現代の虚無僧一路の日記

現代の世を虚無僧で生きる一路の日記。歴史、社会、時事問題を考える

一休と山伏 対決

2016-12-21 23:05:31 | 虚無僧日記

江戸時代の初期に出版された『一休関東咄』に
「一休と山伏の問答」が出てくる。

一休が 虚無僧の尺八を吹いて歩いていると、
山伏が「虚無僧殿、いず方へ参る」と問いかける。
一休「風に任せて」と言えば、山伏「風無き時は
いかに」と。一休「吹いていく」と。

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『一休咄』には、一休と山伏の“法力”比べがある。

大きな犬がはげしく吠え立てるのを見て、山伏が
「法力で、あの犬を おとなしくさせてみせよう」と
数珠をくり、「アビラ ウンケン ソワカ」と呪文を
唱えるが、犬は一向に吼えやまない。そこで一休。
「どれ、私が 黙らせてみせよう」と、懐から焼き飯を
取り出して「ころ ころ ころ」とやさしく呼べば、
犬は吼えるのをやめて、尾を振ってきたり。

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山伏は「法力(念力)」で、奇特な超常現象を現すが、
禅宗は「仏法に不思議なし」という考えである。

江戸時代でも、山伏の“法力”がインチキ臭いという
ことを看破していた節があるが、山伏の信仰は、
今日でも根深く生きている。

 

江戸時代、山伏にもピンからキリまであった。山岳修行一筋に生き、

村人から崇め奉られた聖もいただろうが、大部分は市井に住み、

近在の民家を檀家とし、招かれて祈禱に出かける、あるいは

山参りの代参をしたり、山登りの先達を勤める。 また、いかがわしい

占いで荒稼ぎするごろつきまで。

江戸時代の山伏は、修行者というよりは、祈禱者であった

 


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