午前6時の気温はプラス16度。
ほぼ快晴の良いお天気で、涼しい朝なのでござる。
質の良い睡眠でしたので、寝起きもたいしたよろしい。
一昨日から札幌へ行っておりました。
そんなことで当ブログ、お休みでした、スマンこってす!!
中学校のクラス会と、墓参りが目的でござる。
かつて北3条西11丁目にあった、今は無き札幌市立陵雲中学校3年7組のクラス会なのでした。
会場前には「3年5組」のクラス会と書かれておって、「そっか、7組と思っておったけど実は5組だったか…」とこの手の記憶も定かではないわけで、そんなこと書かれるとすっかり自信を無くす今日この頃ですわ。
実際には、ちゃんと7組でホッといたしました。
この手のことにはさっぱり自信がない、今日このごろのおぢでござる。
クラス会の参加者は、先生を含めてわずか10人と寂しいもので、それもよく見る顔ばかり。
担任の小林武四先生は、少し背中が曲がってますけど、ボケたりもせず、頭はかなりしっかりしたご様子でした。
なんでも今現在、囲碁8段なのだそうです。
ボケどころかたいした冴えておるらしい。
なにより気の利いた冗談をいまでも飛ばせるあたりがただもんではございません。
この先生は、先年も書きましたが、いまならとっくに懲戒解雇される破天荒教師でございました。
その昔は、おぢたちのホームルームの時間に教室を抜け出し、「愛車ジャガー」と称するバイクに乗って、パチンコ屋に行っておった。
でもって、玉が出ておるときは、時間になるとハンカチをパチンコ台に詰めて、学校に戻って授業したとか。
さらには、相撲部や柔道部の顧問をしていたので体格もよく、当時のやんちゃな中学生を、ボコボコにしておった。
昭和30年代後半の札幌中心部には、一条、幌東、陵雲、中島というワルばかりが跋扈する有名中学校があったのです。
おぢたち世代はおとなしく、なんちゅうことなかったのですが、1年、2年先輩の男子生徒はリーゼントにラッバズボン。
学ランの中はというと、腹にさらしを巻いて、そこにヤッパを忍ばせておったです。
豊平川の河川敷で中学生同士が、チェーンや刃物などで武装して対峙したと、当時の新聞の社会面トップをにぎわしておった。
以前も何回か書きましたけど、大通公園で上級生に恐喝された際には、「戦争から帰ったとーさんから、死なない刺し方聞いた。おい!! カネ出せ」と言われたことも。
こんときは「死なないように、刺すんだぁぁぁ~」と心底ビビりましたわ。
当然、ポケットの中の、なけなしの100円札をおずおず差し出した。
また美人の先輩が、新学期から見かけないと思ったら、売春で捕まって、転校したのだとか、、、
そんな話をフツーにしておった中学校でしたのよ。
だから、2階にあった3年生のトイレからはモクモクとタバコの煙がたなびき、トイレのドアはヤッパの刺し傷がごっちゃり。
職員室も2階にあって、そこに行くまでが怖くて怖くてという新1年生でしたわ。
そんな生徒たちと取っ組み合いして、生徒をボコボコにしておったのがこの小林武四先生でした。
小さくてビビリのおぢなんか、なんて頼もしい先生だ!! と心底思ってましたわ。
また、授業中におしゃべりしておる生徒に向かって、ピシッとチョークを投げつけたのも忘れません。
命中率は定かではない。
ごつい風体にも関わらず、結婚相手が美人の「準ミス・スズラン」だったのも記憶しておる。
その昔、札幌にはミススズランという美人コンテストがあったのです。
破天荒でしたけど、いまでも人気の先生なのです。
「でもしか教師」(教師にでもなるか、教師にしかなれない)と言われた時代の先生たち、実は凄みがって面白い人がごっちゃりいた。
昔話に花を咲かせながら、楽しく飲んだのですが、最後に会費を巡って一悶着。
会費はひとり5500円とクラス会の案内にあったので、幹事役のとある会社経営者がひとり一人から集めた。
ところが、会場となった旅館の女将には4500円と約束しておって、差額のひとり1000円を巡って大騒ぎに。
女将は「先生から会費はいただかないからいいか」と思っておったそうだけど、この幹事は先生からも5000円をいただいておったです。
そこで幹事はみんなから集中砲火。
「ひとり1000円をネコババ? お前は升添か?」に始まっての大ブーイング。
結局出席のみなさんに1000円づつお返しして事なきを得たのでした。
算数ができない経営者なのか?
はたまた升添並みにセコイのか?
最近は「立派な経営者」とごく一部でいわれておる某、大ヒンシュクなのでござった。
ボケも入って来たかぁ???