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甲良町池寺には湖東三山の一つに数えられる「龍応山 西明寺」があり、「池寺」の地名は平安時代の僧・三修上人が西明寺を創建した縁起に由来しているといいます。
“834年、三修上人が琵琶湖の西岸を歩いていると、琵琶湖の東方より光が差し、その光明を目指して湖東の山中へ分け入ると、一筋の光明を放つ池があった...”
「池寺」の地名の由来には農業用の溜池が多く存在していたことも影響しているといい、現在も「二十俵門溜」「新右衛門溜」「船溜」「新溜」「長溜」「湯屋溜」「若宮溜」「柿ノ内溜」が整備されて残ります。
池寺は、犬上川が近くを流れているとはいえ、犬上川は山を挟んで隔たった場所にあり、農業用水を溜めておく池が必要だったのかもしれません。
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溜池の内、最も田園地帯に近い場所にあるのが「若宮溜」で、若宮溜の畔には「若宮の大杉」あるいは「池寺の大杉」と呼ばれるスギの巨樹があります。
「若宮溜」はビオトープ型に整備されており、池の周りには桜並木や四季折々の野草が見られるといい、池沿いに少し歩くと大杉に辿り着く。
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「若宮大権現」の祠の両端に2本の杉がありますが、祠の奥にある「若宮(池寺)の大杉」と呼ばれるスギは何本にも枝分かれしています。
大杉は幹周7.4mの太さを誇り、樹高は26m。樹齢は推定400年とも500年以上ともいわれます。
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杉の巨樹には太い幹が一直線に伸びているものと、何本にも枝分かれして伸びていく杉がありますが、このスギはどれが主幹か分からないほどそれぞれの幹が太い。
荒々しくも力強い姿に圧倒される猛々しい若宮の大杉は、後方に広がる田園地帯が低くなっていることから、かなり遠くからでもこの大杉の姿が望めるのではないでしょうか。
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祠の反対側からスギを見ても、その姿は猛々しい。
大杉の根の部分が埋まっているのは、平成14年(2002年)の農村自然環境整備事業での「若宮溜」の整備で、堰の周遊路を造った時の影響かも知れない。
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「若宮溜」はビオトープ型の生態系保全施設として整備されているため、野鳥の姿を見ることが多いと書かれてありましたが、この日水辺に現れたのはカワウ1羽のみ。
しかし、溜池の周囲を歩いている時にメジロのグループがエサ取りするに来ているのを発見。
葉や枝の影にチラチラと見えるメジロの姿をカメラで追いましたが、野鳥用のカメラは持ってきておらず姿を捉えることは叶わず。
しばらくメジロが見やすいところに出てくるのも待つも空振り。とはいえ、そんな時間も心地よい。
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<小八木集落の「山ノ神社」>
国道307号線を南下して西へ進み、工業団地を抜けて小八木町の集落へと入る。
小八木町集落の田圃の中心あたりに「山ノ神社」が祀られており、ムクノキの巨樹があるといいます。
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置かれていた「縁起書」には、“「山之神」は山神社とも称して山村ではほとんどのところに祀られていた。”
“祭礼には、木の股で男女の像に似たものを作り、藁づとや白酒と共に供物とする風習があった”といいます。
「藁づと」とは、藁を束ねて中に供物を包んだものだそうで、供物を昔よくあった藁に包んだ納豆のように包んでお供えするもののようです。
山の神様への怖れと崇敬の念を、ハレの日の祭礼として祀るようですが、縁起書に書かれた説明からは当時の祭りの盛り上がりが伝わってくる。
“その祭礼には村人が集まり、酒食を捧げ、神と共に饗宴をくり広げ、男女の交歓が夜を徹して續けられたものと想像される。”
(縁起書)
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通常、山の神は山の麓や中腹に祀られているように思っていましたが、小八木集落は鈴鹿山系の山には近いが距離がある。
少し離れてはいるものの、集落からよく見える鈴鹿山系の山々への信仰がここまで広がったのではないかと想像してみる。
鳥居の横にも大きな木があり、御神木となる山の神は境内の一番右奥に控えておられました。
山の神はムクノキ(椋)で幹周が5.7m、樹高は29mとされ、推定樹齢は600年(伝承では1500年)の老木です。
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縁起書に“根元にある瘤は男性の象徴そのものに見え、大樹の精の迸るのが感じられる”とあり、その姿から子宝祈願として信仰されているといいます。
毎年8月に行われるという例祭では、子孫繁栄・五穀豊穣・稼業繁昌への祈願と共に、安寧に過ごせたことへのお礼という意味もあったのでしょう。
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縁起書には面白い言葉が書かれていて...
やや(子供)欲しと まこと心に のぞむなば かならず神は み子を授けむ
先頭の文字をつなげると『や・ま・の・か・み』となります。
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かつての日本では先祖代々の田畑を守っていくためには後継ぎがどうしても必要だったでしょうから、それが子宝祈願の祈りにもつながっていたのだと思います。
土地に縛られることのなくなってきた世の中ですが、残せるもの・残すべきものは何らかの形で残って行って欲しいと思います。
<小八木集落の「野神さん?」>
田圃の真ん中にある「山の神」から集落の入口方向を見ると、小さな森があるのが見えます。
古くからの田園地帯では集落の外れに小さな祠が祀られていることがありますが、それは道祖神であったり、野神さんであったりすることがあります。
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小さな森の中には祠があり、地蔵さんが祀られています。
夏の終わりにはここで地蔵盆が行われているのかと思われ、祠の横にあるムクノキの樹もなかなかの巨樹でした。
勝手な想像をすると、集落の山側にあたる場所にあるのが「山の神社」だとすると、集落の入口にあるこの塚はかつての「野神塚」といってもよいのではないでしょうか。
そう思わせるほど、集落での位置関係に「山の神」と「野の神」の特徴的なものを感じます。
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幹は4~5mはあり、樹幹がこんもりと茂っているのは樹勢も良さそうで、瘤が出ているところもあります。
山の神のムクノキには荒々しい迫力がありましたが、こちらのムクノキには柔らかい印象を受けます。
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裏側となる田園から見ると、根がよく伸びて、しっかりと大地に根を張っているのが分かります。
同じ小八木集落のさほど遠くはない場所に2本のムクノキの巨樹が、それぞれ祠と共に祀られていることの意味することは何なのでしょうか。
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こういった自然界にあるものは、壊すのは一瞬ですが、元の姿を見ようとすれば数百年かかると思います。
現代に残るものを、より多く後世に伝えていくのも今を生きる人間の仕事だと思います。
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