現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

⑧ 8/14 大分護国神社「警察隊墓地」

2009-08-20 07:48:42 | H21. 8月 九州、中国地方への旅
8/14 夜が明けて、護国神社の脇にある「警察官隊墓地」に行く。
西南戦争で戦死した「軍人墓地」は、神社の駐車場わきで、すぐ
わかったが。地図上では、その隣りにあるはずの「警察官隊墓地」は
斜面の下の、木々が鬱蒼と茂っている中だった。

104基の、高さ90cmほどの石塔が整然と並ぶ。お参りに来る人も無く、
ひっそりと佇む小さな墓碑に、涙がどっとあふれ出る。正面に横一列、
ひときわ大きな墓は「警部」クラス。一番左が、旧会津士「佐川官兵衛」
の墓だった。佐川官兵衛は、会津戦争で活躍「鬼官兵衛」とあだ名された。
その武勇を買われて、西南戦争で「警察隊の一等大警部」に採用され、
旧会津藩士300名を率いて参戦した。

私の母方の祖父の兄「山室五郎」も、佐川官兵衛に誘われて、警察隊に
応募し、佐川とともに阿蘇村で戦死したと思っていた。
その「山室五郎」の墓は、入り口から三番目にあった。

墓誌には
「警視局四等巡査 山室五郎 豊後口警視第二号第二番隊 小隊兵
 福島県士族 明治十年六月一日戦死 豊後国臼杵町 齢二十年八月」

山室五郎は臼杵町で戦死したのだ。しかも佐川官兵衛は三月十八日。
それから3ヵ月後。墓は、意外にも鹿児島県や山口県の人も多い。
むしろ福島県は13名で少ない。鹿児島県も14名いる。
山室五郎は薩摩人と共に、西郷軍と戦っていたのだ。

「“戊辰の復讐”と会津人が300名もこぞって西南戦争に参加した」と
いうのは「作家の史観」と、ネットに書き込みがあったのを思い出す。

あふれる涙に、息つまらせながら、『手向』を心静かに吹く。



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