GW期間から5月中旬にかけて「石山寺」と「三井寺」のコラボで『あお若葉(もみじ)の競演』と題した特別展示が行われました。
三井寺では国宝「金堂内陣」が特別公開され、内陣の中には「大日如来坐像」「文殊菩薩坐像」「普賢菩薩坐像」の三尊で初公開でした。
また、三井寺境内にある西国三十三所第14番札所の「観音堂」でも内陣が特別公開され、「愛染明王坐像」が拝観出来るということもあって、三井寺への参拝に向かいました。
実は、観音堂にはもう一つ心残りがあって、それは外陣に祀られている「懸仏」の拝観です。
前回は懸仏への関心が薄く見落としていましたので、この機会に是非“三井寺の懸仏”見たいとの気持ちが強くあったことも大きな動機となりました。
三井寺(園城寺)は「北院(新羅明神」「中院(弥勒佛)」「南院(三尾明神)」の3院からなっており、今回の御朱印は、北院「新羅明神」の期間限定の記念御朱印となっています。
「北院」は大門(仁王門)や金堂のある区域より北の方角にある、あまり参拝者が訪れない場所を指すようです。
「中院」は大門から金堂を経て閼伽井屋・鐘楼・一切経蔵から三重塔につながる中心的なエリア。
「南院」は微妙寺より南にある観音堂・観月舞台・百体堂などのエリアになると思われます。
この分け方は比叡山延暦寺の東塔・西塔・横川と似ており、比叡山より派生した三井寺ですから影響があったのかもしれませんね。
今回は目的が金堂と観音堂だったため、ゆっくりと広い境内と各堂宇を参拝して歩くという参拝ではなく、目的の場所まで進むといった感じでの参拝でした。
大門(仁王門・重文)は、かつて湖南三山の常楽寺にあったものを徳川家康が三井寺へ寄進したものとされており、何度見ても見応えのある門だと思います。(建立時期は1451年と推定されている)
まず国宝「金堂」へお参りしましたが、やはり国宝の御堂で内陣にまで入れるのは緊張しつつも少し興奮致します。
白い幕が掛けられた内陣の前で待っていると、中から出てきた僧侶の方が内部へ招き入れて下さいました。
“ここは僧侶以外入れない場所ですから”と言われてお清めの儀式を行います。
まず塗香を左手に少量取って、教えられた通りの作法で、額や胸に指先で塗香を付け、両手で揉んだあとにもう一度体を清めます。
合掌した状態で「灑水(しゃすい)」を3度頭にかけてもらい、鈴(れい)を鳴らして念仏を唱えていただき儀式は完了しました。
この儀式は比叡山西塔の釈迦堂での内陣特別拝観以来、2度目の経験になります。
ポストカード
運良く、内陣の中では一人っきりでしたので周囲を気にせず、仏像・仏画をゆっくりと観ることが叶いました。
智拳印を結んだ「大日如来坐像」は、国宝「勧学院客殿」で知られる勧学院の御本尊になるそうです。
下から覗き見ると玉眼が煌めいて見え、洗練された美しさを感じる仏像です。
「文殊菩薩坐像」は北院の新羅明神の本地仏とされます。
新羅明神は、智証大師・円珍が唐からの帰途に“老翁が船中に現れて自ら新羅明神と名のり、教法加護を約した”と三井寺の由緒書きにあります。
ポストカード
「普賢菩薩坐像」は山号にもなっている長等山の地主神・三尾明神の本地仏とされており、この寺院には本地垂迹の仏像が複数残されているということになります。
当地よりさほど遠くはない場所にある日吉大社では廃仏毀釈が激しかったと伝わりますが、三井寺では廃仏毀釈の影響はそれほどではなかったのでしょうか。
ポストカード
内陣では他にも仏画「三井曼荼羅」「新羅明王」「三尾明神」の掛け軸も展示されていました。
一人で仏像・仏画を観ながら、ついにあの世に来てしまったような気持ちになりそうです。
さて、参拝コースにある「閼伽井屋」へ立ち寄ると、相変わらずボコッボコッと水音がしています。
よく見ると一角に水が湧き上がっている場所がありました。
確かに「三井の霊泉」と呼ばれるだけある聖域ですね。
閼伽井屋には左甚五郎作と言われる龍の彫刻が掛けられています。
“この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れるため、甚五郎自ら目玉に釘を打ち込み静めたと”の伝承が伝わるそうです。
「弁慶鐘」「一切経蔵」「三重塔」を通って観音堂への道を進むと、これぞ「あお若葉(もみじ)」と呼べるような参道を歩くことになります。
参道に覆いかぶさるように垂れ下がったカエデが新緑の美しい姿を見せてくれます。
西国三十三札所「観音堂」へ通じる石段にも「あお若葉(もみじ)」が石段に覆いかぶさります。
秋の紅葉、冬化粧の寺院にも魅かれますが、新緑の季節の寺院巡りは本当に気持ちのよいものです。
観音堂は過去には拝所から参拝しただけでしたが、今回の特別展示では観音堂も金堂と同じく内陣での参拝が許されていました。
まず最初に今回の目的の一つである「懸仏」を探します。
拝所の正面に懸けられた懸仏は、いつの時代のものかなど詳しいことは分かりませんが、大変に手の込んだ工芸となっています。
懸仏の中心におられるのは、観音堂の御本尊「如意輪観音」なのでしょう。
案内されて内陣へと入らせていただきましたが、なんとここでも一人だけでの参拝です。
しかも、内陣の厨子の前に座って拝観していると、外陣で読教が始まります。
僧侶が後ろでお経を唱えられているのに“こんな所に座っていていいのか?”と思いながらも、立ち歩くわけにもいかず、読教を背に受けながら頭を垂れておりました。
お前立ち(パンフレット)
厨子の前に秘仏・御本尊の「如意輪観音坐像」の写真がありましたのでお前立ちと比べてみると、“秘仏の方がよりふくよかなお顔で、唇の厚みがあり、丸顔になっている”ところが大きく違う点でした。
須弥壇には左脇陣に「毘沙門天立像(鎌倉期)」「不動明王立像」「智証大師像」が祀られてあり、右の脇陣には「愛染明王坐像(平安期・重文)」が祀られてありました。
パンフレット
最後に観音堂から石段を登った先にある展望台から見た琵琶湖の眺望です。
琵琶湖大橋より南の琵琶湖は対岸までの距離が北湖と比べて狭いのですが、それでも琵琶湖が海のように広く見えてしまいますね。
三井寺では国宝「金堂内陣」が特別公開され、内陣の中には「大日如来坐像」「文殊菩薩坐像」「普賢菩薩坐像」の三尊で初公開でした。
また、三井寺境内にある西国三十三所第14番札所の「観音堂」でも内陣が特別公開され、「愛染明王坐像」が拝観出来るということもあって、三井寺への参拝に向かいました。
実は、観音堂にはもう一つ心残りがあって、それは外陣に祀られている「懸仏」の拝観です。
前回は懸仏への関心が薄く見落としていましたので、この機会に是非“三井寺の懸仏”見たいとの気持ちが強くあったことも大きな動機となりました。
三井寺(園城寺)は「北院(新羅明神」「中院(弥勒佛)」「南院(三尾明神)」の3院からなっており、今回の御朱印は、北院「新羅明神」の期間限定の記念御朱印となっています。
「北院」は大門(仁王門)や金堂のある区域より北の方角にある、あまり参拝者が訪れない場所を指すようです。
「中院」は大門から金堂を経て閼伽井屋・鐘楼・一切経蔵から三重塔につながる中心的なエリア。
「南院」は微妙寺より南にある観音堂・観月舞台・百体堂などのエリアになると思われます。
この分け方は比叡山延暦寺の東塔・西塔・横川と似ており、比叡山より派生した三井寺ですから影響があったのかもしれませんね。
今回は目的が金堂と観音堂だったため、ゆっくりと広い境内と各堂宇を参拝して歩くという参拝ではなく、目的の場所まで進むといった感じでの参拝でした。
大門(仁王門・重文)は、かつて湖南三山の常楽寺にあったものを徳川家康が三井寺へ寄進したものとされており、何度見ても見応えのある門だと思います。(建立時期は1451年と推定されている)
まず国宝「金堂」へお参りしましたが、やはり国宝の御堂で内陣にまで入れるのは緊張しつつも少し興奮致します。
白い幕が掛けられた内陣の前で待っていると、中から出てきた僧侶の方が内部へ招き入れて下さいました。
“ここは僧侶以外入れない場所ですから”と言われてお清めの儀式を行います。
まず塗香を左手に少量取って、教えられた通りの作法で、額や胸に指先で塗香を付け、両手で揉んだあとにもう一度体を清めます。
合掌した状態で「灑水(しゃすい)」を3度頭にかけてもらい、鈴(れい)を鳴らして念仏を唱えていただき儀式は完了しました。
この儀式は比叡山西塔の釈迦堂での内陣特別拝観以来、2度目の経験になります。
ポストカード
運良く、内陣の中では一人っきりでしたので周囲を気にせず、仏像・仏画をゆっくりと観ることが叶いました。
智拳印を結んだ「大日如来坐像」は、国宝「勧学院客殿」で知られる勧学院の御本尊になるそうです。
下から覗き見ると玉眼が煌めいて見え、洗練された美しさを感じる仏像です。
「文殊菩薩坐像」は北院の新羅明神の本地仏とされます。
新羅明神は、智証大師・円珍が唐からの帰途に“老翁が船中に現れて自ら新羅明神と名のり、教法加護を約した”と三井寺の由緒書きにあります。
ポストカード
「普賢菩薩坐像」は山号にもなっている長等山の地主神・三尾明神の本地仏とされており、この寺院には本地垂迹の仏像が複数残されているということになります。
当地よりさほど遠くはない場所にある日吉大社では廃仏毀釈が激しかったと伝わりますが、三井寺では廃仏毀釈の影響はそれほどではなかったのでしょうか。
ポストカード
内陣では他にも仏画「三井曼荼羅」「新羅明王」「三尾明神」の掛け軸も展示されていました。
一人で仏像・仏画を観ながら、ついにあの世に来てしまったような気持ちになりそうです。
さて、参拝コースにある「閼伽井屋」へ立ち寄ると、相変わらずボコッボコッと水音がしています。
よく見ると一角に水が湧き上がっている場所がありました。
確かに「三井の霊泉」と呼ばれるだけある聖域ですね。
閼伽井屋には左甚五郎作と言われる龍の彫刻が掛けられています。
“この龍が夜な夜な琵琶湖に出て暴れるため、甚五郎自ら目玉に釘を打ち込み静めたと”の伝承が伝わるそうです。
「弁慶鐘」「一切経蔵」「三重塔」を通って観音堂への道を進むと、これぞ「あお若葉(もみじ)」と呼べるような参道を歩くことになります。
参道に覆いかぶさるように垂れ下がったカエデが新緑の美しい姿を見せてくれます。
西国三十三札所「観音堂」へ通じる石段にも「あお若葉(もみじ)」が石段に覆いかぶさります。
秋の紅葉、冬化粧の寺院にも魅かれますが、新緑の季節の寺院巡りは本当に気持ちのよいものです。
観音堂は過去には拝所から参拝しただけでしたが、今回の特別展示では観音堂も金堂と同じく内陣での参拝が許されていました。
まず最初に今回の目的の一つである「懸仏」を探します。
拝所の正面に懸けられた懸仏は、いつの時代のものかなど詳しいことは分かりませんが、大変に手の込んだ工芸となっています。
懸仏の中心におられるのは、観音堂の御本尊「如意輪観音」なのでしょう。
案内されて内陣へと入らせていただきましたが、なんとここでも一人だけでの参拝です。
しかも、内陣の厨子の前に座って拝観していると、外陣で読教が始まります。
僧侶が後ろでお経を唱えられているのに“こんな所に座っていていいのか?”と思いながらも、立ち歩くわけにもいかず、読教を背に受けながら頭を垂れておりました。
お前立ち(パンフレット)
厨子の前に秘仏・御本尊の「如意輪観音坐像」の写真がありましたのでお前立ちと比べてみると、“秘仏の方がよりふくよかなお顔で、唇の厚みがあり、丸顔になっている”ところが大きく違う点でした。
須弥壇には左脇陣に「毘沙門天立像(鎌倉期)」「不動明王立像」「智証大師像」が祀られてあり、右の脇陣には「愛染明王坐像(平安期・重文)」が祀られてありました。
パンフレット
最後に観音堂から石段を登った先にある展望台から見た琵琶湖の眺望です。
琵琶湖大橋より南の琵琶湖は対岸までの距離が北湖と比べて狭いのですが、それでも琵琶湖が海のように広く見えてしまいますね。