山登りに行く時は基本車で行くのですが、電車などを利用すると周回出来る山なら良いがピストンで折り返してくるか、ロードで戻ってくるかになります。
繖山は南北に長い山ですのでどこかで引き返すことになり、いまだに完全縦走が出来ず、継ぎ足し登山となっていました。
そこで今回は電車でGO!とばかりに、JR能登川駅からスタートして繖山を縦走し、観音正寺から下山してJR安土駅へ戻るルートを計画しました。
これで繖山を一気通貫で登れると意気込んでおりましたが、下山ルートが行き当たりばったりで、下山後のロード歩きが長かったのは想定外となる。
まずはJR能登川駅からスタートです。
猪子山公園の「上山天満天神社」の鳥居が登山口になりますので公園を目指して歩いて行きますが、数分程度で到着する。
猪子山公園には林道があり、途中に巨石を祀る「岩船神社」や「山面古墳群」があるのですが、林道は使わず登山道に入ります。
舗装された林道を使わないことに特にこだわりがある訳ではなく、土の道の方が歩きやすく感じるからです。
木段を登りきると「上山天満天神社」の境内に入りますので、本日の安全祈願。
御祭神の天常立命は、比良山より岩の御船で繖山麓に来着したのが始まりとされ、麓の岩船神社・勝菅の岩屋も同様に岩の船で来たとの伝説が残る。
神社から先は2つのルートあるが、右のルートだと「北向岩屋十一面観音」を越えてしまうので、御神木の横からのルートで登る。
繖山は個人的に“木段地獄”と呼んでいるくらい木段が多く、木段が苦手な人は登るのがしんどい山です。
「北向岩屋十一面観音」の下には「巨石の神々を訪ねる道」という巨石が並ぶ道があり、北向岩屋十一面観音の手前には「白瀧大神」という巨石があります。
この巨石の前を通るたびに思うのは“妖怪ぬりかべ登場!”です。別名は「屏風岩」というそうです。
「白瀧大神」を越えると「北向岩屋十一面観音」の磐座の前に出てきます。
北向岩屋十一面観音は厳窟内に石造りの観音像をお祀りし、観音像は合掌の手に数珠を掛けておられ、奈良時代に安置されたと伝わります。
石仏は御堂の中に祀られており、近づくとほのかに線香の匂いが感じられます。
ここへ訪れる度に参拝されている方に出会いますので、信仰と健康づくりのため日々参拝にこられる方が多いようです。
ここからは西の湖と琵琶湖、湖西の山々まで望むことができ、今の季節は水を張った田圃が鏡のように空の青さを映し出します。
ここは秋になるとタカの渡りを写真に納めようと大砲が並ぶスポットでもあり、ピーク時には500~1000羽もカウントできるとか。
「北向岩屋十一面観音」から登山道を進むと、本日一つ目の山頂になる猪子山に到着します。
繖山の山系には猪子山と繖山の山頂に三角点があり、位置的には北の山頂と南の山頂になります。
「北向岩屋十一面観音」と「雨宮龍神社」の間は尾根筋を歩くようになっており、登り下りしながら進みます。
各ピークにはナンバリングがされており、ここはP1。全部でP12までピークがあります。
本日2つ目の山頂になる伊庭山は、以前に来た時は山名標示がなかったが、今回は伊庭山336mの標示が追加されていました。
途中で会った方は毎年道の草刈りや木段の補修などの整備をされている方で、情報が伝えやすいようにピークにナンバリングしているそうです。
その方と「雨宮龍神社」まで喋りながら行ったのですが、一人で黙々と木段の登り下りするのはシンドイけど、誰かと話しながら登るとしんどさを感じない。
木漏れ日の山道を喋りながら歩いて行くうちに、あっという間といった感じで「雨宮龍神社」の境内へと到着しました。
「雨宮龍神社」は読んで字のごとく雨乞いの神様で、推古天皇時代の創始・弘法大師による雨乞いの実施の社殿が残るという。
滋賀県では、平野部と近い場所にある山には八大龍王や龍王を祀る雨乞いの場所があり、農耕の安定や水流の氾濫のないよう祈りの場所が多い。
彫り物の美しい雨宮龍神社の本殿の近くには御神木と共に、船の形をした磐座が祀られていて、ここにも岩船の信仰が確認出来ます。
この雨宮龍神社の本殿が祀られている場所は本日3つ目の山頂になる瓜生山(標高300m)になります。
雨宮龍神社が山の中間点となり、これまでは能登川側からは雨宮龍神社、安土側からは繖山山頂が折り返し点としていましたが、今回はこの先の地獄越えへ進みます。
「地獄越え」とは、戦国時代に織田信長に攻められ観音寺城が落城したおり、六角氏の落人でこの谷は地獄のようになったことよるものです。
この峠は、現在の石馬町から北須田町へ抜ける峠道にもなっているといい、峠には石仏地蔵が祀られています。
お地蔵さんには山中に生えていて鮮度の良いヤマツツジの花が奉られ、信仰の篤さを感じられます。
地獄越えから木段を登り下りしながら進むと、繖山が見えてきて最後の山頂が近づいてきます。
天気は良いのですが、気温はさほど上がらず、木漏れ日の尾根筋の何とも気持ちの良いこと。新緑に覆われた山の美しさも堪能できます。
登山道には何ヶ所も展望の良い場所がありますが、景色としてはこの岩の上が最高ではないでしょうか。
鏡のような水田と西の湖に伊庭内湖が見え、琵琶湖と湖西の山々を見ていると、いろんなことがプラス思考になります。
これまでと違って反対側から登ってきたので危うく通り過ぎてしまうところでしたが、本日4つ目の山頂・繖山(標高432.5m)に到着。
ここで出会った方に登山のことや山や花情報を教えて頂き、直近1~2カ月の登山情報の参考になりました。
繖山の二等三角点もタッチはしませんが、パチリだけしておきます。
これで縦走は完了ですが、さてどこから下山しようか。安土側にさえ下りたら少々のロード歩きは覚悟している。
まぁ時間もあるし観音正寺方向へ行ってみるとということで、繖山の山頂で出会った人と喋りながら歩いていきます。
この日はかなり変わった登山になって、途中で出会った方と喋りながらの登山となり、随分と雰囲気の違う山行となりました。
登山道は「ねずみ岩」の横に出て観音正寺の門の前まで来ましたが、この先の観音正寺も桑実寺も通行するだけでも拝観料がいるんですよね。
今回は参拝目的ではないので観音正寺の手前の石段を降りて下山することとします。
石段を降りた先は石寺町の日吉神社の本殿と参道で、石寺の日吉神社は観音正寺の守護神として近江坂本の日吉大社から勧請されたようです。
あまり気にしていなかったのですが、石寺町から安土駅に行くには山麓を迂回していかないといけないようで、4~5㌔のロード歩きとなりました。
長閑な田圃道を歩きながら振り返れば繖山の長~い山並みが見える。ここからだと観音寺山城跡の大石垣なんかも見えます。
延々と歩くウォーキングでやっと安土駅にやってきました。
半分半分で何度も登った山でしたが、これで一気通貫の縦走完了です。
山行は電車を使うのも一つの手かと思いましたが、バス利用で行くのもありかなとも思います。
でもバスの山行って本数がなさそうだし、最終も早かったして乗り遅れたら...。
繖山は南北に長い山ですのでどこかで引き返すことになり、いまだに完全縦走が出来ず、継ぎ足し登山となっていました。
そこで今回は電車でGO!とばかりに、JR能登川駅からスタートして繖山を縦走し、観音正寺から下山してJR安土駅へ戻るルートを計画しました。
これで繖山を一気通貫で登れると意気込んでおりましたが、下山ルートが行き当たりばったりで、下山後のロード歩きが長かったのは想定外となる。
まずはJR能登川駅からスタートです。
猪子山公園の「上山天満天神社」の鳥居が登山口になりますので公園を目指して歩いて行きますが、数分程度で到着する。
猪子山公園には林道があり、途中に巨石を祀る「岩船神社」や「山面古墳群」があるのですが、林道は使わず登山道に入ります。
舗装された林道を使わないことに特にこだわりがある訳ではなく、土の道の方が歩きやすく感じるからです。
木段を登りきると「上山天満天神社」の境内に入りますので、本日の安全祈願。
御祭神の天常立命は、比良山より岩の御船で繖山麓に来着したのが始まりとされ、麓の岩船神社・勝菅の岩屋も同様に岩の船で来たとの伝説が残る。
神社から先は2つのルートあるが、右のルートだと「北向岩屋十一面観音」を越えてしまうので、御神木の横からのルートで登る。
繖山は個人的に“木段地獄”と呼んでいるくらい木段が多く、木段が苦手な人は登るのがしんどい山です。
「北向岩屋十一面観音」の下には「巨石の神々を訪ねる道」という巨石が並ぶ道があり、北向岩屋十一面観音の手前には「白瀧大神」という巨石があります。
この巨石の前を通るたびに思うのは“妖怪ぬりかべ登場!”です。別名は「屏風岩」というそうです。
「白瀧大神」を越えると「北向岩屋十一面観音」の磐座の前に出てきます。
北向岩屋十一面観音は厳窟内に石造りの観音像をお祀りし、観音像は合掌の手に数珠を掛けておられ、奈良時代に安置されたと伝わります。
石仏は御堂の中に祀られており、近づくとほのかに線香の匂いが感じられます。
ここへ訪れる度に参拝されている方に出会いますので、信仰と健康づくりのため日々参拝にこられる方が多いようです。
ここからは西の湖と琵琶湖、湖西の山々まで望むことができ、今の季節は水を張った田圃が鏡のように空の青さを映し出します。
ここは秋になるとタカの渡りを写真に納めようと大砲が並ぶスポットでもあり、ピーク時には500~1000羽もカウントできるとか。
「北向岩屋十一面観音」から登山道を進むと、本日一つ目の山頂になる猪子山に到着します。
繖山の山系には猪子山と繖山の山頂に三角点があり、位置的には北の山頂と南の山頂になります。
「北向岩屋十一面観音」と「雨宮龍神社」の間は尾根筋を歩くようになっており、登り下りしながら進みます。
各ピークにはナンバリングがされており、ここはP1。全部でP12までピークがあります。
本日2つ目の山頂になる伊庭山は、以前に来た時は山名標示がなかったが、今回は伊庭山336mの標示が追加されていました。
途中で会った方は毎年道の草刈りや木段の補修などの整備をされている方で、情報が伝えやすいようにピークにナンバリングしているそうです。
その方と「雨宮龍神社」まで喋りながら行ったのですが、一人で黙々と木段の登り下りするのはシンドイけど、誰かと話しながら登るとしんどさを感じない。
木漏れ日の山道を喋りながら歩いて行くうちに、あっという間といった感じで「雨宮龍神社」の境内へと到着しました。
「雨宮龍神社」は読んで字のごとく雨乞いの神様で、推古天皇時代の創始・弘法大師による雨乞いの実施の社殿が残るという。
滋賀県では、平野部と近い場所にある山には八大龍王や龍王を祀る雨乞いの場所があり、農耕の安定や水流の氾濫のないよう祈りの場所が多い。
彫り物の美しい雨宮龍神社の本殿の近くには御神木と共に、船の形をした磐座が祀られていて、ここにも岩船の信仰が確認出来ます。
この雨宮龍神社の本殿が祀られている場所は本日3つ目の山頂になる瓜生山(標高300m)になります。
雨宮龍神社が山の中間点となり、これまでは能登川側からは雨宮龍神社、安土側からは繖山山頂が折り返し点としていましたが、今回はこの先の地獄越えへ進みます。
「地獄越え」とは、戦国時代に織田信長に攻められ観音寺城が落城したおり、六角氏の落人でこの谷は地獄のようになったことよるものです。
この峠は、現在の石馬町から北須田町へ抜ける峠道にもなっているといい、峠には石仏地蔵が祀られています。
お地蔵さんには山中に生えていて鮮度の良いヤマツツジの花が奉られ、信仰の篤さを感じられます。
地獄越えから木段を登り下りしながら進むと、繖山が見えてきて最後の山頂が近づいてきます。
天気は良いのですが、気温はさほど上がらず、木漏れ日の尾根筋の何とも気持ちの良いこと。新緑に覆われた山の美しさも堪能できます。
登山道には何ヶ所も展望の良い場所がありますが、景色としてはこの岩の上が最高ではないでしょうか。
鏡のような水田と西の湖に伊庭内湖が見え、琵琶湖と湖西の山々を見ていると、いろんなことがプラス思考になります。
これまでと違って反対側から登ってきたので危うく通り過ぎてしまうところでしたが、本日4つ目の山頂・繖山(標高432.5m)に到着。
ここで出会った方に登山のことや山や花情報を教えて頂き、直近1~2カ月の登山情報の参考になりました。
繖山の二等三角点もタッチはしませんが、パチリだけしておきます。
これで縦走は完了ですが、さてどこから下山しようか。安土側にさえ下りたら少々のロード歩きは覚悟している。
まぁ時間もあるし観音正寺方向へ行ってみるとということで、繖山の山頂で出会った人と喋りながら歩いていきます。
この日はかなり変わった登山になって、途中で出会った方と喋りながらの登山となり、随分と雰囲気の違う山行となりました。
登山道は「ねずみ岩」の横に出て観音正寺の門の前まで来ましたが、この先の観音正寺も桑実寺も通行するだけでも拝観料がいるんですよね。
今回は参拝目的ではないので観音正寺の手前の石段を降りて下山することとします。
石段を降りた先は石寺町の日吉神社の本殿と参道で、石寺の日吉神社は観音正寺の守護神として近江坂本の日吉大社から勧請されたようです。
あまり気にしていなかったのですが、石寺町から安土駅に行くには山麓を迂回していかないといけないようで、4~5㌔のロード歩きとなりました。
長閑な田圃道を歩きながら振り返れば繖山の長~い山並みが見える。ここからだと観音寺山城跡の大石垣なんかも見えます。
延々と歩くウォーキングでやっと安土駅にやってきました。
半分半分で何度も登った山でしたが、これで一気通貫の縦走完了です。
山行は電車を使うのも一つの手かと思いましたが、バス利用で行くのもありかなとも思います。
でもバスの山行って本数がなさそうだし、最終も早かったして乗り遅れたら...。
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