昭和39年(1964)は「東京オリンピック」。そして
「日本音楽集団」が結成され、NHK/FMで「現代の
日本音楽」がスタートした年。わくわくした時代だった。
そしてもうひとつ「尺八三本会」が旗揚げされた年。
横山勝也、山本邦山、青木静夫(鈴慕)の三人がトリオを組んだ。
横山勝也 昭和 9年(1934年)12月2日生- 平成22年4月21日死去。75歳。本名は信也。
山本邦山 昭和12年(1937年)10月6日生 - 平成26年2月10日死去 76歳、本名は泰正
青木鈴慕 昭和10年(1935年)10月4日)生 - 本名は静夫。
ということは、昭和39年に『尺八三本会』を結成した時、
横山勝也氏は30歳で最年長。
青木静夫氏が29歳、
山本邦山氏は 最年少の27歳。
私は16歳で 高校2年。当時、都山流準師範だった「古賀将之」氏
の教室に入門、第一号の弟子だった。
もひとつ、美空ひばりの『柔』で、村岡実が尺八前奏でデビュー。
村岡実は、横山勝也、宮田耕八朗とともに「東京尺八三重奏団」を
結成していたが、演歌の伴奏で忙しくなり、解消された。この年、
村岡実は40歳だった。
こうして第一次尺八ブームが沸き起こった。さて第二次ブームは?