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また、謎の多い人物ともされている光秀がどのような生き方をしてきた人物として描かれるのかも楽しみになります。
大津市坂本の地は光秀とは深い関わりがあり、坂本の寺院には“明智光秀ゆかりの地”が幾つかあり、すでに光秀ブームが始まろうとしているようです。
坂本穴太の地は石工の技術者集団である穴太衆の発祥の地であり、神社・仏閣が密集していているため、平地の比叡山延暦寺とも言えるある種の宗教都市の印象があります。
そんな穴太地区(坂本)には「盛安寺」という重要文化財の「十一面観世音菩薩立像」をお祀りする寺院があり、光秀ゆかりの寺院の一つにもなっています。
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盛安寺の十一面観音像は、井上靖の「星と祭」や白洲正子の「十一面観音巡礼」で取り上げられている仏像で、事前予約が必要な寺院ながら、年に数回ある開扉の日に寺院へ訪れました。
まだ「星と祭」の方は未読の本ではありますが、それはまだ拝観したことのない仏像に焦がれる事と同じく、これから読める本がある楽しみとなります。
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盛安寺は、越前朝倉氏の家臣・杉若盛安が天文年間(1532~1555年)に再興した寺院とされ、同じ坂本の地にある西教寺を総本山とする天台真盛宗の末寺として現在に到るといいます。
道幅の狭い道路を進んで、穴太積みの石垣の間にある石段の上に盛安寺の山門はありました。
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穴太衆は織田信長の安土城の石垣を施工するなど城郭の石垣建築を担ってきた集団で、比叡山延暦寺の里坊であった坂本の地には地元ということもあって多くの穴太積みの石垣が残されています。
重量の重い城を支える石垣の建築には特殊な技術が必要だったでしょうし、防衛としての利点から美観まで考慮された技術なのだと思います。
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境内に入ると周辺が杉苔に囲まれた鐘楼がありました。
杉苔を踏まないように近づいて梵鐘を見ると“宝歴四年(1754)鋳造の梵鐘が太平洋戦争時に供出される 昭和二十二年(1947)復元され今日に到る”とあります。
ただし据え付けられた梵鐘は“天台宗開宗千二百年を迎え佛法興隆世界平和を記念して鋳造”とあり、“平成17年12月再興”ともありますので、銘からするとこの梵鐘は2005年の鋳造物のようです。
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鐘楼の近くには少し変わった形をした“太鼓楼”という建物があり、中には入れませんが、中をのぞいてみると梵鐘が置かれています。
これが先代の梵鐘となる昭和に復元・鋳造された梵鐘かと思われます。
また太鼓楼の2階には、敵の急襲を知らせた恩賞として光秀より賜った“明智公陣太鼓”が保管されているようです。
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盛安寺には“本堂・客殿・庫裡・太鼓楼・鐘楼”と、道路を挟んだ飛び地境内に“収蔵庫”という配置となっており、「客殿(重文)」には名勝庭園「聖衆来迎曼荼羅庭園」や長谷川宗圓の障壁画や狩野派の絵巻などがあるといいます。
本堂の建立は棟札から1652年とされ、何度か修理されてきたことが分かっているようですが、こちらも立ち入ることは出来ませんでした。
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盛安寺の庭園は客殿の庭園以外にも前庭があり、一回りしてみましたが、杉苔が敷き詰められるように生えています。
境内に駐車されていた軽トラには掃いた落ち葉が積まれていたことから、ちょうど庭の手入れをされたばかりだったのかもしれません。
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さて、坂本と光秀のつながりですが、信長による1571年の比叡山焼き討ちの後に、光秀に坂本城の建築を命じて、光秀は近江国滋賀郡の領主として坂本城主となります。
しかし、1582年に光秀は本能寺の変で信長を討ち、“山崎の戦い(天王山の戦い)”で秀吉に敗れた光秀は、坂本城へ退く途中に落ち武者狩りに遭い死去したとされます。
城主だった頃のつながりなのでしょう、坂本にある「西教寺」は光秀とその一族の菩提寺となっており、この盛安寺にも「明智光秀公供養塔」が祀られ菩提が弔われています。
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盛安寺の仏像は「収蔵庫」に納められており、かの「十一面観音菩薩像」はここに安置されています。
元々は収蔵庫の近くにある「観音堂」に納められていたそうですが、今の観音堂は門と御堂だけが残されていて、仏像群は収蔵庫にあります。
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盛安寺は“穴太の里 高穴穂宮跡”のあったところで、天智天皇の勅願によって創建された「崇福寺」の遺物だとされています。(御朱印の文字は“崇福大悲殿”とある)
崇福寺は奈良時代末期には十大寺(大安寺・川原寺・元興寺・薬師寺・興福寺・東大寺・法隆寺・四天王寺・西大寺・崇福寺)とされるほど栄えたようですが、その後衰退していき室町時代には廃寺となってしまったとされる寺院です。
戦国時代に建立された盛安寺に平安時代の仏像が残るのは崇福寺伝来の仏像だからといわれていますが、確かに辻褄のあう話になります。
「十一面観音菩薩像」は像高180.5cmで檜の一木造り。平安期の仏像で重要文化財指定を受けています。
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十一面観音にしては珍しい四臂の仏像で、左手には錫杖、右手には蓮華を持たれています。
第一手は合掌されており、ふっくらとした顔はとても穏やかな表情に見えます。
仏像の一部に後補の部分もあるようですが、くっきりと彫られた腕の臂釧にも特徴があり、見事な十一面観音だと思います。
近所の方の話では“いつもは閉まっているのに今日は開いていて良かったね。”ということでしたが、ぽつんと建てられた収蔵庫には誰も居られず、誰も来られずで、独りでゆっくりと拝観させて頂くことが出来ました。
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収蔵庫の中は正面中央に十一面観音菩薩像が安置され、その左には平安時代の「聖観音立像」が安置されています。
この聖観音菩薩像は少し腰をひねった姿で尊顔には微笑みを浮かべておられ、部分的に金箔が残る截金文様も細かな細工の美しい仏像です。
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正面左側には「阿弥陀如来立像」と「地蔵菩薩立像(室町期)」が安置されています。
盛安寺のリーフレットには「片袖の阿弥陀」が紹介されていますが、安置されている阿弥陀如来は別の仏像のようですね。
地蔵菩薩立像は左手に宝珠、右手に錫杖を持たれており、切れ長の目をしておられます。
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十一面観音像に思いを巡らす内に、どうしても先に書いた2冊の本が読みたくなり、まず入手可能な白洲正子の「十一面観音巡礼」を購入・読了しました。
写真や寺院の地図が挿入され、淡々とした文体で十一面観音巡礼の旅について書かれた、まさに十一面観音に導かれた旅。
井上靖の「星と祭」は絶版となっていますが、この秋には復刻されるといいますから、読める日が来るのが待ち遠しくなります。
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