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海水浴場が幾つかある緩やかな海岸には日本海岸特有の奇石やむき出しの大岩はあまり見られず、奥琵琶湖の景観とどことなく似ている感じがして懐かしさのようなものを感じてしまいます。
違いがあるとすれば防波堤があることになりますが、その風景と琵琶湖の風景との違和感はわずかであり、高浜の海はリアス式海岸で半島が入り組んでいる分、琵琶湖の方が広いような錯覚さえ持ってしまいます。
そんな高浜の海岸線から山へ向かって登っていった先に「馬居寺」はありました。
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馬居寺の創建は、福井県で最も古く飛鳥時代の創建だとされています。
聖徳太子が愛馬・甲斐の黒駒にまたがって諸国を遍歴の折、愛馬が見えなくなり探しておられると、南の山からいななきが聞こえ、光明が輝いたので「此処ぞ観音の霊地である」として堂塔を建立し、馬頭観音坐像を刻み安置されたという伝説が残る寺院です。
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現在の馬居寺は高野山真言宗の寺院ですが、寺院の境内を巡っていると“聖徳太子”や“空海”の逸話が多く残されているのが面白いですね
まず苔むして雰囲気のある石段を登ると、その先には山門が見えます。
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石段の途中の脇には石仏が安置されてあります。
そう古い石仏ではないと思いますが、苔も生えてきており、もう少し風化してくるとまた違った印象になることでしょう。
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本光山の扁額が掛かった山門から入山すると納経所しか見当たらない。
寺院の方に本堂はどこにあるか聞いてみると、100mほど参道を登ったところにあると言われます。
納経所に御朱印帳を預けて、教えてもらった道を観音堂を目指して登ることになりました。
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途中に「泉水(せんすい)」という湧水があり、かつてこの水は高浜城主がお茶会に所望され、お茶を飲まれたと伝わる水です。
大きな岩が木の根の力に負けず、泉水を守っているのは大変力強い印象を受けます。
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観音堂への道は木々のトンネルを抜けていくような道で、誰も来ない山道をあちこちにころがる獣糞を踏まないように注意して歩いて行きます。
日陰の道だったこともありましたが、山の古刹へ向かう期待感が高まってくるのが嬉しい。
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道の途中には「熊野神社」が祀られており、社殿は新設された建築のようですが、風情のある参道に佇むようにありました。
熊野神社というくらいですから熊野三山の勧請を受けた神社だと思われますが、太平洋に面した熊野と日本海に面した高浜ではあまりに遠く、逆に言えば熊野信仰が如何に強いかと感じる神社となります。
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本堂の石段の下に手水舎があり、巨石をくり抜いた手水には山水を引いているのか、勢いのある水量の水が注がれています。
手水舎後方の坂には石塔・石仏が置かれ、独特の雰囲気を醸し出しており、その姿を見ながら身を清めます。
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本堂への石段はこれまた風情のあるものとなっており、山の古寺の素晴らしさを再び堪能することが出来ました。
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馬居寺の御本尊は「馬頭観音坐像」ですが、観音堂にはおられず後ろに建てられている収蔵庫に納められています。
御本尊は秘仏で、24年に一度の本開帳と12年に一度の中開帳のみですので、今回そのお姿は拝見出来ず。
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観音堂では拝所でお参りするだけとはいえ、扉は開かれてあり、千社札も多く貼られていることから参拝者
は途切れない寺院のようでもありました。
鰐口を撞いてからお参りしましたが、なんともいい音がする鰐口でしたので、聞き惚れるようにして手を合わせます。
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馬居寺の馬頭観音菩薩坐像は平安時代後期の作とされており、国の重要文化財に指定されています。
その尊顔には怖しいまでの憤怒の表情を浮かべており、思わず身構えたくなるようなお姿です。
片膝を立てたその姿には今にも立ち上がろうとするような姿勢を感じますし、平安仏の迫力とでもいうものがみえます。
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堂の右横の斜面には鎌倉時代から江戸時代のもととされる石仏群が安置されており、独特の空気感のある場所となっています。
木漏れ日がこの石仏群だけを照らしていて美的なものさえ感じてしまう石仏群でした。
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馬居寺の近くには舞鶴の「松尾寺」、同じ高浜の「中山寺」、そしてこの「馬居寺」と馬頭観音菩薩を祀る寺院が多く集まっています。
どうしてこの地に馬頭観音菩薩信仰が根強いのかは分かりませんが、馬頭観音を中心としての信仰が広がったのがこの地方特有の信仰だったのでしょう。