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「上古」とは、“大化の改新まで、あるいは大和時代(古墳時代・飛鳥時代)”の事とされますから、縁起は非常に古い神社のようです。
延喜式神名帳に列座とは、平安時代の927年にまとめられた『延喜式』の神名帳 (じんみょうちょう) に記載されている神社ということですので、格式の高い式内社ということになります。
また、苗村神社は“近郷三十三村にわたって氏子を有する神社”とされており、三十三村の規模は分らないものの近郷一帯の氏神様ということになりそうです。
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苗村神社は道路を挟んで西本殿と東本殿があり、西本殿の御祭神は国狭槌命(くにのさづちのみこと)、東本殿の御祭神は大国主命(おおくにぬしのみこと)・素盞嗚尊(すさのおのみこと)とされています。
10世紀の中頃までは東本殿が主殿となっていたようですが、現在は西本殿が主殿になって祭事が行われているようです。
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西本殿の鳥居の先に見えてくるのは、室町時代の1522年に建立されたとされる楼門です。
重要文化財に指定されており、この見事な楼門を見るだけでもここまで来た価値があったと思えてきます。
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境内は、拝殿の後方に本殿・境内社八幡社本殿(室町時代、重要文化財)・十禅師社(室町時代、重要文化財)が並びます。
八幡社は応神天皇を祀るものと思われ、十禅師社は近江日吉大社から勧請したものと考えられています。
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西本殿は平安時代の969年に造営されたのが縁起で、1217年に修造された後、その旧本殿に替わって、鎌倉時代の1308年に再建された建物と由緒に書かれています。
西本殿は国宝に指定されていますが、建物は塀の中にあり、詳しく見ることが出来ないのは神社の本殿にはよくある事で、拝所から参拝することになります。
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拝所の屋根の下の柱には2体の猿が祀られていました。
「子守り猿」と「厄除け猿」と書かれてありましたが、これには比叡山延暦寺(天台宗)と大津の日吉大社からの影響があるのかもしれません。
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西本殿の境内には神仏習合時代の名残りの不動堂があります。
特定の日しか仏像を見ることは出来ませんが、中には鎌倉時代の作で重要文化財に指定されている「木造不動明王立像」が祀られています。
不動明王像は、明治の廃仏毀釈の前までは、苗村神社に苗村宮庵室と呼ばれていた僧坊があり、その庵室の護摩堂本尊であったとされています。
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道路を挟んだ東本殿は社伝によれば、垂仁天皇(第11代天皇、紀元前29年~西暦70年)の時代に当地方を開拓された御祖をお祀りしたのが創祀とされています。
東本殿の主神に祀られている「那牟羅彦神(なむらひこのかみ)」は、蒲生野に工芸技術・産業を伝え広められた地元の祖神とされることから、当初は「なむら」の名から「長寸(なむら)神社」と呼ばれていたそうです。
現在の「苗村(なむら)神社」になったのは1017年に御一条天皇から苗村の称号を頂いた頃からといわれています。
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東本殿は、室町時代の建築とされ重要文化財に指定されている建物です。
西本堂と比べるとひっそりした感じがありますが、丹塗の朱色の残る森の中の神社でした。
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苗村神社の東本殿がある森の中には、「東苗村古墳群」と呼ばれる6世紀後半(古墳時代後期、飛鳥時代の直前頃)の古墳群の散策ルートがありました。
竜王町には古墳や須恵器が数多く発見されており、渡来系の帰化人の存在もあったということで、独特の文化を築いていた地といえるようです。