午前6時の気温はマイナス2度。
どんより曇り空の朝です。
きょうは夜に雪か雨のお天気だそうな。
そんな今朝は道東の中標津町で震度5弱の地震だそうな。
ご当地は、震度は観測されてませんけど、大きな地震に違いない。
ケガ人など出ていないといいのですが…
なにせ、道東では巨大地震が想定されており、その前にはご当地周辺の日本海側でも大きな地震が起きるという。
心配なことです。
さて、
「首相案件」と書かれた文書が農水省で見つかって、いよいよ安倍官邸も崖っぷちでござる。
さらにTBSの取材によれば、愛媛県職員は2015年4月2日に面会した際に、柳瀬さんと交換した名刺を持っておるそうだ。
名刺を交換しておったのに、ぬけぬけと「記憶にない」って、そんなもんが通用していいのか?
厚顔も極まっておる。
その柳瀬さんは国会に呼ばれるらしいけど、佐川さん同様、何もしゃべらんのだろう。
ここは備忘録を書いた正直な愛媛県職員に来てもらって、どっちがどうなのか聞くしかない。
文藝春秋5月号の対談、「安倍政権と旧日本軍の相似形」では、「国民の官僚」という言葉が出てくる。
そもそも国民に尽くす公僕こそが官僚ですから、「国民の官僚」であるべきでしょう。
半藤一利さんは、「昔は気骨のある官僚がいたことを伝えていく必要がある」と述べておる。
開戦前夜の外務省は、日米交渉による開戦回避で、国の方針に反旗を翻しておったそうな。
そのころアメリカ局長だった寺崎太郎さんは身の危険を感じ常にピストルを持ち歩いていたという。
かつては身の危険を顧みない官僚が大勢いたとしておる。
命の危険を冒しても、開戦を回避したい思いが伝わるのです。
また、保坂正康さんは、官僚の忖度が国家全体を左右したケースも多いとしてこう述べておる。
昭和16年7月2日の御前会議の前に行われた大本営政府連絡懇談会で、陸軍側の草案の中に初めて「対英米戦ヲ辞セス」という文言が入ります。
これを書いたのは陸軍省軍務局のある軍官僚だ。
戦後にインタビューした際に、なぜこのような言葉を入れたのか尋ねたところ、直属の上司である軍務課長や陸相だった東条がしきりに、「陸軍は南方作戦も考えなければならならんな」と言っていた、という答えでした。
具体的な指示があったのではなく、上司たちの言葉から「対英米戦も覚悟しなければならないということだな」と忖度して草案を書いたというのです。
ありゃ~、忖度で「対英米戦ヲ辞セス」となったのか…
そんなことから戦争に突き進んでいいのかと、ビックリ仰天いたします。
自分の保身や忖度によって、結果、国のかじ取りを誤ることもあるのです。
前川喜平さんのような、気骨ある官僚、「国民の官僚」を育てる仕組みが、いまこそ必要なのだとおぢは思うのでした。