僕はびわ湖のカイツブリ

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“男のためのガーデニング”改め

金勝山の磨崖仏「逆さ観音」~オランダ堰堤-逆さ観音~

2019-11-02 16:23:15 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県栗東市にある「金勝山(こんぜやま)」は、竜王山・鶏冠山・阿星山などの湖南アルプスを総称する山系のことだといいます。
金勝山は古来より「金粛菩薩(良弁)」の霊地だとされており、山中にある「金勝山 金勝寺」は、聖武天皇の命により紫香楽宮の鬼門鎮護のために良弁が創建(733年)した寺院だと伝わります。

「金勝寺」は役小角が修行した霊跡とされ、上記の金粛菩薩の伝承があることから、湖南地方で盛んだった修験道に始まり密教へと引き継がれていった湖南宗教圏の主要な寺院だったと考えられます。
そんな信仰の背景と湖南の山々に石の山が多く磨崖仏の文化があったことが影響して、金勝山には数多くの磨崖仏が残されています。



金勝山といえば「狛坂磨崖仏(平安時代初期)」が有名ではあるものの、山を知らない人間としてはいきなり山を縦走して行くのは不安がある。
そこで、まずは山の入口から距離の短い「逆さ観音」へ参って、山の様子が分かってから改めて「狛坂磨崖仏」へ行こうと考えた訳です。



金勝山は、持統天皇の藤原京や平安京の南都七大寺等の建設の頃より、木材の供給源として樹木が伐採されてきたため、一時は一大“はげ山地帯”となってしまったといいます。
山から樹木がなくなってしまったことにより、山から大量の土砂が流れ出して水害に苦しむこととなり、明治の時代になってから樹木の植栽と共に堰堤の建設がされたそうです。

「オランダ堰堤」は、オランダ人技術者ヨハニス・デ・レーケの指導により1889年に完成した砂防施設として土木学会が選奨土木遺産に選定しているとありました。
また、金勝山の樹木の植栽には多種の樹種が植栽されていることから、よくある杉の植林が並ぶ山の風景とは違い、再生された自然の山ともいえる姿をしています。





「オランダ堰堤」の砂防工事が「逆さ観音」に大きく影響しているのですが、まずは堰堤を横目に道を進む。
整備された遊歩道は歩きやすく、堰堤の辺りは子供連れで遊びに来るような場所となっており、ウォーキング気分で気持ち良く歩ける。



堰堤は上流に向かって何ヶ所かに設けられており、砂防施設群に沿って遊歩道が作られている。
30分ほどの心地よいハイキングで「逆さ観音」への分岐点に到着。



この道は元々は、金勝寺の横参道として作られたといい、磨崖仏は金勝寺への道標だったといわれます。
とはいえ、現在の歩道を利用しても金勝寺へは何時間かは要すると思われますので、広大な山中を駆け巡った修行者のキツさが伺われます。



「逆さ観音」はかつては逆さではない磨崖仏だったのですが、「オランダ堰堤」築造時に石材が不足し、山から石を切り出したことによってバランスを失い、山上からずり落ちて逆さになったという。
本来の姿を知る由はないとはいえ、かつては山の斜面に神々しく祀られていたのでしょう。



磨崖仏は中尊に「阿弥陀如来」・脇侍に「観音菩薩」と「勢至菩薩」を配した三尊形式にも関わらず、「観音」と呼ばれているのは“逆さになっても大洪水から守っていただいている”と敬う心からだとか。
鎌倉時代の初め頃に彫られたという「逆さ観音」は劣化してはきているものの、その姿はくっきりと読み取れる。





磨崖仏は3mはある巨岩に彫られており、中尊は1.4mほどある。
一番左の菩薩の部分から先は「オランダ堰堤」築造時に割取られたようであり、身を削られながらも衆生を見守る姿は痛ましくも美しい。



磨崖仏の裏側や周辺にころがる巨石群を見て歩いて、逆さ観音を後にする。
金勝山の山系には数多くの磨崖仏があるので、一瞬「狛坂磨崖仏」まで行こうかとの思いが頭をよぎったが、マップを見ると片道2時間はかかりそう。
行くだけなら可能だが、山は同じだけの距離を戻ってこないといけないので、体力・時間を考えて諦める。



とはいっても金勝山まで来て、遊歩道をちょっと歩いただけでは余力があり過ぎて物足りない。
近くを流れる渓流を見ていたら、山中にある滝が見たくなった。
マップでは約1時間で行けそうな所に「落ヶ滝」という20mくらいの名爆があるという。



“まぁ行ける所まで行って、無理そうなら戻ろう。”くらいの軽い気持ちで行ったが、これが山の経験のない素人の恐ろしいところ。
心地よい遊歩道とは打って変わった厳しい山道に驚くと同時に大いに苦しめられましたよ。...続く。


コメント
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