自分の考えを持たないでいることが、
いかに愚かなことなのかを教える寓話としてロバと兄弟の話があります。
案外有名な話なので皆さんも知っていると思いますが、
どんな話なのかを紹介しておきます。
そうじゃのう~。あれは随分昔の事じゃった。
ある所にとても仲の良い二人の兄弟がいたそうな。
その年は、豊作で農作物が多く取れたそうな。
2人の兄弟は村で採れた作物を町に売りに行くために
ロバの背中に満載して2人で町まで売りに行ったそうじゃ。
全て売り終えての帰り道、兄弟は通りがかった人から、
「何故、ロバをひいて二人とも歩くのじゃ、ロバをひいている意味がない。
全くの愚か者じゃ。」と言われたようじゃ。
兄弟は恥ずかしい思いもしたが、それもそうだなと思い、
歳者は兄がロバの背中に乗る事にしたそうじゃ。
そうしてしばらく歩いて行くと、そこを通りがかった人に
今度は「君は、年少者への思いやりがないのか。」と言われたそうじゃ。
兄はそれを聞いて、これはいけないと、
ロバの背中に弟を押しやるように乗せたそうじゃ。
これで、もう文句を言う人はいないだろうと思って安心していたのじゃが、
しばらくすると、また通りがかった人から、
「何ということだ。年上に対しての礼儀をわきまえてない奴だ。
恥ずかしくもなくロバの背中に乗っていられるとは。」
と言われてしもうたそうじゃ。
こうなったら二人で乗るしかないと2人で乗ることになったじゃのじゃが、
もう通りがかる人が来ないでくれと念じていたのじゃが、
やっぱり、そんな時は通りがかる人はいるもので、
「何てことだ。人間が小さいロバに2人も乗るなんて。
動物に対しての思いやりのかけらもない奴らじゃ。」
と非難されてしまった。
もう兄弟たちは、どうしたらいいものか混乱をしてしまい、
もうこれしかないと、思いついたのが、
2人でロバを担ぐ事でした。2人は村までロバを担いで帰ったという話です。
この話に突っ込みを入れるなら、2人で担いで歩きだしてから
通りがかりの人と出くわさなかったんだろうか、
出くわしたら、絶対に、これこそ何か言われるだろうなとか思ったりするのですが。
私のような仕事をしていると、あ~なるほどな。愚かな行為だなあ~。
とは、ならないんです。
主体性の欠如というか、自分たちがどうしたいのかが無いとは考えません。
自分たちはどうしたいのか、何について重視しているのか、
初志貫徹、ゆらぎのない考えが兄弟にもあるんです。
それは、人からの非難を受けない。何としてもそれを避ける。
この考え、行動からは、兄弟は全くぶれていません。
兄を敬う、年少者をいたわる、動物を思いやる、自分たちのためにロバを役立てる、
そんな事よりも人からの非難を避けること。
これが兄弟たちが重要視している考えです。
この考え、気持ちを認めることから始めないとカウンセリングは始まりません。
それを認めず、この兄弟たちは愚かであると結論してしまう事は、
自分がさらなる通りがかりの人となって物語に登場するのと同じです。
この作者の本当の意図は知る由もありませんが、
兄弟に対する話だけでなく、同時に通りがかりの人たちへの
戒めのメッセージが隠れているようにも思います。
人からの非難を避けることを重視したってかまわない。
人それぞれ大切な者は違うものです。人がとやかく言うものではありません。
私は、本人たちが、これではいけない。変わる必要があると思う場合のみ、
それについて話し合う事を始めます。
催眠療法&心理療法 神戸ストレスカウンセリング・ルーム花時計
いかに愚かなことなのかを教える寓話としてロバと兄弟の話があります。
案外有名な話なので皆さんも知っていると思いますが、
どんな話なのかを紹介しておきます。
そうじゃのう~。あれは随分昔の事じゃった。
ある所にとても仲の良い二人の兄弟がいたそうな。
その年は、豊作で農作物が多く取れたそうな。
2人の兄弟は村で採れた作物を町に売りに行くために
ロバの背中に満載して2人で町まで売りに行ったそうじゃ。
全て売り終えての帰り道、兄弟は通りがかった人から、
「何故、ロバをひいて二人とも歩くのじゃ、ロバをひいている意味がない。
全くの愚か者じゃ。」と言われたようじゃ。
兄弟は恥ずかしい思いもしたが、それもそうだなと思い、
歳者は兄がロバの背中に乗る事にしたそうじゃ。
そうしてしばらく歩いて行くと、そこを通りがかった人に
今度は「君は、年少者への思いやりがないのか。」と言われたそうじゃ。
兄はそれを聞いて、これはいけないと、
ロバの背中に弟を押しやるように乗せたそうじゃ。
これで、もう文句を言う人はいないだろうと思って安心していたのじゃが、
しばらくすると、また通りがかった人から、
「何ということだ。年上に対しての礼儀をわきまえてない奴だ。
恥ずかしくもなくロバの背中に乗っていられるとは。」
と言われてしもうたそうじゃ。
こうなったら二人で乗るしかないと2人で乗ることになったじゃのじゃが、
もう通りがかる人が来ないでくれと念じていたのじゃが、
やっぱり、そんな時は通りがかる人はいるもので、
「何てことだ。人間が小さいロバに2人も乗るなんて。
動物に対しての思いやりのかけらもない奴らじゃ。」
と非難されてしまった。
もう兄弟たちは、どうしたらいいものか混乱をしてしまい、
もうこれしかないと、思いついたのが、
2人でロバを担ぐ事でした。2人は村までロバを担いで帰ったという話です。
この話に突っ込みを入れるなら、2人で担いで歩きだしてから
通りがかりの人と出くわさなかったんだろうか、
出くわしたら、絶対に、これこそ何か言われるだろうなとか思ったりするのですが。
私のような仕事をしていると、あ~なるほどな。愚かな行為だなあ~。
とは、ならないんです。
主体性の欠如というか、自分たちがどうしたいのかが無いとは考えません。
自分たちはどうしたいのか、何について重視しているのか、
初志貫徹、ゆらぎのない考えが兄弟にもあるんです。
それは、人からの非難を受けない。何としてもそれを避ける。
この考え、行動からは、兄弟は全くぶれていません。
兄を敬う、年少者をいたわる、動物を思いやる、自分たちのためにロバを役立てる、
そんな事よりも人からの非難を避けること。
これが兄弟たちが重要視している考えです。
この考え、気持ちを認めることから始めないとカウンセリングは始まりません。
それを認めず、この兄弟たちは愚かであると結論してしまう事は、
自分がさらなる通りがかりの人となって物語に登場するのと同じです。
この作者の本当の意図は知る由もありませんが、
兄弟に対する話だけでなく、同時に通りがかりの人たちへの
戒めのメッセージが隠れているようにも思います。
人からの非難を避けることを重視したってかまわない。
人それぞれ大切な者は違うものです。人がとやかく言うものではありません。
私は、本人たちが、これではいけない。変わる必要があると思う場合のみ、
それについて話し合う事を始めます。
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