは
実に積極的ですし、同世代間での「コミュニケーション
能力」は十分あると思います。

逆に、「会社では“コミュ力”が最も重要」と、口にして
きた会社人間のお父様がた、おエラさん方が、リタイヤして、
肩書きがなくなると、地域で、老人会で、老人ホームで、
家庭でも、全くコミュニケーションがとれないブザマさは、
誰もが目にしているのではないでしょうか。

「コミュニケーション」がとれない中高年たちにこそ、
「コミュニケーション」の研修が必要なようです。


「コミュ力」と「コミュ障」

2012-07-24 19:20:52 | 社会問題
「こみゅか」って何かと思ったら「コミュニケーション“力”
(りょく=チカラ)」だそうです。朝日新聞 7/21 の記事に
登場するのは、その名も「児美川(こみかわ)」法政大学教授。
おおまじめに本名のようです。

「児美川」教授がおっしゃるには、「就職試験で 重要視
されるのは“コミュニケーション能力”と 云われるので、
営業マンのようにペラペラしゃべれなきゃいけないのか」と
勘違いする学生もいる。いろんなタイプの人間がいて、
社会はなりたっている。“コミュ力”の高い人間ばかりに
なったら、いつも腹のさぐり合いをやっているようで、
“生き”苦しい世の中になる」と。

同様に、別の記事でも、社会学者の「土井隆義」氏が
「今の世の中、若者が生きづらさを感じている。“絆”や
“つながり”が重視されすぎて、友達が少ないと、自分は
“コミュ障(コミュニケーション障害)”ではないかと 不安に
なる人もいます。過去に創造的な仕事をした人の多くは、
孤独を抱えていて、人と違うから、独創的な仕事ができた」。

さらに「空気を読み、人と合わせる必要はありません」とまで
言い切っておられる。

一理あるかも。私も中学、高校、大学と孤独を抱えていた。
周囲と違うから「尺八」に 没頭できた。尺八なんか吹いて
いるから、周囲から“変人”扱いされ、孤独だったのかも。

それでも会社にはいって、なんとかやっていけた。今
こうして生きている。世の中 なんとかなる。なんとでも
なると申し上げたい。

「いじめ社会で生きる」ことも教えなくっちゃ

2012-07-24 09:08:56 | 社会問題
連日、大津の「いじめ事件」に関連して、マスコミの
報道は ますます加熱しています。ネットでは 加害少年の
実名と顔写真までアップされ、その親と同姓同名の人に
脅迫メールが殺到しているという 新たな“いじめ”問題に
波及して、それがまたマスコミの“おもしろ”ネタに
なっているようです。

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マスコミは、「すでに叩かれている学校と教育委員会を
さらに叩く“いじめ”」と、「いじめ問題の専門家ではない
有名人に、情緒的なコメントを出させて、被害者や加害者の
苦しみを増長させる」。さらに、「いじめ問題」や「教育」の
“専門家”と称する識者が登場して、専門家でなくても
言えるようなことを口にしてお茶を濁す。どれも「いじめ」を
無くすことには、なんの役にも立っていない。
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という文も、それらしき識者の発言です。

「あなたの子供はいじめを受けていますか?。受けた
ことがありますか?」という質問に、58%の人が
「あり」と答えているのは衝撃でした。「わからない」が
20%。「ない」が22%。

「いじめられる子」は、ごく少数の弱者かと思って
いましたら、半数以上の人が、なんらかの“いじめ”を
受けているか、受けた経験があることになります。

社会にでればもっともっと理不尽な“いじめ”があります。
人が2人、3人と寄れば、上下関係ができ、嫉妬心も出て、
大なり小なり“いじめ”は起きるもの。“いじめ”を
どこでも起こるものとして受け止め、それへのゆるぎない
心を養うのも学生時代でしょう。

「いじめの無い“無菌室”」の学校では、かえって
社会に出てから、生きていけるのかが心配です。
社会の“いじめ”の中で生きていける強さを教える
のも学校かなと思います。