10年ほど前、日本原水爆被害者団体協議会のポスターを見て、衝撃を受けた。
アメリカの報道官だったジョー・オダネルが撮影した「焼き場に立つ少年」の写真が全面に使われていた。
そして、オダネル自身の説明が添えてあった。
1945年長崎の爆心地近くの火葬場で撮影されたもの。
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「10歳ぐらいの少年が、歩いてくるのが目に留まりました。
おんぶひもをたすきにかけて、幼子を背中に背負っています。
重大な目的を持ってこの焼き場にやってきたという、強い意志が感じられました。しかも裸足です。
少年は、焼き場のふちまで来ると、硬い表情で、目を凝らして立ち尽くしています。
この時私は、背中の幼子が既に死んでいる事に、初めて気付いたのです。男達は、幼子の手と足を持つと、ゆっくりと葬るように、焼き場の熱い灰の上に横たえました。まばゆい程の炎が、さっと舞い立ち、直立不動の少年のまだあどけない頬を、赤く照らしました。
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以来ずっと、この少年の写真のことを気にかけていたら、2008年にNHKで
ドキュメンタリー番組として放映されていたものを、YouTubeで見た。
NHKスペシャル
解かされた封印~米軍カメラマンが見たNAGASAKI
語り 柴田祐規子
この写真を撮った「ジョー・オダネル」について取材したもの。
ジョー・オダネルは2007年の8月9日、まさしく長崎原爆の日に85才でこの世を去った。そして、この写真は、50年封印され、彼が、その封印を解いて、公開する気になった動機。公開してからのアメリカ国内での反感、特に退役軍人からのいやがらせに、彼の家族はさいなまれることに。
そして、オダネルのからだも、原爆症に侵され苦しむことに。
彼の死後、息子によって トランクの中から オダネルの肉声を録音したテープが発見される。
『アメリカは きのこ雲を見て、戦争は終ったと思っていた。
でもそれは、この50年に渡る、生き残った日本人にとっての苦しみの始まりだった。
確かに日本軍は、中国や韓国に対してひどいことをした。
「原爆は戦争を終わらせるために必要だった」と教え込まれてきた。
しかし、あの小さな子どもたちが、何をしただろうか。
戦争に勝つために、本当に、彼らの母親を殺す必要があっただろうか。
1945年、あの原爆は、やはり間違っていた」。
「はだしのゲン」の露骨な表現より数倍も、この一枚の写真が
戦争のすべてを語って、見たものの心を揺り動かす。