現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

傷だらけの人生

2021-10-30 21:28:26 | 虚無僧日記

1963年 鶴田浩二主演の『人生劇場 飛車角』が大ヒットし「任侠映画ブーム」が始まる。なぜか映画界は やくざ(暴力団)を賛美礼賛してきた。裏でつながっていたか。




古い奴だとお思いでしょうが、古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます」の名セリフは、私も随分と使わせてもらった。

曰く「尺八なんぞというと、古い奴だとお思いでしょうが古い奴こそ新しいものを欲しがるもんでございます
そして、その時々の「流行り歌」を尺八で吹いてみせた。


「でも、どこに新しい仕事がございましょう。今の世の中、コロナコロナで 右も左も真っ暗闇じゃござんせんか」


何から何まで 真っ暗闇よ
筋の通らぬ ことばかり
右を向いても 左を見ても
コロナコロナの せめぎあい
どこに男の 夢がある

付くな離れろと 鬼ごっこが罷(まか)り通る世の中でございます。
(かか)る 罹らぬは もともと自分が決めるもの
……こんなことを申し上げる私もやっぱり古い人間でござんしょうかねえ。


なんだかんだとお説教じみたことを申して参りましたが、
そういう私も 日陰育ちのひねくれ者、
コロナ禍に背中を向けて歩く、馬鹿な人間でございます。

まっぴらご免と 大手を振って
歩きたいけど 歩けない
いやだ いやです コロナ菌
日陰育ちの 泣きどころ
暗すぎます おいらには


「放浪について」 瀬戸内寂聴

2021-10-30 21:24:21 | 虚無僧日記

 

瀬戸内寂聴」さん

「放浪について。孤独の相に生まれて・・」

放浪について』という随筆を1969年(昭和44)、49歳の時、『群像』5月号に書いているそうな。
「70年安保」で世の中騒然としていた頃だ。大学もバリケード封鎖されていて授業など無かったから、私も虚無僧で北陸を廻ったりしていた。

その頃「瀬戸内寂聴」さんは、執筆に追われ、眠る閑も無いほど多忙を極めていたという。そして「放浪」への憧れはとみに強くなっていき この翌年 出家している。

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「私には家はあっても家族はなく、私の袖を引き止める肉親もいない。心に繋(つな)がる断ち難い煩悩の絆はあっても、その絆の強さゆえに、放浪への憧れも、日々強力になりまさる。
恩愛の情の薄いものが、肉親や愛欲を捨てやすいのではない。
人恋しさの物狂おしさのゆえに、放浪の旅に出たいのではないか。

行方も定めぬ無目的の終わりのない旅。風に背を押されひたすらに歩く。その旅に終わりがあるとすれば、地図にもない野原の芒(すすき)の中で、ひっそりと
野ざらしになっていることだろう。

この随筆の終わりに私(寂聴)は書いている。
芸術家は本来、放浪の性を持つべきではないか。芸術家が一つの家庭にしばりつけられ、一人の妻やその女の生んだ子どもたちの恩愛にしがみつかれていていいものだろうか。安穏で平和な家庭と芸術の女神は性が合わないはずだ』

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芸術家は放浪の性を持つべき』。なんと私の自己弁護に後押ししてくれることよ。私も子供の頃から放浪癖があった。家族にも知られず、ひっそりと野に朽ち果てるのを美学としている。しかし、まだ死ねない。「瀬戸内寂聴」の如き残す名も実績もない。まだまだやるべきことがある。
「日暮れて道遠し」。

「瀬戸内寂聴」さん、今年93歳。

「生きて帰れぬ放浪の旅には一向に出発しそうにもない」と。


「絶望名言」 NHKラジオ深夜便

2021-10-30 21:17:02 | 虚無僧日記

頭木弘樹の「絶望名言」。

頭木さんは大学3年の時に難病の潰瘍性大腸炎を発症し13年間闘病生活を送っているという。

その著書『絶望名人カフカの人生論』(飛鳥新社・新潮社で文庫化)が静かなブームになっているという。

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