現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

広告代理店の虚偽請求は当たり前だった!?

2016-10-12 21:56:37 | テレビ・映画・芸能人

大手広告代理店「電通」がトヨタなど100社以上のクライアントと

過剰請求で揉めていたことが明るみに出た。総額で2億3千万円以上の

過剰請求をしており、さらに架空請求まで 行なっていた。

悪質な問題にもかかわらず会見には社長は出席せず、電通は文書で

「複数の不適切業務が行われていた」と公表し、会見でこの点を追及されると、

「不適切という表現をしていますが、不正と読み替えていただいても結構です」

などとふてぶてしく応答したそうな。

私も保険会社の広報部に勤務していたので、事情はよく分かる。

広告代理店は、各社、各営業担当がテレビCMの枠を埋めるために血眼になって

各企業にお願いして回る。「〇〇という番組のテレビCM、30秒空いているので

定価1000万ですが、500万でどうですか」と。日時が明日に迫ってくると

「100万でいいですから、お願いします」と泣きついてくる。

30秒、絶対に空けるわけにいかない。それを見越して、クライアントもギ

リギリまで引っ張って、OKを出す。駆け引きだ。定価で買う(広告を出す)人はいない。

ところで、一つの枠について、何社もの広告代理店、何人かの営業マンが

各企業にお願いして回るので、同時に何社からも契約を取り付けてしまうことになる。

枠は一つだから、数社と契約成立させておいて、放映するのは一社だけとなる。

千代田生命のような ちっぽけな会社は、たまにしかCMを打てないから、はたして

ちゃんと放映されたかどうか、タイマーでビデオを撮って確認する。放映されると

大喜びだ。

だが、トヨタなど大手企業となると、一日に何回も、しかも各チャンネルで

全国ネットで放映されるから、とても全部は確認できない。それで不正が起きる。

代理店は、放映されずとも知らんふりしてきた。値段をダンピングした分

同時多数契約で穴埋めする。そんなことは当然とばかりに、業界の常識だったのだ。

ついでに、今回のオリンピックにまつわる電通の契約は天井知らず。なんで

あんなにかかるのか理解不能。とにかくアバウト。「獲れるとこからは盗る」が

広告代理店というもの。


過労死事件にコメントしてブログ炎上!?

2016-10-12 21:50:37 | 地球人類の問題

電通の新入社員だった高橋まつりさん(24)が 入社9ヶ月で自殺し、

三田労働基準監督署が労災認定していた。残業時間は105時間ほどだった。

この件について、武蔵野大学教授の長谷川秀夫氏が

「月当たり残業時間が100時間を越えたくらいで過労死するのは情けない」

とつぶやいて、ブログが炎上。袋叩きに遭っている。

大学までが謝罪文を公表し、長谷川教授は辞職に追い込まれかねない

状況のようだ。

はてさて、「私も同意見」。なんて云うと、このブログも炎上するか?

「私も会社で寝泊まりしていたし、残業時間は月150時間は超えていた」。

なんて書くと「社畜」とののしられる。今は家庭をも顧みず働くというのは

社会通念に反するようになった。

でも、仕事が好きで、寝食を忘れ、徹夜も厭わず働いて成功した人も多いはず。

 

高橋まつりさんの場合、「仕事がうまくいかず、上司からボロくそに云われ」、

それが自殺につながったようだ。でも、なにも死ぬことはない。

電通に入社したということは、学力、コミュニケーション力、クリエイティブな

能力はハイレベルだったはず。上司の期待も高かったろう。だがまだ入社一年目。

ベテランの上司からみればヒヨコ同然。期待に応えられなくて当然。

 

厚生労働省の「過労死白書」によると、1か月に80時間を超える残業がある企業は

全体の22.7%とのこと。私としては「意外に少ない」と思った。私の知る限りの

若者は みな深夜遅くまで働いている。朝帰りもしばしば。

その反面、夜6時になると、帰宅を急ぐサラリーマンで地下鉄は満員になる。

「こんな時間に帰れるなんて、工場労働者か公務員か。うらやましい」とも思う。

 

厚生労働省は、今後、2万人の労働者を対象に10年間、長時間労働と健康の関連について

追跡調査を行うとのこと。はて、長時間労働だけでは健康を害さないと私は思う。

健康被害は 仕事場でのストレスがあるかないかだ。


「薦僧」と「暮露」と「虚無僧」

2016-10-12 21:34:43 | 虚無僧って?

江戸時代初期まで「虚無僧」ではなく「薦僧」だった。
「薦僧」とは「薦筵(こもむしろ)」を背負って、諸国を
旅し、薦を敷いて山野に野宿する者という意味。

鎌倉から室町にかけて「暮露(ぼろ)」と呼ばれる職業が
あった。「ボロボロ」のボロ布をまとっているから「ぼろ」
と云われてきた。

「薦(こも)」も「薦筵(こもむしろ)」を背負っているの
だから、両者は同じ「乞食」のようなものと、今まで
考えていたが・・・・・。

「暮露(ぼろ)」は、尺八を吹かない。その代わり大きな
傘と扇子を持っている。衣装は「清楚な白の紙子に黒の袴」
であって、決してボロをまとった乞食ではない。
また「慕論字(ぼろんじ)」「梵字(ボンジ)」などとも
呼ばれていたことから、「ぼろ」では説明ができない。

どうやら「一字金輪の呪」「のうまく、さんまんだ、
ぼたなんボロン」を唱えて、布施をいただく仏道修行者で、
「ボロンボロン」と唱えるから「ボロ」と呼ばれたのでは?
と考えられるようになってきた。

これは「高野聖」や「放下(ほうげ)僧」と同じだ。
「放下僧」は「ササラ」を振りながら、「暮露」は
傘の長い柄を扇子で叩きながら、念仏や真言の呪を
節をつけて唱歌したのだ。

「薦僧(こもそう)」は尺八を吹くから、念仏は唱え
られない。念仏を唱える代わりに尺八の音で、
人々の心を慰める存在となったのであろう。

「薦僧」は、発生的には、「時衆(宗)」の歌舞音曲
から独立したのではないかと、私は考えている。