お寺へ参拝した時に蛇に出会うことがあります。
蛇は神の使いと言いますので、神社・仏閣で“蛇の出迎えられる”のは吉兆だと思うようにしていますが、実際はただの偶然なのかもしれません。
京都舞鶴にある西国三十三所札所の松尾寺へ参拝した時にも蛇の出迎えを受けて、しかも参道を先導し常香炉まで導いてもらうという、これは吉兆に違いない!と信じたくなるような出会いがありました。
松尾寺のある青葉山は標高690m超の2峰からなる山で、その正三角形から「若狭富士」と呼ばれています。
松尾寺は708年、中国・唐の僧 威光上人が中国の霊山・馬耳山という山に似ていることから入山してみると、山中の松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵を結ばれたのが始まりとされます。
その後1300年以上の年月を経て、寺院は続き、平安時代後期には、六十五寺坊を有する大寺院であったと伝わります。
石段の先に見えるのは仁王門。
石段登りが好きな当方にとっては、この雰囲気はたまらない光景です。
仁王門は江戸中期に建てられたとされますが、屋根の葺き替えはされているものの、建築自体は古色で古刹感があります。
扁額には「青葉山」の山号が書かれており、ここが霊山へ入山する結界となっています。
仁王門の中に本来おられるはずの仁王像は、宝物殿に保管されていますので、ここでは写真の仁王様が置かれています。
仁王様の前には牡丹でしょうか。大輪の花が満開の時を待っています。
松尾寺の手水舎は大きな岩をくり抜いたものになっており、苔むしてとても味わいのある手水となっていました。
水量が多いので気持ちよく身を清めることができます。
松尾寺は度重なる火災で焼失しているようですが、その都度、細川幽斉や京極家によって再興されたとされます。
現在の本堂は1730年に牧野英成(江戸中期の大名・京都所司代)によって修築されたものだそうです。
石段を登って本堂へと続く石畳を歩くと、1mを優に超える蛇が石畳を本堂へ向かって進んでいく姿に出会いました。
“蛇も参拝に来たのかな?”と軽口を叩いていると、蛇はなおも本堂へ向かっていきます。
この蛇はこちらが向かおうとする常香炉まで一直線に進んでいきます。
まさしく蛇に先導されての参拝です。
本堂は2層の宝形造になっており、横には神馬が祀られていることもあって、寺院としては少し変わった感じのする建築物でした。
神馬は、松尾寺の御本尊が馬頭観音であることから奉納されているのかもしれませんね。
本堂には多数の奉納額、千社札がいたるところに貼り付けられていて、西国三十三所の札所らしい雰囲気が漂う。
松尾寺の御本尊は馬頭観音は77年に一度の御開帳(前回は2008~2009年)となっており、もう観る可能性はない仏像です。
青葉山の福井県側にある中山寺や馬居寺にも馬頭観音が祀られているそうですので、この地域には馬頭観音信仰が根付いているのかと思います。
パンフレットより
やや小ぶりな鐘楼の横には春にも関わらず紅葉した樹木が見えます。
何という木なのかは知りませんが、新緑の季節に紅葉することってあるんですね。
松尾寺には宝物殿があり、訪れた時期は「第20回春季展観」が開催されていました。
本堂で宝物殿を見たい旨を伝えると、ご住職が宝物館を開けてくださいました。
運が良かったのは展示されている仏像・仏具・仏画についてご住職から丁寧な説明を頂けたことでしょう。
40~50分くらいの説明は、講義をうけているかのようで、まさにプライベート美術館のようでした。
まず最初は仁王門に写真が飾られていた金剛力士像。
運慶作ではないかと言われている金剛力士像は鎌倉期という説と、様式論で平安期という説があるようです。
木の分析をすると、14世紀初頭との結果だったそうですが、過去に3回の修理が行われていることから分析が難しいとのことで、結論はまだ出ていないそうです。
ポストカードより
仏像は他にも快慶作の「阿弥陀如来坐像(重文・鎌倉期)、地蔵菩薩坐像(鎌倉期)、十一面観音立像(鎌倉期)、十一面観音坐像(鎌倉期)と並びます。
松尾寺には仏画「普賢延命菩薩像」が2枚あり、1枚は原本を忠実に再現したもの。
もう1枚は平安時代に描かれた国宝の仏画です。
国宝に指定されているような絵ですから、美術館に保管されているのかと思いきや、まさか目の間でみられるとは...。
ポストカードより
仏画についても絵の各部分を拡大した写真を見せていただきながら、裸眼では見えないような部分を示しながら、詳細な解説が聞けました。
“部分が分かれば全体としての仏画の見方が変わるでしょう。”とおっしゃっていましたが、まさにその通り。
仏画は他にも「法華曼荼羅(重文・鎌倉期)」、「愛染明王(鎌倉中期以降)」があります。
金剛界・胎蔵界の曼荼羅はよく見ますが、法華曼荼羅を意識して見たのはこれが始めてです。
ポストカードより
中央の多宝塔には多宝如来と釈迦如来が並んで座られており、その周りに8尊と4人の声明。
周囲を取り囲んでいるのは菩薩・天・明王でしょうか。4隅には四天王が配置されています。
宝物殿には2300年前の物とされる「千歳の松」や、丈六だったではないかとされる馬頭観音の馬頭部分など宝物は多岐にわたっています。
また、松尾寺には「仏舞」という毎年、花祭りの時に行われる仏事があるそうです。
仏面をかぶって舞を奉納する儀式だそうで、過去に舞に使っていた仏面の展示もされていました。
奈良時代に唐から伝えられたものとされていますが、確かにまず最初に連想したのは平城京の奈良のイメージでした。
パンフレットより
蛇に導かれて参拝することになった松尾寺には見事な仏像・仏画が保管されており、プライベート美術館のように貸切状態で詳細な説明をしてくださったこともあって、実に有意義な時間を過ごせました。
尚、松尾寺に保管されている書跡「西国巡礼縁起」(1536年・室町時代)には徳道上人の西国巡礼を更に遡った時代の西国巡礼、聖徳太子巡礼の縁起が書かれています。
蛇は神の使いと言いますので、神社・仏閣で“蛇の出迎えられる”のは吉兆だと思うようにしていますが、実際はただの偶然なのかもしれません。
京都舞鶴にある西国三十三所札所の松尾寺へ参拝した時にも蛇の出迎えを受けて、しかも参道を先導し常香炉まで導いてもらうという、これは吉兆に違いない!と信じたくなるような出会いがありました。
松尾寺のある青葉山は標高690m超の2峰からなる山で、その正三角形から「若狭富士」と呼ばれています。
松尾寺は708年、中国・唐の僧 威光上人が中国の霊山・馬耳山という山に似ていることから入山してみると、山中の松の大樹の下に馬頭観音を感得し、草庵を結ばれたのが始まりとされます。
その後1300年以上の年月を経て、寺院は続き、平安時代後期には、六十五寺坊を有する大寺院であったと伝わります。
石段の先に見えるのは仁王門。
石段登りが好きな当方にとっては、この雰囲気はたまらない光景です。
仁王門は江戸中期に建てられたとされますが、屋根の葺き替えはされているものの、建築自体は古色で古刹感があります。
扁額には「青葉山」の山号が書かれており、ここが霊山へ入山する結界となっています。
仁王門の中に本来おられるはずの仁王像は、宝物殿に保管されていますので、ここでは写真の仁王様が置かれています。
仁王様の前には牡丹でしょうか。大輪の花が満開の時を待っています。
松尾寺の手水舎は大きな岩をくり抜いたものになっており、苔むしてとても味わいのある手水となっていました。
水量が多いので気持ちよく身を清めることができます。
松尾寺は度重なる火災で焼失しているようですが、その都度、細川幽斉や京極家によって再興されたとされます。
現在の本堂は1730年に牧野英成(江戸中期の大名・京都所司代)によって修築されたものだそうです。
石段を登って本堂へと続く石畳を歩くと、1mを優に超える蛇が石畳を本堂へ向かって進んでいく姿に出会いました。
“蛇も参拝に来たのかな?”と軽口を叩いていると、蛇はなおも本堂へ向かっていきます。
この蛇はこちらが向かおうとする常香炉まで一直線に進んでいきます。
まさしく蛇に先導されての参拝です。
本堂は2層の宝形造になっており、横には神馬が祀られていることもあって、寺院としては少し変わった感じのする建築物でした。
神馬は、松尾寺の御本尊が馬頭観音であることから奉納されているのかもしれませんね。
本堂には多数の奉納額、千社札がいたるところに貼り付けられていて、西国三十三所の札所らしい雰囲気が漂う。
松尾寺の御本尊は馬頭観音は77年に一度の御開帳(前回は2008~2009年)となっており、もう観る可能性はない仏像です。
青葉山の福井県側にある中山寺や馬居寺にも馬頭観音が祀られているそうですので、この地域には馬頭観音信仰が根付いているのかと思います。
パンフレットより
やや小ぶりな鐘楼の横には春にも関わらず紅葉した樹木が見えます。
何という木なのかは知りませんが、新緑の季節に紅葉することってあるんですね。
松尾寺には宝物殿があり、訪れた時期は「第20回春季展観」が開催されていました。
本堂で宝物殿を見たい旨を伝えると、ご住職が宝物館を開けてくださいました。
運が良かったのは展示されている仏像・仏具・仏画についてご住職から丁寧な説明を頂けたことでしょう。
40~50分くらいの説明は、講義をうけているかのようで、まさにプライベート美術館のようでした。
まず最初は仁王門に写真が飾られていた金剛力士像。
運慶作ではないかと言われている金剛力士像は鎌倉期という説と、様式論で平安期という説があるようです。
木の分析をすると、14世紀初頭との結果だったそうですが、過去に3回の修理が行われていることから分析が難しいとのことで、結論はまだ出ていないそうです。
ポストカードより
仏像は他にも快慶作の「阿弥陀如来坐像(重文・鎌倉期)、地蔵菩薩坐像(鎌倉期)、十一面観音立像(鎌倉期)、十一面観音坐像(鎌倉期)と並びます。
松尾寺には仏画「普賢延命菩薩像」が2枚あり、1枚は原本を忠実に再現したもの。
もう1枚は平安時代に描かれた国宝の仏画です。
国宝に指定されているような絵ですから、美術館に保管されているのかと思いきや、まさか目の間でみられるとは...。
ポストカードより
仏画についても絵の各部分を拡大した写真を見せていただきながら、裸眼では見えないような部分を示しながら、詳細な解説が聞けました。
“部分が分かれば全体としての仏画の見方が変わるでしょう。”とおっしゃっていましたが、まさにその通り。
仏画は他にも「法華曼荼羅(重文・鎌倉期)」、「愛染明王(鎌倉中期以降)」があります。
金剛界・胎蔵界の曼荼羅はよく見ますが、法華曼荼羅を意識して見たのはこれが始めてです。
ポストカードより
中央の多宝塔には多宝如来と釈迦如来が並んで座られており、その周りに8尊と4人の声明。
周囲を取り囲んでいるのは菩薩・天・明王でしょうか。4隅には四天王が配置されています。
宝物殿には2300年前の物とされる「千歳の松」や、丈六だったではないかとされる馬頭観音の馬頭部分など宝物は多岐にわたっています。
また、松尾寺には「仏舞」という毎年、花祭りの時に行われる仏事があるそうです。
仏面をかぶって舞を奉納する儀式だそうで、過去に舞に使っていた仏面の展示もされていました。
奈良時代に唐から伝えられたものとされていますが、確かにまず最初に連想したのは平城京の奈良のイメージでした。
パンフレットより
蛇に導かれて参拝することになった松尾寺には見事な仏像・仏画が保管されており、プライベート美術館のように貸切状態で詳細な説明をしてくださったこともあって、実に有意義な時間を過ごせました。
尚、松尾寺に保管されている書跡「西国巡礼縁起」(1536年・室町時代)には徳道上人の西国巡礼を更に遡った時代の西国巡礼、聖徳太子巡礼の縁起が書かれています。