午前6時の気温は零度。
暖かな朝でござる。
昨夜から今朝にかけて、けっこう雨が降り、そこそこ降り積もっていた雪もずいぶん融けた。
雪が少なくなって、元の暗い朝を迎えておりまする。
そんなことで、ご近所の人気スキー場「ニセコグラン・ヒラフスキー場」はいまだオープンしておりません。
「中山峠」は25日からオープンで、「ルスツリゾート」は26日から部分オープンしておるそうですけどね。
まだこの程度の雪の量ではねぇ、、、
今シーズンは50万泊に及ぶ外国人などの予約がすでにあるというご当地だけど、本格的なスキーシーズンは12月半ばからでしょうかね???
さて、
トルコとロシアがややこしいことになっておる。
先日トルコがロシアの爆撃機を撃墜したのをきっかけに、今度はロシアがトルコの物資輸送車を空襲したそうな。
なんと両者の因縁は16世紀まで遡る。
帝政ロシアとオスマン・トルコの確執は、ロシアが冬でも凍らない港「不凍港」を求めて南下したことに始まるとか。
「露土戦争」と呼ばれておるそうで、1500年代から延々12回も戦争しておる。
あのナイチンゲールが看護師として活躍したクリミア戦争もその「露土戦争」のひとつで、これはトルコの勝利。
ですが「露土戦争」のほとんどは、トルコが負けておる。
だからトルコは、日露戦争でロシアに勝利したニッポンには、そもそも好意を持っておったね。
現在ニッポンで公開中の日本とトルコの合作映画「海難1890年」は、トルコの軍艦「エルトゥールル号」が和歌山県串本町の沖で遭難し、これを町の人々が救ったことを映画化したものじゃ。
おぢ夫婦のトルコ旅行をきっかけに、この「エルトゥールル号遭難事件」については当ブログで何度か書いた。
この事故をきっかけに、トルコ人はニッポン人が大好きになる。
トルコの田舎町では、ニッポン人と見れば、子どもたちが一緒に写真を撮ろうと寄ってくるほどですわ。
そして1985年のイラン・イラク戦争の時のこと、テヘランに約200人のニッポン人が取り残されましたです。
一刻も早く救出しないとニッポン人の命はヤバかった。
しかしテヘランにはトルコ人も600人が取り残されておったね。
当時の伊藤忠商事の方がトルコ首相と親しくしておったので、トルコに救援をお願いした。
そしたら、トルコは自国民よりニッポン人を優先して飛行機を飛ばし、全員を救出したのでした。
これについてその後、駐日トルコ大使はこう申したという。
「エルトゥールル号の借りを返しただけです」。
涙モノです!!
そんなことで、ニッポンとトルコの間には大感動のドラマがあったりするのです。
またその後、東大に留学しておったトルコ人留学生が、当時、あんなことやこんなことをする場所を「トルコ風呂」と呼んでいたことに怒り心頭、文科省に抗議した。
そのころ、ニッポンの男どもはススキノに繰り出した勢いで「トルコにいくべ!!」とか申しておったわけ。
そしたら我がニッポン国政府は、役人とはとても思えぬ異例の速さでトルコ風呂を「ソープランド」と改名。
いまは誰も「トルコ」が、あんなことやこんなことをするところとは、まるで想像しないことに相成った。
風俗の世界では、いまやすっかりソープが定着だもねぇ、、、
そもそもトルコとロシアの話を書くはずだったけど、なんだか、ずいぶんと逸れちゃったなぁ、、、
書くのも疲れたので、今日はソープの話で終わりじゃ!!
数少ない読者の皆さん、スマンね!!