昨日、Yahoo!のトピックスに「政府が終身雇用の見直しを検討」という趣旨の記事が取り上げられていた。
産経新聞:終身雇用など日本の”常識”見直しへ 骨太方針閣議決定
この見出しを見た時「今の日本企業のうち、終身雇用が守られている企業はどれほどあるのか?」という、疑問を持った。
ご存じの通り、日本はバブル経済崩壊を機に「リストラ」という名の、「首切り」が当たり前になってきている。
「リストラ」という名前が聞かれ始めた頃は、定年を間近にした年齢の中間管理職のような立場の人達が多かったように、記憶している。
企業内で業務内容の比較的影響が少なく、給与が高く労働組合などと関係のない人達が、対象とされていた、ということでもある。
もちろん、このような「リストラ」が社内で発表されると、「早期退職募集」ということになる為、企業の思惑通りとはならない部分もあったように思う。
逆にこの年齢層の方たちにとって、「あとわずかで勤め上げられるのに…。」という思いがあったり、逆に「リストラ敢行」により、将来有望な若手社員が、企業に見切りをつけ退職する、という場合も数多くあったからだ。
その後の「リストラ」となると、バブル期入社(=大量雇用世代)を対象としたりして、企業側が経費削減の為の積極的な「リストラ」が行われてきた。
おそらくこのような「リストラ」が当たり前になり始めた頃から、日本企業における「終身雇用」そのものは無くなっていたのではないだろうか?
それを改めて「日本の常識」としての「終身雇用」と、言われてもピンとこないし、「何を言っているのか?」という気になってしまう。
このようなことを「骨太方針」と政府が言ってしまう理由を考えると、政治家の多くが「終身雇用」という形態で職業についてきていない、ということがあるのでは?という気がしている。
と同時に、先日岸田首相が話した「働く人のリカレント教育」ということと関係しているのでは?という、気がしたのだ。
建て前として「働く人のリカレント教育(=新たな知識や技術を学ぶ)」による労働力の流動化」ということが、あるのでは?と、考えている。
確かに「新しい知識や技術、資格取得」によって、労働力の流動化はしやすくなるかもしれない。
ただ、その為には働く人達に「時間と費用・職場の理解」が必要となる。
既に大手企業では、毎年春になると「通信教育」のカタログが配布され、積極的な学び支援をしている。
興味のある人にとっては、費用の一部を企業側が負担してくれるので、学びやすい環境と言えば言えるのだが、このような制度を利用している人たちが、企業内でどれほどいるのか?という疑問がある。
それだけではなく、「勤務先が費用の一部を負担していながら、労働力の流動化と称して転職するなんて、モラルがおかしい」と、感じる方も少なからずいらっしゃるだろう。
元々、企業が進めている「通信教育」のほとんどが、現在の職務に近い内容を選ぶような勧められ方をしている。
「学びたいモノを学ぶ」為には、やはり自分で「時間とお金」を用意する必要がある、というのが感じ津なのではないだろうか?
それだけではなく「働く人の新たな学び」によって、本当に労働力の流動化」がしやすくなるのか?という点で、疑問を感じている。
上述したように、バブル経済崩壊後相次いだ「リストラの嵐」によって、ある程度「労働力の流動化」を生まなくてはいけないはずだった。
しかし現実は、そうではない。
早期退職をした後、アルバイトなどで生活を支えるような人達が増えたのだ。
しかも、家庭経済を中心となって支える人達の間でも、このようなアルバイト生活のような状況をつくり出してしまっている。
リストラになっても大丈夫な資格保有をしていれば、労働力の流動の波に乗れたのか?は、多いに疑問なところがある。
何故なら、「リストラ」を敢行する反面、「自社の企業文化にあった人財」を求める企業が、今でも多いからだ。
既に起きている「終身雇用の崩壊」という視点で「骨太方針」としての「終身雇用の見直し」をしないと、企業にとっては「リストラしやすい推し三月」となるだけで、日本経済そのものにプラスとなる影響とはならないのではないだろうか?
昨夜、「新型コロナ」の感染対策分科会の会長をされている(?)尾身茂氏が、「第9波の入り口に入った」という趣旨の話をされている。
讀賣新聞:尾身茂氏「コロナ第9波の入り口に入ったのではないか」…5類移行後1か月で感染2.5倍
この見出しを読むだけでも、尾身氏は「2類相当から5類に移行した為、感染拡大が始まっている」と、警告をしているような印象を受ける。
確かに、「新型コロナ」の感染症としての扱いが5類になってから、感染者(=陽性者も含む?)が増えた、という数字は確かなモノだろう。
そのことに反論する気はない。
ただ、この5類になったことで、社会生活がどのように変わったのか?という視点が、尾身氏の言葉からは感じられない。
国内での移動が自由になっただけではなく、海外からの旅行者などの受け入れも積極的になってきたのが、ここ1か月の状況だ。
感染症の予防対策の基本の一つが「移動しない」ということだったことを考えれば、人が国内外を問わず自由に往来するコトができるようになれば、それだけでも感染症リスクは高まる、ということでもある。
5類移行はGW明けではあったが、今年のGWの観光地は「行動制限の解除」によって、多くの人たちが大挙して出かけていた。
移動に加え、いわゆる「人混みが各地で起きた」ということをかんがえれば、感染症拡大のリスクは十二分にあった、ということになる。
そのような条件を加味して1か月で2.5倍増加と言っているのか?というと、甚だ疑問なのだ。
何故なら、これまで日本政府が発表してきたデータは「人の生活行動」などを含めたものではなく、単に関係医療機関を受診して発見された感染者数を発表してきただけだからだ。
「数字」は正確なモノである、と子供の頃から教え込まされてきた感のある私たちからすれば、「感染者数」という数字は動かしがたい事実として受け止めてしまう。
しかし、データというモノはその「数字の背景にあるモノ」を分析した上で、調整をする必要がある(時がある)。
何故なら、データの公平性の為だ。
データというモノは、同一条件で行われた実験などによって得られる数字であって、単純に「医療機関で感染者として見つかった数字」ではない。
冷静に考えれば、当然のことではあるのだが、最近では「タイパ(=「タイム・コスト・パフォーマンス」の略か?)」と言って、何でもかんでも、「早い」ことが良いことのようにとらえられる風潮が、若い世代を中心に起きている(ように感じている)。
この「早い」の中に、「考える速度が速い」ということが、含まれていれば良いのだが、どうやら「他人様が創ったモノ」を適当にピックアップをし、自分では考えない、という傾向があるのでは?という、気がしている。
「自分で考える」ということは、それなりの情報を集め・自分なりに考え・分析をする、という面倒くさく、時間のかかる順番を要する。
「タイパ」という考えの対極にあることなのだ。
しかしこの「自分で考える」ということを習慣づけないと、今回の尾身氏の発言を知って「やはり新型コロナは怖い。行動制限をし、マスクをする生活をしなくては、自分の身が危険にさらされる」と思い、行動するようになる。
行動するだけではなく、感染拡大が懸念されていた頃の「新しい生活様式」を守らない人を、攻撃するような発言や行動をとることに疑問を持たなくなってしまう。
とにかく「政府(及び政府関係者)の話だから正しい」と思うのではなく、「本当にそうなの?自分の考えとの違いは?」という疑問を持ち、考える事が、「コロナ禍」で停滞した日本人の思考力の復活に大切なの気がするのだ。
日経新聞のWebサイトを見ていたら、「日本のクールジャパン」とは大きく違うな~と、感じさせる記事があった。
日経新聞:BTSデビュー10周年、K-Pop輸出は1000億円越え
韓国内での音楽の市場規模は、元々小さい。
その為、早い時点で日本デビューを目指し、活動を始めるアイドルグループはBTSが登場する前からあった。
特に、女性アイドルグループなどは、20年近く前から日本でデビューし、人気を獲得してきた、という経緯があったように思う。
ただ、女性アイドルグループという特性なのか?20代になると、メンバーそれぞれの方向性の違いから、活動中止などが相次いだという記憶がある。
そのような中で登場してきたのが、男性アイドルグループの「防弾少年団(現BTS)」だ。
女性アイドルグループにも言えたことだが、彼らは極力「韓国らしさ」を表現していない。
日本でデビューするのであれば、楽曲は日本語が中心の歌詞だった。
それが、日本より大きな市場規模を持つ米国へ進出する、という目標に代ると、歌詞は全て英詞となり、活動の拠点も米国へ移した。
これが、日本のJ‐Popと大きな違いだろう。
日本のミュージシャンやバンド、アイドルグループは、活動の中心はあくまでも日本であり、海外ツアーをするにしても日本の国内ツアーの延長という感じなのではないだろうか?
まして、ここ3,4年は「コロナ禍」にあり、海外に行くことすらできない、という状況だった。
J‐Popが何故海外志向ではないのか?と言えば、日本国内の音楽・エンターティメント市場が大きいからだろう。
米国に次ぐ市場規模を持っている、と言われるほど日本の音楽・エンターティメント市場は大きいと言われている。
無理に海外に進出しなくても、日本国内の活動だけでも十分、という考えが日本の音楽関係者やエンターティメント関係者にある、ということでもあると思う。
だからと言って、本当に今の音楽市場は国内だけにとどまっているのか?と言えば、そうではない。
例えば、何気なく見ているYouTubeにアラビア語(と思われる)楽曲が流れてくるコトがある。
アラビア語圏でのミュージシャンが、プロモーションビデオを制作し、YouTubeを通して全世界に広告として展開しているのだ。
このような、日本で音楽活動を展開する予定の有無が分からない国々のミュージシャンであっても、YouTubeを通して世界展開を始めようとしているのが、今の世界的な音楽市場・エンターティメント市場なのでは?と、印象付けるには十分なYouTube広告なのだ。
逆に、日本のミュージシャンやバンドが公開したMVを、海外の方々が見るという「リアクション動画」も、頻繁に見る事ができる。
もちろん、この時のMVは日本語の歌詞なのだが、翻訳表示ができるため、視聴者の言語に合わせて視聴することができる。
今やネットの世界では、「国内市場」という枠がない、という状況なのではないだろうか?
その状況を支えているのが、YouTubeではなくネット配信サービス、という点も忘れてはいけないだろう。
ネットの配信サービスを利用すれば、音楽市場そのものの国境がなくなってしまう。
もちろん、米国の音楽賞などを受賞するためには、活動拠点を米国に移し、英語の歌詞にするなどの策が必要だ。
何よりも、米国の音楽・エンターティメント界の重鎮と言われる方々のサポートが無くては、難しいだろう。
それほど、米国の音楽市場の中でもポップミュージックの世界は、偏重的な部分がある。
もし、日本政府が本気になって、J‐Popを「クールジャパン」の一つとして位置づけ、積極的に展開をするのであれば、海外の音楽・エンターティメント業界に詳しい人物だけではなく、法務的にも詳しい人材が必要になる。
このような、下地つくりから始めなくては、J‐Pop が輸出産業に成長していかないだろう。
とはいえ、今海外から注目されている日本人ミュージシャンやバンドが数多くいる、という現在をチャンスととらえる必要もあるのではないだろうか?
朝日新聞のWeb版を見ていたら、「見方を変えると随分扱いが違うな~」という記事があった。
朝日新聞:廃棄食材で育った実験ウニ「丼いっぱい食べたい」商品化目指す試み
「うに」と聞いて、頭に思い浮かべることは、何だろうか?
鮨屋の「うにの軍艦巻き」だろうか?
それとも、「うに丼」だろうか?
東北の方であれば「いちご煮」かもしれない。
いずれにしても、「うに」という食材は、一般的には「高級食材」と認知されているのでは?と、考えている。
その一方で、「うにが厄介者」として扱われる地域もある。
昨年だったか?私のSNSのフォロワーさんのおひとりが、「海藻の天敵・うにの駆除」というtweetを捕獲(というのか?)をされていた。
恥ずかしい話なのだが、このtweetを見るまで、うにが海藻の天敵である、ということを知らなかった。
確かに、うにの産地と言われる地域では、昆布やわかめなどの海藻類も特産品となっている地域と、重なる。
うににとって、美味しい海藻類は住みやすく繁殖しやすい地域ということでもあるようだ。
となると、海藻類を要職している漁業関係者にとっては、うには天敵ということになる。
それだけではなく、同じく海藻類を食べるアワビなどの生育地域を侵食している、ということでもあるという。
過剰のうにの繁殖によって、うにそのものも生育が悪くなり、スカスカのうにしか獲れなくなってしまうようだ。
餌となる海藻類が減れば、当然身入りは悪くなるはずだ。
「自然の食物連鎖」と言ってしまえば、それだけなのだが、ある漁業者にとっては「うには厄介者」ということになる。
気持ち的には「高級食材などではない!」ということになるだろう。
そのような実態を知ったうえで、この記事を読むと「うにを養殖する」という意味と目的が、わかってくる。
単に「高級食材・うに」を養殖するコトで、過酷で不安定なウニ漁を安定的で体の負担を少なくし、よりおいしい身入りの良いうに養殖を目指す、ということだけではない、ということだ。
むしろ海藻類の保護を進める事で、より豊かな水産資源を確保したい、という考えがある、ということが分かる。
とはいえ、「豊かな水産資源を維持する」ということと「自然の食物連鎖」のようなコトを考えた時、「人工と自然のバランス」の難しさも考える必要があるように思う。
ある特定の生物ばかりに注目されることで、「自然のバランス」を崩してしまう可能性もまたあるからだ。
高級鮨店で食べる「うにの軍艦巻き」は美味しい(と思う。そもそも高級鮨店に縁がないのでわからない・笑)が、その高級食材が「厄介者」として扱われている、という事実も知ることでこれまでとは違う視点で考えられる例だと思う。
記憶から遠ざかり始めている感のある、東京五輪・パラリンピックでの大手広告代理店の談合事件。
談合を行った電通の第三者機関からの報告があったようだ。
朝日新聞:電通の第三者委「過剰なまでにクライアント・ファースト」五輪談合
クライアント獲得の為に、無理をしてまでクライアントのお願いを聞いてきた、というようにも思える見出しとなっている。
事実、記事でははっきりとは書かれていないにしても、無理を承知でクライアントの希望に沿うように、いろいろやってきた、というニュアンスを受け取ることができる。
この「電通クライアント・ファースト」で、思い出したことがある。
それは、電通に務めていらした女性の自殺をされた事件だ。
事件と言ってしまってよいのかわからないが、この時問題になったのは「超過勤務+セクハラ+パワハラ」という点だったように記憶している。
「セクハラ+パワハラ」に関しては、今でも多くの企業が抱える内情的問題なのでは?と、感じている。
背景にあるのは「パターナリズム」と呼ばれる、家長主義や権威主義というモノが、潜在的に容認されており、加害者側にとっては一つのステータス的な意味合いを含んでいるのでは?と、感じる部分がある。
そしてもう一つの超過勤務だが、背景にある一つが「クライアントとの関係」だったのでは?ということなのだ。
広告に限らず、企画などを専門企業に丸投げする企業は、決して少なくない。
丸投げするときに、方向性や市場性などを把握しているクライアントであれば、まだよいのだが、そのようなモノも決められず本当に丸投げをするクライアントに限って、無理難題を押し付けてくる(傾向があるように感じている)。
そのようなクライアントのいうことを聞く=クライアント・ファーストということが、当たり前になってしまっていると、必ずどこかにしわ寄せがくる、ということは誰にでも分かる事だろう。
誰にでも分かる事であっても、当事者となった時わからなくなる、というのが「丸投げするクライアント」の特徴でもある。
問題なのは、「餅は餅屋」という専門部分を任せるのではなく、「餅屋から教えてもらう」というパートナー感覚を持っていない企業が、日本には多いということだと思う。
だからこそ、電通のいう「クライアント・ファースト」が企業文化として育ってしまうのではないだろうか?
そして「クライアント・ファースト」という文化が生まれてしまう理由として「お客様は神様」という思考なのではないだろうか?
この「お客様は神様」という言葉は、歌手の故三波春夫さんの言葉だが、本来の意味は違っていたはずだ。
それが、都合よく解釈され「お客様は偉いのだから、なんでもいうことを聞け」というような解釈がされるようになった。
そのような歪曲化された意味で、ビジネスパートナーとなるべき相手を見るような考えが「クライアント・ファースト」でもあったのでは?という、気がしている。
本来「顧客との良好な関係」というのは、「対等な関係」のはずだ。
顧客から教えてもらうことも数多くあるが、顧客もまた企業から教えてもらうことが多いはずだ。
そのような関係性の中で生まれてくるのが「信頼関係」であり「企業価値を高める資源」なのではないだろうか?
電通の「鬼十則」は、有名で、企業によってはこの考えを取り入れようとする企業も少なくなかった。
しかし今という時代、このような「鬼十則」が「クライアント・ファースト」という企業文化を生む土壌となったとすれば、時代遅れの考え方である、ということが分かるだろう。
「クライアント・ファースト」という考えは、決して企業同士のパートナー関係を良好にするものではない。
そのことに、日本の企業も生活者も気づく時期にきているのだと思う。
ファッション専門誌のWWDのWebサイトを見ていたら、「もはや異質の言語」という印象を受ける記事があった。
WWD:「流行った言葉」1位は”蛙化現象”「Z世代が選ぶ2023年上半期トレンドランキング」発表
拙ブログに来られる方で、このトップ10ランキングの言葉をどれだけご存じだったのだろう?
「何となくわかるけど」という流行語は、わずか2つほどしかなく、他の言葉は見たことも・聞いたこともない、という言葉だった。
確かに、Z世代と呼ばれる中高校生~社会人2年目くらいの人達と接する機会は皆無だ。
だから知らなくて当然、ということになるのかもしれないが、それにしても元々の言葉の原型をとどめている流行語そのものも少ない、と感じている。
1位になった「蛙化現象」等は、一体何を指す言葉なのか?想像すらできなかった。
記事の説明文を読んでも、ますます疑問符ばかりが付いてしまう。
確かに「言葉は生き物」と言われるくらい、時代と共に生まれ、流行する言葉が毎年のようにある。
Twitterが流行し始めた頃は「〇〇なう」という、「今〇〇をしている」という言葉が、SNS界隈以外でも使われていた。
しかし、「〇〇なう」という言葉そのものを、今でもSNS上で使っているのか?と聞かれれば、おそらく今となっては「死語」のような扱われ方だろう。
時代の変化やスピード化によって、様々なモノが「陳腐化」してしまう。
その「陳腐化速度」が、年々早まっている、というのが今という時代なのだと感じている。
そして「若者言葉」そのものが「仲間内だけで認識されるような言葉」ということを考えると、「蛙化現象」などの言葉や意味を理解する必要はない、ということになる。
むしろ「若者言葉」は、仲間内から世間へと使われる場所が移っていくと、若者言葉そのものが陳腐化した、と使っている若者たちは感じてしまい、新しい「仲間内語」をつくりだしていく。
そのような傾向は、今に始まったことではないので、経験値的によくご存じの方も多いのではないだろうか?
上述したように、「仲間内言語」そのものは、仲間内以外で使われるようになると、急速に使われなくなり陳腐化してしまう。
その関係性は、「トレンドをつくり出していくフロントランナーとフォロワー」の関係に近いのかもしれない。
とはいうものの、「若者言葉」が生まれた社会的背景やその世代の価値観のようなモノが、「若者言葉」に反映されているという点を忘れてはいけないだろう。
今回のトップ10の中には、いわゆる「赤ちゃん語」と思われる言葉がいくつかランクインをしている。
「赤ちゃん言葉を使うのは、何故だろうか?」という、疑問を感じ取る事が重要なのだ。
「赤ちゃん言葉」を使う理由として、私が感じたことは「甘えたい・可愛く見られたい・(他者に)頼りたい・大人になりたくない」のでは?と、感じた。
「だから、今の若者はしっかりしないのだ」というのではなく、Z世代はそれよりも上の世代よりも大きな不安を抱えているのでは?ともとれる。
Z世代の流行語は「異次言語」だと感じる部分が、多々あるがそれらの言葉にあるZ世代の社会に対する感じ方を、キャッチすることが重要だと感じる。
一昨日だったか?ドバイに逃亡していた、ガーシー参議院議員が帰国し即時逮捕された。
このニュースは、逮捕前から様々なメディアで取り上げられていたので、ご存じの方がほとんどだろう。
ガーシー容疑者という人物については、ゴシップ記事の「暴露系ユーチューバー」として、紹介された頃ぐらいからしか知らないので、彼のキャリアがどのようなモノなのか知る由もない。
ただ昨年の参議院選挙で当選をして以来、一度も登院せず滞在中のドバイに居続けていた。
以前から気になっていたのだが、病気などの理由が無いまま登院しなかった国会議員というのは、衆参合わせた国会議員の中でガーシー容疑者が初めてだったのでは?という、気がしている。
それほど、国外の滞在し続け、議員活動をしなかった議員はいなかった、ということだろうし、選挙民の多くはこのような人物であろうと、感じていたのでは?と思っている。
とはいえ、有権者の民意を受け、当選をしたことには変わりない。
では何故、彼に投票したのか?ということを考える必要があると思う。
あくまでも想像でしかないのだが、彼が「暴露系ユーチューバー」であった、という理由のような気がしている。
国会をはじめとする、日本の政治の闇のようなモノを「暴露してくれるのでは?」という、期待だ。
とことが彼は、芸能界で活躍をしている知人を含め、自分の知り合いに対して「暴露」をしていただけに過ぎなかった。
その「暴露」も「脅迫めいた」モノになっていったようだ。
ガーシー容疑者を通して考える必要があるとすれば、「暴露」と「告発」の違いだろう。
どちらにも「秘密を暴く」という点では、共通しているのかもしれない。
ただ「暴露」には、どこか報復的な意味合いが含まれている。
報復する理由は、様々だろう。
自身が傷つけられた、と感じたから秘密を世間に公表するコト(=報復)で、傷ついた自分の正当性を認めさせたい、とか、お金儲けの為などの理由があるのだろう。
いずれにしても、「暴露」の動機となるのは「自分のメリット」ということになる。
そこには、暴露する内容の真実性は求められているわけではない、ということにもなる。
一方ガーシ容疑者に投票をし「政治の闇を暴露して欲しい」と思った人達の多くは、「真実性」を元にした「秘密を暴く」ということだったのではないだろうか?
決して、「秘密を暴くぞ!それが嫌なら自分のいうことに従え!」という意味ではなかったのでは?と思うのだ。
その意味では、ガーシー容疑者を支持した人達にとっては、期待外れというところもあったのではないだろうか?
何となくだが、ガーシー容疑者に投票した人達が期待したことは、「暴露」ではなく「告発」であったのではないだろうか?
根拠となる事実を元に、個人的利益ではなく社会的利益の為に「不正を告発して欲しかった」ということだ。
「秘密を暴く」と言っても、「暴露」と「告発」とは大きく意味も行動も違う。
その意味で、ガーシー容疑者が国会議員としての資質を持った人物であったのか?という点から、考える必要があるのではないだろうか?
今回の逮捕とは別に、気になっていることがある。
上述した通り、ガーシー容疑者は参議院選挙に当選してから1度も登院はもちろん、議員活動もしてこなかった。
しかしその間「議員報酬」は支払われていた(はずだ)。
それだけではなく、ドバイに滞在していた間もYouTube配信により、1億の収入があったという話もある。
とすれば、少なくとも支払われた議員報酬は全額返還して欲しいモノだが、未だにそのような話が出ないのは何故だろうか?
音楽を中心としたエンタメサイト「Real Sound」に「こんな時代なのか?」と驚くとともに、どこか危うさを感じる記事があった。
Real Sound:”実在しない”19歳港区女子のTikTokが100万回再生 増加する「AIインフルエンサー」の危険性と課題
記事掲載をされている「神宮寺藍」の写真を見た時、ビックリした。
ビックリした理由の一つが、知人が20代初めのころならこんな感じだったのでは?という、印象を持ったこと。
もう一つは、この女子がAIが生成した架空の人物であった、という2つだ。
それほど、実在している女子と感じてしまうほどの精巧なつくりをした架空の女子だったからだ。
神宮寺藍という女子は、あくまでも架空の人物なのだが、様々なデータから「今一番人気のある顔」という考えでAIによって生成された、と考えるべきだろう。
知人女性は、とても美人な方なので似てしまうのは、仕方ないのかもしれない。
正しくは、神宮寺藍が彼女に似せて作られたAI女子、ということになるのだろう。
注目すべきは、その「精巧な美人度」であり、現実性を感じさせるAI生成美人である、という点だ。
もちろん、神宮寺藍が登場する前にもコンピューターがつくりだした美少女はいた。
世界中で人気となった「初音ミク」だ。
彼女は「ボーカロイド」というコンピューター上の歌姫でありながら、ワールドツアーまで敢行した実績を持っている。
未だに、どうやってワールドツアーを敢行することができたのか?そのステージのイメージは持てないでいるのだが、ステージ上に投影された「初音ミク」の姿に熱狂するファンが世界中にいた、という事実を考える必要があると思う。
その「初音ミク」の姿は、あくまでもアニメーションに登場する美少女のようであり、決してリアリティーのある少女ではなかった。
当然、熱狂するファンも「現実に存在していない」ということを理解した上で、ファンとしてライブ参戦をしていたはずだ。
それに対して神宮寺藍は、上述したように存在しているような印象を持っている。
これまでの世界的な美術作品や音楽作品、あるいは小説などをAIに生成させ、「〇〇風」をつくり出しているレベルではない。
となると、記事にあるように「AIインフルエンサー」として、企業が起用(というのだろうか?)するようになると、これまでのCMなどの広告各堂とは全く異質な展開となっていくのでは?という気がしている。
事実、神宮寺藍はTikTokでバズっている。
SNSの中でもTikTokのユーザーは、若い女性が中心だと言われている。
とすれば、神宮寺藍は若い女性たちにとって「一つのモデル」となり、影響を与えている、ということになる。
これまでも、SNSという媒体によって、顧客として獲得したい層に合わせ、SNSの使い分けをしてきたはずだ。
そしてAIで神宮寺藍のようなインフルエンサーが登場するコトで、企業側はタレントや数多くのフォロワーがいるSNSユーザーを起用する必要がなくなる。
むしろ、「自社で考える理想的なインフルエンサー像」をつくり上げる事ができる。
経費面でも、タレントを起用するよりも安価で、契約上の問題も発生しない。
ただ問題になるのは、あまりにも精巧過ぎて「実在しない女子」という認識がされないコトで、上述したような「生成されたAIに似た人」に迷惑をかける(あるいは事件の種を蒔く)危険性をはらんでいる、という点だろう。
AIによって生成された人物には、生身の人間と違い「対人関係」を考える必要が無い。
それが逆に問題となる可能性をはらんでいる、ということなのだ。
コンピューターがつくりだした、ボーカロイドの初音ミクは、あくまでも「アニメーションのアイドル」のような存在であるのに対して、神宮寺藍は、生身の人間に近い錯覚を起こさせる。
これから先、このようなAIによって生成された美人・美少女によって、生身の人間がトラブルに巻き込まれる、ということも想定しなくてはならない時代がやってきている、ということなのだと思う。
先週1週間、独居老人の父の介護の為お休みをさせていただきました。
今後、このようなことが増えると思われます。
介護と仕事の合間に更新するコトになりますが、よろしくお願いします。