4/24 のブログで、筝曲『六段の調べ』は、「ミファラシド」の
5音だけでなく、「ソ」も「レ」も出てくるので、結局
「ドレミファソラシド」の「7音階」だと書いたら、筝曲家の
「宴の桜」さんから、「他の調に 転調しているのだから、
5音階です」と御教示いただいた。(以下、その内容)
----------------------------
『六段の調べ』は、ミファラシドの「平調子」。5音音階で
出来ています。
「押手」で1音や半音上げているのは、「押手」によって、
同じ陰旋法の「雲井調子」「中空調子」に転調しているんです。
「七の糸」を「弱押し」して半音上げ、「九の糸」を「強押し」で
一音上げる事で、あるフレーズだけ「雲井調子」にし、完全5度
移調しています。
「六」と「斗(11番目の糸)」の「弱押し(半音上げ)」の箇所は
「中空(なかぞら)調子」です。
したがって、六段の調べは、「陰の5音音階」で構成されて
います。「7音音階」ではありません。
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なるほど、そういう見方があったか。「雲井調子」にすると
「二・七の糸」を「C音」にして「ミファラシド」と並ぶ。
「中空(なかぞら)調子」だと、「三・八の糸」を「D音」に
して「ミファラシド」と並ぶ。
たしかに、熟練の筝曲家は、詩吟の伴奏の時に、13本の柱(じ)
全部を変えなくとも、4本の柱(じ)を変えるだけで、素早く
他のキィに転調している。
では『六段』は、「平調子」だけでは単調だから「雲井」や
「中空」に「転調」していたということか?
「斗オ十九、十九八九 七、八、九オ、十九オ 五五十為斗 十」
のフレーズは「ソミド、ミドシド ラ、シ、レ、ミレミミミラファ ミ」と
聞こえるのだが、はて?
『4段目』の「五、四オ、四オ、五四三、四三二」は「ミ、レ、レ、
ミドシ、ド、シ、ラ」ではないのだろうか。
地唄の「手事物」で、三絃の調子も変え、一部分を転調している
のはわかるが、『六段』のような、頻繁に「押し」になったり
戻ったりのフレーズが「転調」とは思わなかった。
5音だけでなく、「ソ」も「レ」も出てくるので、結局
「ドレミファソラシド」の「7音階」だと書いたら、筝曲家の
「宴の桜」さんから、「他の調に 転調しているのだから、
5音階です」と御教示いただいた。(以下、その内容)
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『六段の調べ』は、ミファラシドの「平調子」。5音音階で
出来ています。
「押手」で1音や半音上げているのは、「押手」によって、
同じ陰旋法の「雲井調子」「中空調子」に転調しているんです。
「七の糸」を「弱押し」して半音上げ、「九の糸」を「強押し」で
一音上げる事で、あるフレーズだけ「雲井調子」にし、完全5度
移調しています。
「六」と「斗(11番目の糸)」の「弱押し(半音上げ)」の箇所は
「中空(なかぞら)調子」です。
したがって、六段の調べは、「陰の5音音階」で構成されて
います。「7音音階」ではありません。
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なるほど、そういう見方があったか。「雲井調子」にすると
「二・七の糸」を「C音」にして「ミファラシド」と並ぶ。
「中空(なかぞら)調子」だと、「三・八の糸」を「D音」に
して「ミファラシド」と並ぶ。
たしかに、熟練の筝曲家は、詩吟の伴奏の時に、13本の柱(じ)
全部を変えなくとも、4本の柱(じ)を変えるだけで、素早く
他のキィに転調している。
では『六段』は、「平調子」だけでは単調だから「雲井」や
「中空」に「転調」していたということか?
「斗オ十九、十九八九 七、八、九オ、十九オ 五五十為斗 十」
のフレーズは「ソミド、ミドシド ラ、シ、レ、ミレミミミラファ ミ」と
聞こえるのだが、はて?
『4段目』の「五、四オ、四オ、五四三、四三二」は「ミ、レ、レ、
ミドシ、ド、シ、ラ」ではないのだろうか。
地唄の「手事物」で、三絃の調子も変え、一部分を転調している
のはわかるが、『六段』のような、頻繁に「押し」になったり
戻ったりのフレーズが「転調」とは思わなかった。
1つは、昔の検校様達は、現代に表されている邦楽楽典を学んだ上で作曲したかは疑わしいと思います。というか、それはなく、頭や心に浮かんだメロディーで作り上げただけで、天才というものは、神の使いのようなもので、神のアンテナとして曲をこの世に降ろしただけではないか、と思うんです。だから理に叶っているので、人間が頭で考えて、こうまで邦楽楽典にピシッと納まるはずかないと思います。邦楽楽典は、数多の邦楽学者の先生方によって近時代掘り起こされ、理論づけられたのかと思いますが、あまりに不思議な数学的統一があるので、どう考えても私はこれは当時の人が成した事ではなく、神の業だと思っています。
現に、一路先生が挙げられたお箏の陰陽10調子の他に、民謡音階等も他にもいくつか存在しますが、これなどはある学者により平成7年か8年かに確か変えられたような記憶があります。新たな民謡音階の方が楽理的に何か、より適切である事が発見されたのではなかろうかと思います。
古曲は、手と歌はたいていずれています。例えば「十…九八」と弾く時、歌は、この「…」の時に十と出て、同じくコロリンのリズムで八同士が合ったり。例えばですが。
また、手が、「十…九八」と下りているのに、歌は「十…オ九八」と高く下りてきたり。微妙に違います。全く違う音が出るのも相当あります。
乱暴かもしれませんが、私は実はこれらは全部、昔の人々の恐るべき音痴、リズム感音感の悪さの遺物ではないのかと思っています。昔の人は、手と歌と、同時に出て同じ節で歌っていたつもりだったんじゃないかと思うんです。今の邦楽家達がタイムマシンで江戸中後期に行ったら、その当時の邦楽なんて聴けたものじゃないのではなかろうかと思うんです。
それを近時代、優れた芸術家達が、きちんと整理して精査し、楽譜を起こし、きちんと曲として完成させ、この恐るべき音痴を妙味と表現出来たのではなかろうかと思うんです。その根拠は、本当かどうか知りませんが、「六段の調べ」の著作権者は八橋検校ではなく宮城道雄先生だと、かなり以前聞いた事があるんです。だから、古曲は、誕生した時と姿を変えているのは言わずもがなで、今のような芸術作品に昇華させたのは、近時代の芸術家達だろうと思っています。
平成の今、昭和中期の音楽を聴くと、当時は燃え上がるようなハイテンポの、絶頂感を感じたような曲が、今聴くと、スローモーションで物足りなく聞こえます。たった4~50年でこれだけ人間の音感は進化しているのだから、200年もその上も前となると…。
そんな事を思っています。