現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

2月4日は赤穂義士切腹の日

2023-02-04 21:08:38 | 虚無僧日記

2月4日は私の誕生日 昭和23年生まれ。今年75歳。

2月4日 今日は何の日 赤穂浪士47名が切腹した日

でも、もう テレビの話題にものぼならなかった。

 

「赤穂浪士 切腹」の画像検索結果

浅野内匠頭が、勅使下向の接待役を命ぜられたのが元禄14年(1702)の2月4日。そして、内匠頭が江戸城松之廊下で吉良上野介に斬り付けた刃傷事件が3月14日。内匠頭は即日切腹。上野介はお咎めなし。

この「片手落ち」の裁決に異議申すカタチで、浪士47士が吉良邸に討ち入り、本懐を遂げたのが、翌元禄15年(1703)の12月14日。1年と9カ月後のこと。

そして年開けて元禄16年の2月4日。46人が切腹。47士の内、足軽の寺坂は、討ち入りの前後に、故あって立ち退いていて、後自首したがお咎め無しとなっている。

しかし今、泉岳寺には寺坂と、討ち入りに参加する前に自害した萱野重実の墓もあり48墓になっているとのこと。

 

浅野内匠頭が刃傷に及んだ理由は諸説ある。その中である茶会で山田宗徧が持参した一軸を吉良が「一休の真筆だ」と言ったところ、内匠頭が「違う」と言って吉良をやり込めたので、確執ができたという話もある。

(実録本の『赤穂精義参考内侍所』)

赤穂事件に「一休」がからんでいたとは知らなかった。

 

大石内蔵助他16名は細川家下屋敷(現港区高輪)で、内蔵助の子「主税(ちから)」は、港区三田の久松松平家(愛媛松山藩)の中屋敷跡で切腹。

なんとそこは慶應大学の裏、現イタリア大使館のある所で、昭和14年(1939年)当時の駐日イタリア大使によって忠魂碑が建てられているとか。見学は不可。

 

イタリア大使館

この隣りが会津藩下屋敷。私の先祖が生まれた場所。

 

 


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