さて、それでは、当家の祖「平石」氏は、いつの頃から
「桜井松平」家の配下にいたのか。
『安城市史』5資料編、
天文18年(1549)一向宗(本願寺派)の「本證寺」門徒の連判状に、
「牧」姓の者が4人も おります。
この年、家康の父「松平広忠」は24歳で歿。家康は当時
まだ7歳。「竹千代」として駿府の今川義元の元に人質として
おり、安城は今川と織田の勢力争いの場となっていました。
1560年、桶狭間で今川義元が織田信長に討たれると、
家康は晴れて岡崎に帰還します。
しかし まもなく、三河一向一揆に苦しめられます。
三河一向一揆は、安城の「本證寺」他、本願寺末寺が
家康に敵対したもので、「桜井松平」は一揆方に加わり、
家康に対抗します。この時、家康の重臣の「本多正信」や
「蜂谷貞次(徳川16神将の一人)」も一揆側に付きます。
この「蜂谷」氏は 私の妻(旧姓「蜂谷」)の先祖です。
家康と一揆側が和睦した後、「桜井松平」は 松平の一族と
いうことで、所領は安堵されています。
徳川・松平の家臣には、「牧野」「牧」姓が結構おり、皆
「牧の原」の出と言い伝えています。同族なのでしょうか。
でも、その「牧の原」の場所が特定できません。
全国の「牧原・平石」姓の方、先祖のことをご存知でしたら、
ご連絡ください。