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女性マーケターから見た日々の出来事

地方と医療

2015-01-19 20:34:25 | 老親介護

昨夜、実家から帰ってきた。
父の容体が安定をし、リハビリなどが始まったことと、順番に兄弟で付き添う体制ができたからだ。
独居老人を抱えているのは、私だけではないと思っているのだが、現実に直面すると様々なことを考えざる得ない状況になってくる。

たとえば救急搬送という問題。
父が心筋梗塞を起こしたのは、午前5時前。
「この時救急車を呼べば、今と状況は違っていた」と、はっきり担当主治医から言われた。
私が、父から電話があったときはすでに心筋梗塞が起きて数時間が経過していた。
それでも、その時救急車を名古屋から実家の消防に連絡をして、搬送をしてもらえれば今とは違う状況だったと思っている。
しかし、父本人が「救急車は呼びたくない」ということで、知人に連絡をし何とか病院へ救急搬送をしてもらったときには、心筋梗塞が起きてから12時間以上が経過していた。
看護師さんからは「昭和一桁の方は、我慢に我慢をしてどうしても耐えれなくなって、救急搬送されるケースが多いんですよ。そうなると重症化していることが多く、治療も大変だし回復も遅くなってしまうんですよ」と言われた。
実は日ごろから「いつもと違う体調異常が起きたら、即病院」ということを言っていた。
それでも、救急車で病院に行くことに相当の抵抗感があったようだ。
理由は「ご近所に迷惑をかける」ということ。
実際帰ったとき、ご近所に「ご迷惑をおかけしました」とあいさつに伺うと、「救急車が近所に来たことは知っていたが、どこのお宅だったか知りませんでした。お宅でしたか・・・」といわれることが多く、当事者が考えている「ご近所迷惑感」とご近所の救急車に対する関心度には、大きな差があった。

現在父が住んでいるところは、築30年前後の家ばかり。
新築当時は、30代~40代の親+中学生以下の子供という世帯であったはずなのだが、今は60代以上の夫婦2人世帯か我が家のような独居世帯ばかりになっている。
その為、救急車で搬送される方も多く「また、誰かが運ばれたのかな?」という半ば日常化していたのだと思う。
実際、私が過ごしていた数日でも連日のようにに救急車のサイレンを聞いた。
都会で言われるような「タクシー代わりに救急車」という感覚ではないのが、地方の古い住宅地に住んでいる人たちの感覚なのかもしれない。

そのような「救急搬送」という問題はもちろんなのだが、その前に何とか手当ができないか、ということも重要なのでは?と、看護師さんの言葉から感じた。
たとえば最近見かけるようになった「サービス付高齢者住宅」。

地方に行くと、上述したような理由で世帯の高齢化に伴い、小学校などが生徒数の減少により廃校になるケースがある。
実際、父が住んでいる地域でも、児童数の減少により小学校が廃校になっている。
そのような廃校になった小学校などを利用して、自治体と病院が連携をして「サービス付高齢者住宅」を運営する、ということはできないだろうか?
自分が長い間住んでいる家から離れ、老人ホームや老人介護施設に入所することに抵抗感がある高齢者も多いと思う。
まして、私の父のように「健康で、自立した生活ができる自分」に誇りを持っている高齢者も多いはずだ。
とすれば、その「健康で自立した生活」をしながら、突然の病気や既往症の急変などに対応できるような「サービス付高齢者住宅」への転居は、子供側としても説得しやすく安心の担保となる。
廃校になったとはいえ、小学校などはその地域の中心的な役割をしていた場所。
その小学校を卒業した子供たちにとっても、行きやすい場所なのではないだろうか?
もう一つは、小学校そのものが持っている設備機能を活用できる、という点でも魅力的だと思うのだ。

自治体が「サービス付高齢者住宅」を運営する、ということに抵抗感があるかもしれないが、市営住宅があるように高齢者向けの専用住宅があっても、良いのでは?
そのようなことを考えた、父の緊急入院と付き添いだった。