おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

「イラク日報」、実は「昨年3月に確認」で大丈夫か? 「文民統制」

2018年04月05日 | Weblog

午前6時40分の気温はマイナス2度。

予報によると、日中の最高気温もプラス3度しか上がらないとか。

風もあって肌寒い。

きのう夕方は雪も降るなど、ここんとこ寒い日が続いておって、雪解けも中断だ。

あすも雪だそうな。

簡単に春はやってきませんなぁ、、、

写真は、朝食でいただいた「アスパラガス」の初物です。

道産品(ハウスもの)はまだ値段がお高く、香川産をいただきました。

おいしかった!!

さて、

自衛隊のイラク派遣部隊の「存在しない」とされた日報が見つかった問題ですけど、実は去年3月、すでに陸自研究本部というところで、日報が確認されておったそうだ。

つまりは当時の防衛大臣稲田朋美さんこと、ともちんに「日報」の存在を報告していなかったということ。

NHKニュースは、「与党内からも、『言語道断であり、文民統制の観点からも、深刻な問題だ』などと、防衛省の対応に批判が相次いでいます」と伝えておる。

当たり前だ!!

先の大戦前、ニッポンの旧陸軍は数々の大暴走を繰り返した。

石原莞爾という軍人は、関東軍参謀として、満州事変と満州国建設を指揮した。

戦争するとかしないとか、国の方針は政府がどうすべきかを決めるはずだ。

ところが、旧陸軍の石原莞爾ら軍人が勝手に大暴走して、満州事変を引き起こした。

軍隊が勝手に戦争をおっぱじめるという、どっからどうみても異常な事態が起きておったのが戦前のニッポンだ。

その後は、武藤章とういう軍人が、盧溝橋事件を拡大、東南アジアへの進出方針を決めて、ニッポンをその後の大敗北へと導いていく。

武藤は、中将だったにもかかわらず、極東軍事裁判で死刑になった。

300万人を超えるニッポン人を犠牲にし、国を敗戦に導いた張本人のひとりだから、当時の死刑判決は当然だろう。

この武藤章も、いまは靖国神社に祀られておるから、天皇だって靖国参拝はしないのだ。

一方、楽しく拝見しておるNHKドラマ「西郷どん」の西郷隆盛さんは逆賊にされて、靖国神社には祀られておらん。

靖国神社は、戦犯は祀って、西郷さんは祀らないのだ。

そもそも、靖国神社の前身は戊辰戦争で戦死した軍人をまつるために創建されたものだから当然と言えば当然だ。

靖国神社は、勝ち組である明治政府の神社なのだ。

前の戦争で「靖国神社で会おう」と多くの日本兵が死んでいったとはいえ、一方に偏った神社には違いないのです。

だから、南北戦争の双方を祀るアメリカのアーリントン墓地のように、国のために戦争で亡くなった人すべてを祀る施設が必要だと、おぢは申しておるね。

話が別な方に行っちゃてスマンこってす。

話を戻しますと、

旧陸軍のような、軍部の独走を防ぐため、その反省に立って政治が軍を統制する「文民統制」(シビリアンコントロール)が戦後できた。

だから自衛隊は、文民である防衛大臣の下に統制されねばならん。

なのに自衛隊は大臣への報告をしないまま、日報を隠しておった。

自民党内から「深刻な問題だ」との声が出るのも無理はない。

あっちもこっちも、官僚がおかしなことになってきた。

なにが官僚にそうさせるのか、ニッポン国民「じっくり考えてみよう!!」ってことだと思います。