「紫雲山 頂法寺」といってもなかなかピンとこない方もおられるかと思いますが、「六角堂」あるいは“いけばなの池坊”が代々住職を務める寺院といった方が分かりやすいですね。
ここ数年、話題の多い大相撲が属する日本相撲協会の評議委員議長としてTV等での露出が目立っていた池坊安子氏は池坊家元の奥さんになります。
寺院巡りをしている間に「いけばな」にも興味を持つようになってはいますが、今回はあくまでも西国三十三所第18番札所としての「六角堂(頂法寺)」への参拝です。
六角堂(頂法寺)は烏丸通り、地下鉄烏丸御池からわずかな距離にあるオフィスビルの谷間にあるような寺院でした。
587年、聖徳太子が四天王寺建立の材木を求めてこの地を訪れた時に、当地にあった池で身を清めるために念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したとされます。
882年には嵯峨天皇の勅願所となり、996年には花山法皇の行幸があり西国三十三ヶ所観音霊場となったと伝えられています。
また1202年には親鸞上人が当寺に100日間参籠したとも伝わります。
比叡山で修行していた親鸞は夜になると比叡山から六角堂に籠り、朝には比叡山へと帰ったとされ、95日目に如意輪観音からのお告げを受けて、浄土真宗を開くきっかけを得たとされます。
山門から入ると、西国霊場であることは元より、烏丸通りから僅かな距離ということがあって外国人・修学旅行生・観光客と大いににぎわっています。
さほど広くはない境内ではありますが、寺院の関係者も多く、都会の霊場といった感があります。
まず手水舎へと向かうことになりますが、手水の後方には一六羅漢が祀られていました。
「和顔愛語」の実践でニコニコした顔をされていますので、最初はお地蔵さんかと思ってしまいましたよ。
本堂は2層の屋根からなる六角堂に、入母屋造の礼堂がつけられたもので1877年に再建されたものとされます。
高いビルの谷間にこのような建物が建てられているのは不思議な光景であり、ある意味で京都らしい光景といえるでしょう。
六角堂の後方にそびえ立つビルは地上11階・地下2階、高さ53mの「池坊」で、和と美の殿堂とされています。
「池坊」にはガラス貼りの展望エレベーターがありますので、エレベーターに乗って六角堂を見下ろしてみましたが、これがなかなか見応えのあるものでした。
六角堂は大きな建物ですので一見、六角に見えないのですが、裏へ回り込んで見てみると六角になっていることがよく分かります。
六角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)による欲のことで、欲を捨て角を丸めることで「六根清浄を願う」祈りの形だとされます。
礼堂は間口が広く造られていて内部の様子がよく見えますので、御本尊の「如意輪観音像」のお前立ちがよく見えます。
大きな「観音菩薩」の提灯と「頂法寺」の寺号の扁額がかかるさまには霊場らしい熱気が感じられます。
手前の大きな香炉を支えているのは邪鬼でしょうか。
どなたかが前掛けを奉納されているようです。
御本尊の「如意輪観音像」は聖徳太子の護持仏だったとされ秘仏になっていますが、お前立ちの方の如意輪観音も充分見応えがあります。
秘仏として公開されない御本尊のお前立ちの中には、実は本尊よりも素晴らしい仏像が安置されていたりするのかもしれませんね。
本堂の内陣の横には「聖徳太子」の扁額が掛けられた拝所と「見直大師」の扁額が左右にあります。
もっと小さな御堂を想像していましたので、大きくて立派な御堂に驚くことになりました。
境内にある聖徳太子ゆかりの池の上には「太子堂」が建てられています。
京都へ訪れた聖徳太子が身を清めたという故事に因んで建てられているのだと思いますが、この池には何と数羽のコブハクチョウの姿までありました。
境内の右手奥には小ぶりな六角堂がありますが、そちらの六角堂は親鸞上人を祀る「親鸞堂」でした。
親鸞堂には親鸞「夢想之像」と親鸞「草鞋の御影」が安置されているといい、堂の前には六角堂での参籠から比叡山へと戻る親鸞上人像があります。
境内には他にも不動明王の石像と木造を祀る御堂が隣接して建てられてありました。
上は不動明王の石像の「石不動」、下は木造の不動明王になりますが、それぞれ見応えのあるお不動さんです。
六角堂の境内にはドバトがたくさんいいて参拝者を和ましていますが、これは六角堂のおみくじの「鳩みくじ」由来で保護されているのかもしれません。
鳩を幸運の使いとして縁起の良いものとする寺社はよくあり、六角堂の「鳩みくじ」も並ぶとなかなか壮観な光景です。
寺院の参拝順路として鐘楼が最後になるのはおかしなものですが、飛地になっている場所に鐘楼があります。
梵鐘は大戦の金属供出で失われたものの、1954年に再鋳造されたものが現存しています。
六角堂のある界隈はホテルやオフィスビルが並び、寺院の周囲には池坊関係の建物が立ち並びます。
寺院にはいろいろな形があるとはいえ、京都の街中の寺院には独特のものがあります。
都市開発されようがその地に寺院が存続していく京都の文化はさすがとしか言い様がありません。
ここ数年、話題の多い大相撲が属する日本相撲協会の評議委員議長としてTV等での露出が目立っていた池坊安子氏は池坊家元の奥さんになります。
寺院巡りをしている間に「いけばな」にも興味を持つようになってはいますが、今回はあくまでも西国三十三所第18番札所としての「六角堂(頂法寺)」への参拝です。
六角堂(頂法寺)は烏丸通り、地下鉄烏丸御池からわずかな距離にあるオフィスビルの谷間にあるような寺院でした。
587年、聖徳太子が四天王寺建立の材木を求めてこの地を訪れた時に、当地にあった池で身を清めるために念持仏を木に掛けたところ動かなくなり、この地にとどまって人々を救いたいと太子に告げたため、六角形の御堂を建てて安置したとされます。
882年には嵯峨天皇の勅願所となり、996年には花山法皇の行幸があり西国三十三ヶ所観音霊場となったと伝えられています。
また1202年には親鸞上人が当寺に100日間参籠したとも伝わります。
比叡山で修行していた親鸞は夜になると比叡山から六角堂に籠り、朝には比叡山へと帰ったとされ、95日目に如意輪観音からのお告げを受けて、浄土真宗を開くきっかけを得たとされます。
山門から入ると、西国霊場であることは元より、烏丸通りから僅かな距離ということがあって外国人・修学旅行生・観光客と大いににぎわっています。
さほど広くはない境内ではありますが、寺院の関係者も多く、都会の霊場といった感があります。
まず手水舎へと向かうことになりますが、手水の後方には一六羅漢が祀られていました。
「和顔愛語」の実践でニコニコした顔をされていますので、最初はお地蔵さんかと思ってしまいましたよ。
本堂は2層の屋根からなる六角堂に、入母屋造の礼堂がつけられたもので1877年に再建されたものとされます。
高いビルの谷間にこのような建物が建てられているのは不思議な光景であり、ある意味で京都らしい光景といえるでしょう。
六角堂の後方にそびえ立つビルは地上11階・地下2階、高さ53mの「池坊」で、和と美の殿堂とされています。
「池坊」にはガラス貼りの展望エレベーターがありますので、エレベーターに乗って六角堂を見下ろしてみましたが、これがなかなか見応えのあるものでした。
六角堂は大きな建物ですので一見、六角に見えないのですが、裏へ回り込んで見てみると六角になっていることがよく分かります。
六角とは、六根(眼・耳・鼻・舌・身・意)による欲のことで、欲を捨て角を丸めることで「六根清浄を願う」祈りの形だとされます。
礼堂は間口が広く造られていて内部の様子がよく見えますので、御本尊の「如意輪観音像」のお前立ちがよく見えます。
大きな「観音菩薩」の提灯と「頂法寺」の寺号の扁額がかかるさまには霊場らしい熱気が感じられます。
手前の大きな香炉を支えているのは邪鬼でしょうか。
どなたかが前掛けを奉納されているようです。
御本尊の「如意輪観音像」は聖徳太子の護持仏だったとされ秘仏になっていますが、お前立ちの方の如意輪観音も充分見応えがあります。
秘仏として公開されない御本尊のお前立ちの中には、実は本尊よりも素晴らしい仏像が安置されていたりするのかもしれませんね。
本堂の内陣の横には「聖徳太子」の扁額が掛けられた拝所と「見直大師」の扁額が左右にあります。
もっと小さな御堂を想像していましたので、大きくて立派な御堂に驚くことになりました。
境内にある聖徳太子ゆかりの池の上には「太子堂」が建てられています。
京都へ訪れた聖徳太子が身を清めたという故事に因んで建てられているのだと思いますが、この池には何と数羽のコブハクチョウの姿までありました。
境内の右手奥には小ぶりな六角堂がありますが、そちらの六角堂は親鸞上人を祀る「親鸞堂」でした。
親鸞堂には親鸞「夢想之像」と親鸞「草鞋の御影」が安置されているといい、堂の前には六角堂での参籠から比叡山へと戻る親鸞上人像があります。
境内には他にも不動明王の石像と木造を祀る御堂が隣接して建てられてありました。
上は不動明王の石像の「石不動」、下は木造の不動明王になりますが、それぞれ見応えのあるお不動さんです。
六角堂の境内にはドバトがたくさんいいて参拝者を和ましていますが、これは六角堂のおみくじの「鳩みくじ」由来で保護されているのかもしれません。
鳩を幸運の使いとして縁起の良いものとする寺社はよくあり、六角堂の「鳩みくじ」も並ぶとなかなか壮観な光景です。
寺院の参拝順路として鐘楼が最後になるのはおかしなものですが、飛地になっている場所に鐘楼があります。
梵鐘は大戦の金属供出で失われたものの、1954年に再鋳造されたものが現存しています。
六角堂のある界隈はホテルやオフィスビルが並び、寺院の周囲には池坊関係の建物が立ち並びます。
寺院にはいろいろな形があるとはいえ、京都の街中の寺院には独特のものがあります。
都市開発されようがその地に寺院が存続していく京都の文化はさすがとしか言い様がありません。