僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

御朱印蒐集(番外編②)~三重県熊野市 鬼ヶ城と獅子巌~

2017-09-12 06:56:56 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 琵琶湖の近くに住んでいますので湖については慣れ親しんだ風景ではありますが、海へ行くとその広さはともかくとして海岸の景勝地には感動してしまいます。
滋賀県から那智勝浦への往復の途上にはいくつかの景勝地があるのですが、この名勝・天然記念物の「熊野の鬼ケ城 附 獅子巖」の迫力には恐れ入りました。

位置的には三重県熊野市になるのですが、北から行くと尾鷲の山中を通った後、海岸に出てしばらくすると見えてくる場所でした。
これより北になると七里御浜というゆるやかな海岸が延々と続き、新宮市・那智勝浦へと続きます。



鬼ヶ城も「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録されている名勝の一つで、熊野灘の荒波に削られた大小の海蝕洞が続く大岸壁です。
リアス式海岸での海の波風の侵蝕には凄まじいものがありますが、ここは地震による地盤の隆起の影響も受けているようです。



この景観から何を連想するかはその人の感性により違うかと思いますが、1枚目は肉食獣の顔に見えたりしますし、2枚目の写真では岩の波が押し寄せてきたようにも見えます。
床面部は平らな板状ですが、上の岸壁部分には激しい風蝕跡が見られます。



いわゆる蜂の巣状ということになりますが、近くでみると深い風蝕跡が顔のようにも見えてきます。
熊野灘の激しい波と風がこのような奇怪な侵蝕跡を造ったのかと思うと、自然の力の凄さを感じます。



この場所は鬼ヶ城の中で「千畳敷」と呼ばれる場所ですが、その巨大な空間は古くは「鬼岩屋(おにのいわや)」と呼ばれていたとされており、まさしく鬼の棲家の呼び名に相応しい場所かと思います。
千畳敷から海を見下ろすとエメラルドブルーといえる美しい熊野灘の景色が見えました。



この鬼ヶ城には伝説があって、桓武天皇(737~806年)の頃に、この地に隠れて熊野の海を荒らし廻り、鬼と恐れられた海賊・多娥丸を天皇の命を受けた坂上田村麻呂(751~811年)が征伐したと伝わります。
また、鬼ヶ城の沖合1.5㌔にある魔見ヶ島(マブリカ)には坂上田村麻呂の鬼征伐の際に、この島に童子が現れ舞い唄い、鬼が油断して岩戸を開けた一瞬に田村麻呂の放った矢が鬼を一矢でしとめたとも伝えられています。



鬼ヶ城から少し南には「獅子巌」という巨大な獅子が海に向かって咆哮するような姿の奇岩がありました。
高さ25mもあり、狛獅子のような姿勢の大きな巨岩ですから、その姿も相まって迫力満点といったところです。



御浜町の七里御浜というゆるやかな海岸には宮崎県を彷彿させるヤシの木の公園までありました。
ここから数キロの場所にある海岸にはウミガメが産卵にやってくる浜があるということで、近畿地方とはいってもここには違った世界があるような印象で、南国調の景色が続きます。



さてランチの話になりますが、昼食は新宮市の速水というお店で和歌山ラーメンを頂きました。
豚骨醤油味の中華そばで、いわゆる屋台の味なのかと思います。(和歌山市にある井出商店直伝の味だそうです)

このラーメンを食べながら連想したのは、京都の屋台ラーメンからスタートした“ラーメン横綱”の中華そばでした。
同じ豚骨醤油味の中華そばとはいっても味は同じではありませんが、傾向が似ているということです。





駆け足で巡った那智勝浦への旅でしたが、順調に行きたい所をクリアー出来たと納得しています。
とはいっても、家族からは“神社・仏閣ばっかりやんか~!”というご指摘も受けましたが、それは一切聞こえてなかったということにしておきます。


コメント
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