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“男のためのガーデニング”改め

史跡「大岩山古墳群」~「円山古墳」「天王山古墳」「甲山古墳」~

2022-10-12 05:50:50 | 御朱印蒐集・仏像・磐座・巨樹・古墳・滝・登山
 滋賀県野洲市小篠原には「大岩山古墳群」と呼ばれる3世紀後半から6世紀にかけて築かれた古墳があり、現存する8基の総称となっています。
その内の冨波古墳・古冨波山古墳・大塚山古墳・亀塚古墳・天王山古墳・円山古墳・甲山古墳・宮山2号墳の8古墳は国の史跡に指定されており、「桜生史跡公園」には3つの古墳が遊歩道で結ばれている。

野洲市の辺りは野洲川がもたらした肥沃な農耕地にあって繁栄したといい、有力な首長が時代の流れにのって前方後円墳や円墳を築いたようで、もとは20基以上の古墳があったと考えられているという。
また野洲市では数多くの銅鐸が発見されていることから、弥生時代から栄えた地であり、銅鐸を使った祭祀が行われていた地とも言えます。



「桜生史跡公園」には円山古墳・天王山古墳・甲山古墳が周遊できる遊歩道がある史跡公園となっており、歩きながら古墳が見学出来るコースとなっている。
最初にある「円山古墳」は6世紀前半に築造された直径28m・高さ8mの円墳です。

「円山古墳」の石室の中からは1万点にもおよぶガラス玉・多量の鉄製の武器類・冠の装身具・銀製の飾金具や馬具類が出土しており、大きな権力を持った人物が被葬されていると考えられているという。
過去に盗掘にあっている古墳とされていますが、それにも関わらず多数の埋葬品が出土しているのは、それだけ大きな力を持った方が被葬されていたのでしょう。



円墳の階段を登りきると、上は小高い丘の頂上の広場のようになっていて、野洲の市街地が望めます。
ここから別方向へ下っていく道がありますので下りていって横穴式石室の入口まで回り込めます。



石室の入口は閉鎖されているものの、石室内の様子は鉄格子の間から見ることが出来ます。
中に埋葬された石棺は、熊本県宇土半島産の阿蘇溶結凝灰岩製の石棺だといい、野洲川流域では阿蘇溶結凝灰岩を最初に使用した古墳だとされます。
遥々熊本から石棺のような重量物を運べたのは海上・湖上・川上輸送なのだと思いますが、その輸送能力には当時の進んだ技術力の高さが伺われます。



「円山古墳」の石室には、初葬棺と追葬棺の2基の石棺があるといい、それぞれ「阿蘇溶結凝灰岩」と「二上山凝灰岩」が使われているという。
石棺が時代もしくは権力者の位の違いによるものか、石材が違うのは何とも興味深い不思議です。





「桜生史跡公園」を歩いていると看板などはない代わりに小さな石棺が道しるべとなって案内をしてくれます。
この石棺の案内に従って次は「天王山古墳」方向へ歩いて行きます。



古墳を越えながら歩いていきますので登って下りてということになりますが、これはちょっとした山登りみたいな感覚になります。
「天王山古墳」は6世紀初頭の古墳とされ、「桜生史跡公園」の3つの古墳の中では一番古い。
そのため前方後円墳なんだと思いますが、全長50m(後円部径26m・前方部長24m)で高さが8mあります。



この古墳は石室が閉じられていますので石棺などの様子は分かりませんが、現地で見ると前方後円墳の形がはっきりと分かる古墳です。
写真では分かりにくいですが、後円部とその先にある前方部の様子です。
草の枯れた季節に訪れれば古墳の形状がより分かりやすくなるのではないかと思います。



最後の「甲山古墳」は直径約30m・高さ8mの6世紀中ごろに築造された円墳で、この古墳も石室を見学することが出来る。
この古墳も盗掘を受けているが、装身具・玉類・武器類・馬具類・工具類などの豪華な副葬品が出土していることから被葬者が大きな力を持っていたことが分かるという。



「桜生史跡公園」は山の丘陵の先端部にあるため、一旦古墳の上まで登って、下りながら周回していくルートとなっている。
この山系は北側に「大岩山古墳群」、南へ進めば「福林寺跡摩崖仏」「妙光寺山摩崖仏」があり、最南部には「御上神社」が神体山として祀る三上山へと連なる。



「甲山古墳」の前まで来たが草が生え茂っており、墳頂部が周囲の水田より20mほど高いため、小山のように見える古墳です。
「甲(かぶと)」を伏せたような形と言われていますが、真近に眺めると大きな壁のようです。



円墳を西側へ回り込んでいくと石室の入口があり、扉が開いているため羨道の中に入れる。
「甲山古墳」の横穴古墳の石室は14.2mあり、滋賀県では最大規模のものだとされ、鉄格子で閉じられた玄室の前まで入ることが出来る。



この石棺の石材も「阿蘇溶結凝灰岩」で、遥々熊本県から運ばれてきたものになり、被葬者が有力な人物だったことが分かります。
この刳抜式家形石棺は、滋賀県内で最大規模とされており、中は水銀朱とベンガラで真っ赤に着色されていたのだという。



石棺の蓋には縄掛突起があり、この突出部に縄を掛けて運搬したともされますが、これだけの巨石ですから何人も忍足を集めないと移動出来そうにありません。
石棺の周囲には玉石が敷かれており、調査時には玉石の上に朱や雲母が散乱していたそうです。



見応えのある古墳群だったなぁと堪能しつつ、外の世界へと戻ります。
格子て見ると、玄室は下へ向かって段階的に低くなっていることが分かります。



この「桜生史跡公園」の周辺には他にも古墳が分布していますので、案内所の方に別の古墳に立ち寄りたいと聞いてみる。
おられた方は、あまり詳しくないということでしたので「弥生の森歴史公園」にある古墳に立ち寄ってみることにします。
滋賀県は縄文・弥生時代から古墳時代、奈良・平安期からの仏教文化、戦国時代の動乱などの歴史を伝える史跡が数多く残り、巡り出すと時間が経つのを忘れてしまいそうです。





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