山岡鉄舟が、明治天皇の侍従を務めていた時のこと。
ある日、天皇が酒に酔って「山岡、相撲を一番来い!」と、いきなり山岡に組み付き、押し倒そうとした。その時 山岡はビクともせず。怒った天皇は、山岡の目を突いてきた。すると山岡は体をかわしたので、天皇はドッと倒れてしまった。
他の侍従たちが 山岡に「陛下が君を倒そうとなされた時に、君が倒れなかったのはよろしくない」となじると、山岡は憤然として、「そもそも大君が相撲ということは、この上ない不倫なことである。だから私は陛下が相撲をした事実を否定しなくてはならない。だから倒れるわけにはいかなかった」と突っぱねた。
つまり、山岡は「天皇が相撲などという“不倫”な事をしてはいけない」と諌めているのだ。明治まで、相撲は被差別集団だった。それは「猿回し」などと同様、見世物だったからだ。
ところで、明治天皇が相撲好きだったことから「明治天皇は、孝明天皇の子ではない。長州に隠れ住んだ南朝の末裔、大室寅之祐で、禁門の変で都落ちしてきた三条実美ら七卿との間に、大室寅之祐を天皇に擁立すべく密約が交わされていた。孝明天皇とその皇子を暗殺して、寅之祐を次天皇にする」という説が生じている。
「その大室寅之祐なる人物は、長州の不良力士だった。だから明治天皇は体格もがっしりしており、誰かれとなく相撲を挑む、無類の相撲好きだった」と。
そもそも禁門(蛤御門)の変では、長州の砲撃に腰を抜かして泣いていた皇子が、その4年後の明治元年、わずか14歳というのに、むくつけきどす黒い髭もじゃの顔で、馬に乗って登場してくる。いったいいつ、乗馬を習ったのか。
「南朝こそ正当」と称して左幕勤皇を説いてきた薩長が明治になって、その主張を取り下げたのは、南朝系の大室寅之祐にすりかえたからだというのだ。
それで、この事実を知っている「坂本龍馬」や「西郷隆盛」は抹殺された。
大室寅之助の出身地が山口県の田布施。岸、佐藤、安倍の出身地である。
似ている。右は即位の時の明治天皇。とても14歳には見えない。孝明帝のような品はない。
写真の中央に座している人が大室寅之助。
中央に座しているということは、後の明治天皇としてかつぎあげられる人物だったからという。
明治維新の志士は、結局天皇を暗殺して政治を私物化したテロ集団だった。
福沢諭吉も言う「立国は私なり。公に非ざるなり」」と。国のため、国民の為などという大義ではなく私利私欲によって国が建てられると。