近江八幡市の観光の中心地となる八幡堀周辺には日牟禮八幡宮や近江商人の旧宅の資料館、かわらミュージアムなどが立ち並ぶ観光ゾーンになっています。
和菓子の“たねや”の横から八幡堀に沿って歩き、住宅街へ入ったところに秘仏「護船観世音菩薩」を特別公開している妙法寺という寺院があります。
妙法寺はかつて無住の天台寺院だったものを黄檗宗の寺院として1733年に開山された寺院と伝わります。
八幡山城を居城とした豊臣秀次は八幡堀を整備し、八幡堀には物流船が行き交い物資を運搬して大いに栄えていたようです。
当時の船は難破することが多く、船の守護として妙法寺に護船観世音菩薩が祀られたと伝わります。
以前までの護船観世音菩薩は100年に一度の御開帳だったそうですが、寺院公開記念へと大きく方針を変更して特別開帳されています。
現在の妙法寺では「坐禅会・寺ヨガ・読経体験(梵唄体験)」などを行われていて、「心と体の癒しの禅寺」として新しい寺院のあり方を進められているようです。
住宅地の中にひっそりとある妙法寺は地図は持っていたものの道に迷ってなかなかたどり着くことができません。
ご住職も“分かりにくいので看板を立てたいのだけど住宅地なので無理なんです。”とおっしゃっていたくらいです。
山門の前には護船観世音菩薩のオブジェがありますので近くまで来ればすぐに分かるんですけどね。
山門はシンプルな造りとなっていて中へ参道が伸びています。
山門の横に自動販売機がありましたが、寺院内では飲食OK・弁当の持ち込みもOKです。
寝転がって昼寝をしても歓迎ということでしたので、のんびりとした気分で時間を過ごせる開かれた寺院になっています。
山門の扁額には寺院の山号である「普陀山」は観音菩薩の浄土である補陀落からきているものだそうです。
妙法寺のかつての山号は「宝陀山」だったとされますが、いずれにしても観音菩薩の住む霊地を示す言葉に違いはありません。
寺院の建物としては本堂だけですが、民家のような佇まいとなっています。
本堂の正面の前に広い場所があるのは「施餓鬼法要」の時に位牌を祀る場所になるのかと思われます。
本堂の内部は御本尊の「護船観世音菩薩」を祀る須弥壇の間とヨガルームに分かれます。
須弥壇には「護船観世音菩薩」を中心に「釈迦牟尼仏」と「聖観音菩薩」の少し変わった三尊となっています。
「護船観世音菩薩」は1200年前に難破した船(入唐船)の竜骨を使って、慈覚大師が彫られたと伝わる観音像ですので平安仏ということになります。
「護船観世音菩薩」は下部から“海・船・雲・蓮華座”と彫られており、菩薩は長い竿を持って船を漕ぐようなお姿をされています。
菩薩像の中には喉仏が5本と巻物が納められているといい、100年に一度の御開帳だったことが幸いして傷みのみられない観音様でした。
一通り御住職の説明を受けた後に“お茶でもどうぞ。”とお茶をいただいて庭を前にして休憩させていただきました。
“横になって寝転がって自由にしてください。”ということでしたが、さずがにそれは遠慮して風通しのいい縁側で庭を眺めておりました。
しばらく休憩しているとあとからお参りにこられた方にご一緒させていただいて黄檗宗だけが用いている施餓鬼法要の経本『瑜伽焔口経』と『黄檗梵唄』について説明を受けます。
『瑜伽焔口経』は全体で7時間くらいかかる経本だそうですが、「施餓鬼法要」では2時間相当の部分だけを唱えるそうです。
「施餓鬼法要」は生前の悪行によって亡者の世界に落とされて飢えと乾きに苦しむ餓鬼を供養する法要とされ、亡者の世界にいる餓鬼や無縁仏・この世に存在するあらゆる精霊・ご先祖の供養をする法会だそうです。
教本は「唐黄檗壇式」という法要の際の配置図が決められており、釈迦の十大弟子の一人:阿難が餓鬼に誘惑を受ける場面、地獄の釜が開いて餓鬼や亡者が出てくる様子、餅や菓子を撒いて餓鬼が持ち帰る様子までがお経ごとに組む印と共に経典として書かれています。
説明の後に読教を本堂内に設置された高音質の音響装置で聞かせてもらいましたが、太鼓や鐘などの鳴り物を使ったまるで盆踊りの音頭のようににぎやかなものでした。
お経の横に各楽器が叩く場所を示した楽譜を渡されて見ていると“どうぞ一緒に演奏してください。”と「大引磬」と「小引磬」を渡してくださる。
お経に合わせて叩いてみるが、黄檗宗のお経は中国語読みのため今どこを唄っているのか分からず、リズムがずれてくる。
和太鼓のリズムも実演してくださいましたが、難しすぎてとても叩けそうにはない。
“黄檗宗の僧呂の方は全ての楽器の演奏の習得が必須ですか?”と聞いてみると“はい”とのことでしたので、黄檗宗の僧呂には楽器の演奏・声明など音楽の修行も必要なようです。
いづれにしても滅多にない体験をさせていただき感謝しています。
和菓子の“たねや”の横から八幡堀に沿って歩き、住宅街へ入ったところに秘仏「護船観世音菩薩」を特別公開している妙法寺という寺院があります。
妙法寺はかつて無住の天台寺院だったものを黄檗宗の寺院として1733年に開山された寺院と伝わります。
八幡山城を居城とした豊臣秀次は八幡堀を整備し、八幡堀には物流船が行き交い物資を運搬して大いに栄えていたようです。
当時の船は難破することが多く、船の守護として妙法寺に護船観世音菩薩が祀られたと伝わります。
以前までの護船観世音菩薩は100年に一度の御開帳だったそうですが、寺院公開記念へと大きく方針を変更して特別開帳されています。
現在の妙法寺では「坐禅会・寺ヨガ・読経体験(梵唄体験)」などを行われていて、「心と体の癒しの禅寺」として新しい寺院のあり方を進められているようです。
住宅地の中にひっそりとある妙法寺は地図は持っていたものの道に迷ってなかなかたどり着くことができません。
ご住職も“分かりにくいので看板を立てたいのだけど住宅地なので無理なんです。”とおっしゃっていたくらいです。
山門の前には護船観世音菩薩のオブジェがありますので近くまで来ればすぐに分かるんですけどね。
山門はシンプルな造りとなっていて中へ参道が伸びています。
山門の横に自動販売機がありましたが、寺院内では飲食OK・弁当の持ち込みもOKです。
寝転がって昼寝をしても歓迎ということでしたので、のんびりとした気分で時間を過ごせる開かれた寺院になっています。
山門の扁額には寺院の山号である「普陀山」は観音菩薩の浄土である補陀落からきているものだそうです。
妙法寺のかつての山号は「宝陀山」だったとされますが、いずれにしても観音菩薩の住む霊地を示す言葉に違いはありません。
寺院の建物としては本堂だけですが、民家のような佇まいとなっています。
本堂の正面の前に広い場所があるのは「施餓鬼法要」の時に位牌を祀る場所になるのかと思われます。
本堂の内部は御本尊の「護船観世音菩薩」を祀る須弥壇の間とヨガルームに分かれます。
須弥壇には「護船観世音菩薩」を中心に「釈迦牟尼仏」と「聖観音菩薩」の少し変わった三尊となっています。
「護船観世音菩薩」は1200年前に難破した船(入唐船)の竜骨を使って、慈覚大師が彫られたと伝わる観音像ですので平安仏ということになります。
「護船観世音菩薩」は下部から“海・船・雲・蓮華座”と彫られており、菩薩は長い竿を持って船を漕ぐようなお姿をされています。
菩薩像の中には喉仏が5本と巻物が納められているといい、100年に一度の御開帳だったことが幸いして傷みのみられない観音様でした。
一通り御住職の説明を受けた後に“お茶でもどうぞ。”とお茶をいただいて庭を前にして休憩させていただきました。
“横になって寝転がって自由にしてください。”ということでしたが、さずがにそれは遠慮して風通しのいい縁側で庭を眺めておりました。
しばらく休憩しているとあとからお参りにこられた方にご一緒させていただいて黄檗宗だけが用いている施餓鬼法要の経本『瑜伽焔口経』と『黄檗梵唄』について説明を受けます。
『瑜伽焔口経』は全体で7時間くらいかかる経本だそうですが、「施餓鬼法要」では2時間相当の部分だけを唱えるそうです。
「施餓鬼法要」は生前の悪行によって亡者の世界に落とされて飢えと乾きに苦しむ餓鬼を供養する法要とされ、亡者の世界にいる餓鬼や無縁仏・この世に存在するあらゆる精霊・ご先祖の供養をする法会だそうです。
教本は「唐黄檗壇式」という法要の際の配置図が決められており、釈迦の十大弟子の一人:阿難が餓鬼に誘惑を受ける場面、地獄の釜が開いて餓鬼や亡者が出てくる様子、餅や菓子を撒いて餓鬼が持ち帰る様子までがお経ごとに組む印と共に経典として書かれています。
説明の後に読教を本堂内に設置された高音質の音響装置で聞かせてもらいましたが、太鼓や鐘などの鳴り物を使ったまるで盆踊りの音頭のようににぎやかなものでした。
お経の横に各楽器が叩く場所を示した楽譜を渡されて見ていると“どうぞ一緒に演奏してください。”と「大引磬」と「小引磬」を渡してくださる。
お経に合わせて叩いてみるが、黄檗宗のお経は中国語読みのため今どこを唄っているのか分からず、リズムがずれてくる。
和太鼓のリズムも実演してくださいましたが、難しすぎてとても叩けそうにはない。
“黄檗宗の僧呂の方は全ての楽器の演奏の習得が必須ですか?”と聞いてみると“はい”とのことでしたので、黄檗宗の僧呂には楽器の演奏・声明など音楽の修行も必要なようです。
いづれにしても滅多にない体験をさせていただき感謝しています。