おぢのニセコ山暮らし

山暮らしと世間のあれこれを書き綴ります

いまごろ「存在しないはずの自衛隊イラク日報」が出てくる奇怪

2018年04月03日 | Weblog

久々に早起きをいたしました。

午前5時の気温はプラス2度。

といっても、就寝したのは午後9時過ぎでしたから、しっかり8時間近く寝ております。

途中トイレにも起きず、熟睡じゃ。

ちゃんと目が覚めて、なんか嬉しい。

というのも、60代だった母親の姉は、前夜まで元気だったのに就寝中にそのまま逝っちゃたため。

「脳血管系」がヤバイ血統なのだ。

もっともおぢの場合は、血圧は高くないし、オリーブオイルに亜麻仁油、青魚などなど食して用心はしておる。

睡眠時無呼吸症候群の方や血圧の高い方は、就寝したまま朝が来ない可能性もあるので、健康管理には気をつけましょうね。

そんなこんな、今朝のご当地はどんより曇り空で、日中は曇り時々雨の予報だ。

冒頭の写真は、きのうの除雪作業の模様ですわ。

家の両側にうず高く積まれた雪を除雪機で跳ね飛ばしたのです。

いつもの年ならこんなことしなくても、トットと雪は融けますけど、大雪だった今シーズンはそうはイカキンなのだ。

 

下の写真は、まだ物置小屋が屋根しか見えません。

高いところで2メートルを超えておるからねぇ、、、

そう簡単に除雪も進みませんです。

上の写真はデッキから。

スコップで雪を切り崩しては、除雪機で飛ばすという繰り返しの跡が判ります。

ちゃんとした肉体労働なのだ。

左肩はまだ少々痛い。

だけど、このまま動かさないままにすると動かなくなる。

体が硬くなれば、血管も硬くなるそうで、これが破れると、寝たままあの世へ「ひろみGO」だ。

ストレッチ含めて、体は柔らかくキープしましょうね。

さて、

「存在しない」はずの自衛隊日報が出てまいりました。

平成16年から18年にかけて、イラクに派遣された陸上自衛隊の現地部隊が報告したものだ。

延べ376日分、およそ1万4000ページにも及ぶ文書ですわ。

自衛隊は、イラク南部に派遣され、学校や道路などの施設整備、給水活動や医療技術の指導をした。

イラク戦争後の現地の「復興支援」にあたったそうだ。

当初は「非戦闘地域」とされましたけど、部隊の宿営地やその周辺に13回にわたって迫撃砲弾やロケット弾が撃ち込まれた。

報告書には「戦闘」という言葉があったとされる。

当時の防衛大臣稲田朋美さんこと「ともちん」はこういったことを、おぢは忘れてないね。

「事実行為としての殺傷行為はあったが、憲法9条上の問題になる言葉は使うべきではないことから、武力衝突という言葉を使っている」

アホか!!

「戦闘行為」があった場合、自衛隊はPKOに参加できないから「武力衝突」にしたという、お笑いお粗末答弁でござった。

おぢはそもそも自衛隊が、海外へなんぞ行くべきではないと思うけど、この文書は今後の派遣部隊に役立つ貴重なものだ。

当たり前だけど、誰が考えても考えなくても、こんな重要な記録が無くなるわけがない。

もっとも、安倍政権は戦闘であることを認めないままイラクから撤収した。

自衛隊員の危険を賭して派遣するわけで、それでもそんなに重要なことなら継続すべきだった。

国際貢献だなんだと理屈をつけて、海外派遣したけど、もし自衛隊員に何かあれば政権が吹っ飛ぶから止めたんではないのかね!?

今回の報告書だって、安倍政権が飛ぶ鳥を落とす勢いだったころには、知らぬ存ぜぬだった。

支持率急落で、すっかり「落ち目の三度笠」になったから、公開したのかも知らん。

とはいえ、これだって公文書だ。

イラクに赴いた自衛隊員が、「現地の戦闘」の模様や、隊員が危険な状況になったことなどを記録しておる重要公文書に違いない。

そもそも、上司の号令一下で動くのが自衛隊ってもんだ。

こんな文書は、幹部が「調査せよ!」とバシッと命令すれば、ものの5分であちこちのパソコンから出てくるんでないの?

旧日本軍なら、日報が消えて無くなったことにするなど至極当然だったか知らんけど、自衛隊は近代組織ですわ。

そんなデタラメは許されん!!

結果、当時ともちんは「確認したが、見つけることはできなかった」と答弁したけど、これも大ウソだった。

あっち(財務省)でも、こっち(自衛隊)でも、国民に対して大ウソばかり。

官僚がおかしいのか、安倍官邸がおかしいのか、いずれにせよ「信頼できない国の所業」に呆れる昨今でござる。