和歌山県新宮市にある「神倉神社」は、熊野三山の一つである「熊野速玉神社」の摂社になります。
熊野速玉神社の縁起によると熊野の神々が最初に降臨したのは神倉山とされ、降り立った場所は山中にあるゴトビキ岩だったとされます。
神倉神社はゴトビキ岩を御神体とする磐座信仰の神社であり、アニミズム信仰の社ということになります。
また、日本書紀には神武天皇が紀元前3年の東征の際に“熊野神邑に至り、旦天磐盾に登りて”と記されているとされています。
神倉神社はアニミズム信仰の場でありましたが、128年頃に熊野速玉神社が創建されたことから神道と結びつき、「熊野信仰」として全国へ拡がっていったようです。
こういった経緯があって、熊野速玉神社はこの神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれることになり、その名は地名になっていったと思われます。
神倉神社は熊野速玉神社にほど近い場所にあり、住宅街の外れにある駐車場から橋を渡って山に入ります。
寺院などでは「彼岸と此岸」の境に橋がありますが、ここは「神域と俗界」の境を切る橋になるのだと思います。
しかし、鳥居の前まで来て、急勾配の石段を見ると“この石段を登るのか!”と恐ろしくなってしまいます。
石段上りには慣れているとはいえ、こいつはかなり手応えがありそうです。
神倉山は標高199mの山で、ゴトビキ岩のある神社は中腹120mの位置にあるとされる低山で、石段は538段といわれていますが、登り始めるとかなりきつい。
ゴツゴツとした石が積まれていて歩きにくいことこの上なく、勾配がきついため、何度も休み休みしながら汗びっしょりになって登っていくことになりました。
あまりにも苦しいので水戸黄門の主題歌の歌詞を思い出しながら杖を頼りに登る。
“♪人生楽ありゃ苦もあるさ...歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて♪”
幸いにして後半は勾配がややなだらかになったので少し楽にはなりましたが、登っておられる方は当方同様に息も絶え絶えといった感じです。
やっと鳥居が見えてきた時には暑さでゆでダコのように真っ赤な顔になっていましたが、たどり着いた安堵感に満たされる。
区切るように囲まれた玉垣の内側が神域(本殿)ということになるのでしょう。
手水舎がありましたので清めるとともに、少しクールダウン出来ました。
ゴトビキ岩は写真で見たことはありましたが、その巨大さには想像以上の驚きがあります。
「ゴトビキ」とは熊野地方の方言で「ヒキガエル」の意味らしいのですが、その雄大な姿を見ると「熊野灘へ向かうクジラ」に見えてしまいます。
本殿前には地元の方と思える方が写真を撮ってくださっていました。
当方が着いた時はちょうとゴトビキ岩に太陽がかかってきて、“ダイヤモンド富士”を思わせる“ダイヤモンド・ゴトビキ”を背景にした記念写真を撮っていただくことが出来ましたよ。
ゴトビキ山の下で座禅を組んでメディテーションしているかのような写真を撮ってもらっている方もおられましたので、この場まで来ると和やんだ雰囲気も漂います。
ゴトブキ岩が向かう方向には新宮市内とその奥に見える熊野灘は絶景です。
黒潮の流れる熊野灘の先には遥か遠くまで広がる太平洋。流されていったらどこに辿り着くのでしょうね。
天照大神と高倉下命を御祭神とする拝殿にお参りして神倉山を降りましたが、今度は石段下りが待っています。
急勾配で不揃いの石段のため降りるのも一苦労です。
足を滑らさないようにと注意しながらの下り道をやっと降りきった時には再び汗びっしょりのゆでダコ状態になってしまいました。
あまりにも汗をかいてしまったので、途中のショッピングセンターでTシャツを買って、お店で着替えさせてもらいましたよ。
熊野速玉神社の縁起によると熊野の神々が最初に降臨したのは神倉山とされ、降り立った場所は山中にあるゴトビキ岩だったとされます。
神倉神社はゴトビキ岩を御神体とする磐座信仰の神社であり、アニミズム信仰の社ということになります。
また、日本書紀には神武天皇が紀元前3年の東征の際に“熊野神邑に至り、旦天磐盾に登りて”と記されているとされています。
神倉神社はアニミズム信仰の場でありましたが、128年頃に熊野速玉神社が創建されたことから神道と結びつき、「熊野信仰」として全国へ拡がっていったようです。
こういった経緯があって、熊野速玉神社はこの神倉神社に対して「新宮社」と呼ばれることになり、その名は地名になっていったと思われます。
神倉神社は熊野速玉神社にほど近い場所にあり、住宅街の外れにある駐車場から橋を渡って山に入ります。
寺院などでは「彼岸と此岸」の境に橋がありますが、ここは「神域と俗界」の境を切る橋になるのだと思います。
しかし、鳥居の前まで来て、急勾配の石段を見ると“この石段を登るのか!”と恐ろしくなってしまいます。
石段上りには慣れているとはいえ、こいつはかなり手応えがありそうです。
神倉山は標高199mの山で、ゴトビキ岩のある神社は中腹120mの位置にあるとされる低山で、石段は538段といわれていますが、登り始めるとかなりきつい。
ゴツゴツとした石が積まれていて歩きにくいことこの上なく、勾配がきついため、何度も休み休みしながら汗びっしょりになって登っていくことになりました。
あまりにも苦しいので水戸黄門の主題歌の歌詞を思い出しながら杖を頼りに登る。
“♪人生楽ありゃ苦もあるさ...歩いてゆくんだしっかりと 自分の道をふみしめて♪”
幸いにして後半は勾配がややなだらかになったので少し楽にはなりましたが、登っておられる方は当方同様に息も絶え絶えといった感じです。
やっと鳥居が見えてきた時には暑さでゆでダコのように真っ赤な顔になっていましたが、たどり着いた安堵感に満たされる。
区切るように囲まれた玉垣の内側が神域(本殿)ということになるのでしょう。
手水舎がありましたので清めるとともに、少しクールダウン出来ました。
ゴトビキ岩は写真で見たことはありましたが、その巨大さには想像以上の驚きがあります。
「ゴトビキ」とは熊野地方の方言で「ヒキガエル」の意味らしいのですが、その雄大な姿を見ると「熊野灘へ向かうクジラ」に見えてしまいます。
本殿前には地元の方と思える方が写真を撮ってくださっていました。
当方が着いた時はちょうとゴトビキ岩に太陽がかかってきて、“ダイヤモンド富士”を思わせる“ダイヤモンド・ゴトビキ”を背景にした記念写真を撮っていただくことが出来ましたよ。
ゴトビキ山の下で座禅を組んでメディテーションしているかのような写真を撮ってもらっている方もおられましたので、この場まで来ると和やんだ雰囲気も漂います。
ゴトブキ岩が向かう方向には新宮市内とその奥に見える熊野灘は絶景です。
黒潮の流れる熊野灘の先には遥か遠くまで広がる太平洋。流されていったらどこに辿り着くのでしょうね。
天照大神と高倉下命を御祭神とする拝殿にお参りして神倉山を降りましたが、今度は石段下りが待っています。
急勾配で不揃いの石段のため降りるのも一苦労です。
足を滑らさないようにと注意しながらの下り道をやっと降りきった時には再び汗びっしょりのゆでダコ状態になってしまいました。
あまりにも汗をかいてしまったので、途中のショッピングセンターでTシャツを買って、お店で着替えさせてもらいましたよ。