You-Tubeの動画はついつい深夜遅くまで見てしまう。
歌謡曲を検索していたのが、「蘇州夜曲」から「南京虐殺」の映像にまで。
「南京虐殺」は有ったのか、無かったのか。双方の動画がある。
証拠として示された映像や日記を見れば、「全く無かった」とは言い切れない。
日本人が中国で行ってきた残虐行為に対して、戦後B、C級戦犯として処刑された人は 1,000名にものぼる。政府は「天皇の戦争責任」に及ぶことを怖れて、軍幹部の命令をひた隠しにし、できるだけ現地の末端兵卒の恣意的な犯行によるものとした。
ここでも政府は日本国民を見捨てた。それどころか積極的に戦犯探しに協力した。
戦犯として処刑された方々には、無念の涙を禁じ得ない。
私の父も中国から引き揚げる直前で、村人を苦役に強制連行したことで戦犯に問われかけたが、懇意にしていた中国人が「直接には関わっていなかった」ことを証言してくれ、処刑を免れた。
ドラマの「私は貝になりたい」では「(腹を空かした捕虜に)牛蒡(ごぼう)を食べさせた」「(肩こりの治療に)灸をすえてやった」ことが、虐待とみなされたとなっているが、そんなことで死刑などはあり得ない話。こういう作家のでっちあげ話は私は嫌いである。事実は正確に伝えてもらいたい。
「川島芳子は生きていた!」というテレビ番組がYou-Tubeにアップされていた。「方(フォン)おばあさんに育てられた」という孫娘が所持していた「方おばあさん」の写真は、正に川島芳子その人。遺品の双眼鏡に刻まれた「H.k.」のイニシャル。李香蘭の写真とレコード、731部隊との関連を示す遺品など、川島芳子が生存していたことは疑いない。
美しい要人は得だ。代わりに処刑された女性はいったい誰だったのか。下々の者は利用され、捨てられるだけで哀れ。これも持って生まれた宿命か。
処刑直後の川島の写真。顔がつぶされて判別不能だった。