きのうは更新をいたしませんで、失礼をいたしました。
風邪っぴきで丸一日、寝ておりました。
今朝はなんとか起きました。
まだ熱っぽいことになっております。
シャワーを浴びで少しスッキリですけど、体調は戻っておりません。
まもなく午前7時で、気温はプラス14度だ。
きょうも大気が不安定で、曇り一時雨の天気予報です。
そんなきょう23日は、20万人が亡くなった沖縄慰霊の日だそうな。
実に沖縄県民の4人に1人が亡くなっておる。
そしていまも在日アメリカ軍の施設の7割が沖縄に集中しており、米兵による事件やヘリなどの墜落事故は後を絶たない。
沖縄に駐留する米海兵隊の一部は2025年にもグアムへ移転することがわかったと22日、NHKは伝えておるけど、先の長い話ではある。
沖縄の負担軽減は、喫緊の課題だと思うけど…
その22日、「インパール作戦」の平和資料館がインド東北部のインパール近郊にオープンしたと各マスコミが伝えておる。
この作戦は昭和19年に行われた旧日本軍による空前絶後の無謀な作戦として知られておる。
「旧日本軍の体質を象徴的に示したとされる」この作戦で、なんと10万人のうち3万人の日本兵が餓死や病死した。
以前に何回も書いておりますが、この作戦は「兵站(へいたん)」を無視したトンデモ作戦なのです。
兵站とは後方支援、最近はロジとか、ロジスティックと申しますけど、旧日本軍にはこれがなかった。
兵士の食糧調達から消耗品である兵器の調達と運搬、これがないと戦争なんぞ継続できるわけがないのだけれど、これが全く欠如しておった。
つまり、兵士の食料は「現地調達」、ようするに地元住民から略奪するってことでした。
おかげで、敗残した日本兵の帰り道は、食料もない上に住民を敵に回しておるわけですから、悲惨を極めた。
元兵士は「食べ物がなく、死んだ同僚兵士の死体を食べた」と証言しておる(NHKスペシャル「戦慄の記録 インパール作戦」)。
敗走する日本兵が通った道沿いには、亡くなった日本兵の白骨が散乱し「白骨街道」と呼ばれたそうだ。
司令官の牟田口廉也はこうのたまった。
「皇軍は食う物がなくても戦いをしなければならないのだ。兵器がない、やれ弾丸がない、食う物がないなどは戦いを放棄する理由にならぬ。弾丸がなかったら銃剣があるじゃないか。銃剣がなくなれば、腕でいくんじゃ。腕もなくなったら足で蹴れ。足もやられたら口で噛みついて行け。日本男子には大和魂があるということを忘れちゃいかん。日本は神州である。神々が守って下さる…」
神がかりのアホバカ司令官のおかげで3万人が餓死に病死です。
ニッポン人はこういう事実をけっして忘れてはいけないと思うのでござる。