8/14 夜が明けて、護国神社の脇にある「警察官隊墓地」に行く。
西南戦争で戦死した「軍人墓地」は、神社の駐車場わきで、すぐ
わかったが。地図上では、その隣りにあるはずの「警察官隊墓地」は
斜面の下の、木々が鬱蒼と茂っている中だった。
104基の、高さ90cmほどの石塔が整然と並ぶ。お参りに来る人も無く、
ひっそりと佇む小さな墓碑に、涙がどっとあふれ出る。正面に横一列、
ひときわ大きな墓は「警部」クラス。一番左が、旧会津士「佐川官兵衛」
の墓だった。佐川官兵衛は、会津戦争で活躍「鬼官兵衛」とあだ名された。
その武勇を買われて、西南戦争で「警察隊の一等大警部」に採用され、
旧会津藩士300名を率いて参戦した。
私の母方の祖父の兄「山室五郎」も、佐川官兵衛に誘われて、警察隊に
応募し、佐川とともに阿蘇村で戦死したと思っていた。
その「山室五郎」の墓は、入り口から三番目にあった。
墓誌には
「警視局四等巡査 山室五郎 豊後口警視第二号第二番隊 小隊兵
福島県士族 明治十年六月一日戦死 豊後国臼杵町 齢二十年八月」
山室五郎は臼杵町で戦死したのだ。しかも佐川官兵衛は三月十八日。
それから3ヵ月後。墓は、意外にも鹿児島県や山口県の人も多い。
むしろ福島県は13名で少ない。鹿児島県も14名いる。
山室五郎は薩摩人と共に、西郷軍と戦っていたのだ。
「“戊辰の復讐”と会津人が300名もこぞって西南戦争に参加した」と
いうのは「作家の史観」と、ネットに書き込みがあったのを思い出す。
あふれる涙に、息つまらせながら、『手向』を心静かに吹く。
西南戦争で戦死した「軍人墓地」は、神社の駐車場わきで、すぐ
わかったが。地図上では、その隣りにあるはずの「警察官隊墓地」は
斜面の下の、木々が鬱蒼と茂っている中だった。
104基の、高さ90cmほどの石塔が整然と並ぶ。お参りに来る人も無く、
ひっそりと佇む小さな墓碑に、涙がどっとあふれ出る。正面に横一列、
ひときわ大きな墓は「警部」クラス。一番左が、旧会津士「佐川官兵衛」
の墓だった。佐川官兵衛は、会津戦争で活躍「鬼官兵衛」とあだ名された。
その武勇を買われて、西南戦争で「警察隊の一等大警部」に採用され、
旧会津藩士300名を率いて参戦した。
私の母方の祖父の兄「山室五郎」も、佐川官兵衛に誘われて、警察隊に
応募し、佐川とともに阿蘇村で戦死したと思っていた。
その「山室五郎」の墓は、入り口から三番目にあった。
墓誌には
「警視局四等巡査 山室五郎 豊後口警視第二号第二番隊 小隊兵
福島県士族 明治十年六月一日戦死 豊後国臼杵町 齢二十年八月」
山室五郎は臼杵町で戦死したのだ。しかも佐川官兵衛は三月十八日。
それから3ヵ月後。墓は、意外にも鹿児島県や山口県の人も多い。
むしろ福島県は13名で少ない。鹿児島県も14名いる。
山室五郎は薩摩人と共に、西郷軍と戦っていたのだ。
「“戊辰の復讐”と会津人が300名もこぞって西南戦争に参加した」と
いうのは「作家の史観」と、ネットに書き込みがあったのを思い出す。
あふれる涙に、息つまらせながら、『手向』を心静かに吹く。