『青い眼の人形』は、『赤い靴』同様、野口雨情作詞、本居長世作曲で 1921年に発表された童謡。
青い眼をしたお人形は
アメリカ生れのセルロイド
日本の港へついたとき
一杯涙をうかべてた
わたしは言葉がわからない
迷ひ子になつたらなんとせう
やさしい日本の嬢ちやんよ
仲よく遊んでやつとくれ
1927年(昭和2年)緊張高まる日米の友好の架け橋になればと、米国人宣教師のシドニー・ギューリック氏の提案で、12,739体の人形が日本に贈られてきた。仲介者は渋沢栄一であった。この人形は、全国各地の幼稚園・小学校に配られて歓迎された。
その「青い目の人形」の多くは、太平洋戦争中、“敵性人形”として焼却処分されてしまったが、今323体が現存しているそうだ。
童謡の『青い目の人形』は、このアメリカから贈られてきた人形のことかと思っていたら、これまた とんでもはっぷん。野口雨情作詞、本居長世作曲で発表されたのは、これより6年遡り、1921年のことだった。
この歌がアメリカでも歌われ、それがギューリック氏の心を動かし、「日本に人形を贈ろうという提案につながったのでは」という推測もある。
10年ほど前、京都、嵐山の西、清滝を旅していて、廃業となった旅館の2階ガラス窓を見ると、「青い目のフランス人形」が空ろな目で外を見つめているのにでくわして、ぎょっとしたことがあった。その後、訪ねた時はもう建物もろとも無くなっていた。