私の先祖の一人「牧原奇兵」(62歳)の記録がネットで見つかりました。
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八月二十二日、西軍 猪苗代陥落。
「白虎隊」他 諸志隊、戸の口原、強清水、大野原に胸壁を築く。
郡奉行・牧原奇平は 代官属吏を督し、糧食役夫を提供す。
二十三日早朝、西軍の先鋒土州兵来り戦を挑む。
白虎隊・奇勝隊・敢死隊は十六橋を隔てゝ戦ふ。
我が兵奮戦すと雖も衆寡敵せず且戦ひ且つ退く。
敢死隊頭 小原信之助、辰野勇 戦死す。
遊軍隊頭 小池繁次郎、笹山方面に進み兵を督して戦ふ。
小池・安藤・村松・常盤等戸ノ口原に止まり、一歩も退かず戦ひて死す。
我が軍遂に支ふる能はず、水戸兵も亦敗る。
牧原奇平傷を被りて自刃す。
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「牧原奇平」は「郡(こおり)奉行」として、強清水近辺の村々を廻り食糧と人夫の調達に廻っていた。しかし敵の侵攻が早く、強清水で敵弾に当たり、自刃した。