京都駅の北側には七条烏丸に「東本願寺」、七条堀川には「西本願寺」が対面するかのように建ち、それぞれ親しみを込めて「お東さん」「お西さん」と呼ばれています。
車では何度も前をとおっていたにも関わらず、参拝していなかったのは不思議なくらいですが、所用で京都を訪れた時に京都駅で時間が出来ましたので新幹線の時間調整と称して参拝してきました。
浄土真宗は鎌倉期に親鸞聖人によって開かれ、室町期に蓮如上人によって発展したとされますが、勢力を持つに従って権力者との対立を招いて本拠地を転々とすることになったといいます。
「西本願寺」が秀吉の政策によって京都六条堀川に移ったのは1591年、「東本願寺」が家康の宗教政策によって烏丸七条に寺地を寄進されたのが1602年、以降東西の本願寺が分立し現在に至るといいます。
京都駅から歩いて行くと巨大な寺院が見えてきますが、そちらは真宗興正派の本山の「興正寺」。
西本願寺に隣接しており、そのまま進むと西本願寺の「御影堂門」へと至る。
重要文化財に指定されている御影堂門は、車の行き交う国道1号線に面して「阿弥陀堂門(重文)」と並んで建てられているのも京都の街ならではの光景といえます。
2つの門から入るとそれぞれ「御影堂」「阿弥陀堂」が正面にある境内となり、2つの堂宇ともに長い屋根の巨大な建築物が並び、真宗寺院にお参りするある意味での安堵感を感じてしまう。
御影堂の前には「本願寺のイチョウ」と呼ばれる独特の形状をしたイチョウの巨樹がありました。
「本願寺のイチョウ」は幹周6.5m、樹高7mで推定樹齢が400年以上とされており、根っこを天に広げたような形から「逆さ銀杏」と呼ばれたり、大火の際にも生き抜いてきたことから「水吹き銀杏」と呼ばれたりするといいます。
後方にある御影堂が東西48m、南北62m、高さ29mという巨大な建築物ですから、その枝の広がりに驚かされるとともに、こんな形のイチョウがあるのは初めて見ることになりました。
幹も見る角度によってそれぞれ別の姿を見せてくれ、その力強さに圧倒されます。
枝には新芽が出てきていますが、幹の部分だけを見るとまるで巨石のような印象さえ受けてしまします。
西本願寺の「阿弥陀堂」「経蔵」の近くにはもう1本イチョウの巨樹があり、こちらは京都市指定保存樹の指定を受けています。(「本願寺のイチョウ」は京都市指定天然記念物)
剪定されてはいますが、幹周4m、樹高16.5mとされるイチョウは防火樹としての役割を果たしており、境内には他にもイチョウの樹が見受けられました。
「阿弥陀堂」前のイチョウには気根が垂れて「イチョウの乳」のようなものが数個見れれます。
樹齢は不明なものの、老木の部類に入る乳銀杏の樹といえるのではないでしょうか。
境内を一回りした後、まず「御影堂」へ上がらせてもらってお参りさせていただきます。
「御影堂」は1636年に再建され、国宝に指定されている建築物で、他の宗旨では“みえいどう”と呼ぶのに対して西本願寺では“ごえいどう”と読む。
浄土真宗独特の言葉としては、他の宗旨での“檀家”“信徒”に相当する言葉として“門徒”という呼び方をするといいます。
御影堂に入った瞬間に圧倒されるのは中の広さで、外陣が441畳・内陣は270畳ととてつもない広さがあり、外陣だけでも1200人の門徒が収容できるといいます。
また、装飾の美しさも見事なもので、真宗寺院特有の荘厳さがあります。
内陣・外陣に人が多いなぁと思いながら座ると間もなく、数名の僧侶の方が出てこられて法要が始まりました。
これも何かの縁かと思い、そのままお経を聞き、法話まで聞かせていただくことになりました。
日常の言葉や考え方とは違う仏さまの言葉が聞けたのは何かの巡り合わせの縁だったのかもしれないと手を合わせる。
「御影堂」と「阿弥陀堂」の間は渡り廊下でつながっており、風通しの良い広い廊下を心地よく歩く。
リーフレットに“渡り廊下で龍を探そう”とありましたので、さて龍はどこに?と探してみるといましたよ。
御影堂や阿弥陀堂の縁側や廊下には「埋め木」という遊び心のある細工があり、これは廊下の節穴や亀裂を修復する時にいろいろな形の埋め木をしたものだそうで、至る所に見られます。
こういった大らかさは庶民に広く受け入れられた真宗ならではの感覚なのかもしれません。
探しかけるとキリがないほどたくさんの埋め木が施されていますので、何度も立ち止まって埋め木を見ることになります。
立ち止まりながら足元を見直すというのは緩やかな形の教えなのかとの拡大解釈も出来ます。
西本願寺では建築物の改修工事が行われており、「阿弥陀堂」の内陣や「唐門」は工事中で、国宝や重要文化財の建築物が揃う西本願寺ですから、修復工事も大規模なことになるようです。
変わらないのは、1636年の再建時に作られたという御影堂の天水受けを四隅で支える邪鬼でしょうか。
御影堂門から境内を出て、堀川通りをわたった先には「総門」があり、そこから先には仏具店・仏壇店・表具店・お香屋などの老舗が軒を連ねる門前町が続きます。
この門前町は、かつては京都の町とは違う行政組織の「寺内町」だったといいい、その通りにはなんともモダンな「本願寺伝道院(重文)」が異彩を放っています。
伝道院は1895年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられ、現在は浄土真宗本願寺派の僧侶の布教・研修の道場となっているといいます。
建築のコンセプトは“石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること”とされています。
西本願寺のすぐ前には「龍谷ミュージアム」があり、京都駅に向かって歩く途中には「東本願寺」が見える。
京都駅ビルの「ジェイアール京都伊勢丹」には、美術館「えき」KYOTOもありますので、“東本願寺参拝とアートミュージアム巡り”の歩き旅に再訪したいところです。
車では何度も前をとおっていたにも関わらず、参拝していなかったのは不思議なくらいですが、所用で京都を訪れた時に京都駅で時間が出来ましたので新幹線の時間調整と称して参拝してきました。
浄土真宗は鎌倉期に親鸞聖人によって開かれ、室町期に蓮如上人によって発展したとされますが、勢力を持つに従って権力者との対立を招いて本拠地を転々とすることになったといいます。
「西本願寺」が秀吉の政策によって京都六条堀川に移ったのは1591年、「東本願寺」が家康の宗教政策によって烏丸七条に寺地を寄進されたのが1602年、以降東西の本願寺が分立し現在に至るといいます。
京都駅から歩いて行くと巨大な寺院が見えてきますが、そちらは真宗興正派の本山の「興正寺」。
西本願寺に隣接しており、そのまま進むと西本願寺の「御影堂門」へと至る。
重要文化財に指定されている御影堂門は、車の行き交う国道1号線に面して「阿弥陀堂門(重文)」と並んで建てられているのも京都の街ならではの光景といえます。
2つの門から入るとそれぞれ「御影堂」「阿弥陀堂」が正面にある境内となり、2つの堂宇ともに長い屋根の巨大な建築物が並び、真宗寺院にお参りするある意味での安堵感を感じてしまう。
御影堂の前には「本願寺のイチョウ」と呼ばれる独特の形状をしたイチョウの巨樹がありました。
「本願寺のイチョウ」は幹周6.5m、樹高7mで推定樹齢が400年以上とされており、根っこを天に広げたような形から「逆さ銀杏」と呼ばれたり、大火の際にも生き抜いてきたことから「水吹き銀杏」と呼ばれたりするといいます。
後方にある御影堂が東西48m、南北62m、高さ29mという巨大な建築物ですから、その枝の広がりに驚かされるとともに、こんな形のイチョウがあるのは初めて見ることになりました。
幹も見る角度によってそれぞれ別の姿を見せてくれ、その力強さに圧倒されます。
枝には新芽が出てきていますが、幹の部分だけを見るとまるで巨石のような印象さえ受けてしまします。
西本願寺の「阿弥陀堂」「経蔵」の近くにはもう1本イチョウの巨樹があり、こちらは京都市指定保存樹の指定を受けています。(「本願寺のイチョウ」は京都市指定天然記念物)
剪定されてはいますが、幹周4m、樹高16.5mとされるイチョウは防火樹としての役割を果たしており、境内には他にもイチョウの樹が見受けられました。
「阿弥陀堂」前のイチョウには気根が垂れて「イチョウの乳」のようなものが数個見れれます。
樹齢は不明なものの、老木の部類に入る乳銀杏の樹といえるのではないでしょうか。
境内を一回りした後、まず「御影堂」へ上がらせてもらってお参りさせていただきます。
「御影堂」は1636年に再建され、国宝に指定されている建築物で、他の宗旨では“みえいどう”と呼ぶのに対して西本願寺では“ごえいどう”と読む。
浄土真宗独特の言葉としては、他の宗旨での“檀家”“信徒”に相当する言葉として“門徒”という呼び方をするといいます。
御影堂に入った瞬間に圧倒されるのは中の広さで、外陣が441畳・内陣は270畳ととてつもない広さがあり、外陣だけでも1200人の門徒が収容できるといいます。
また、装飾の美しさも見事なもので、真宗寺院特有の荘厳さがあります。
内陣・外陣に人が多いなぁと思いながら座ると間もなく、数名の僧侶の方が出てこられて法要が始まりました。
これも何かの縁かと思い、そのままお経を聞き、法話まで聞かせていただくことになりました。
日常の言葉や考え方とは違う仏さまの言葉が聞けたのは何かの巡り合わせの縁だったのかもしれないと手を合わせる。
「御影堂」と「阿弥陀堂」の間は渡り廊下でつながっており、風通しの良い広い廊下を心地よく歩く。
リーフレットに“渡り廊下で龍を探そう”とありましたので、さて龍はどこに?と探してみるといましたよ。
御影堂や阿弥陀堂の縁側や廊下には「埋め木」という遊び心のある細工があり、これは廊下の節穴や亀裂を修復する時にいろいろな形の埋め木をしたものだそうで、至る所に見られます。
こういった大らかさは庶民に広く受け入れられた真宗ならではの感覚なのかもしれません。
探しかけるとキリがないほどたくさんの埋め木が施されていますので、何度も立ち止まって埋め木を見ることになります。
立ち止まりながら足元を見直すというのは緩やかな形の教えなのかとの拡大解釈も出来ます。
西本願寺では建築物の改修工事が行われており、「阿弥陀堂」の内陣や「唐門」は工事中で、国宝や重要文化財の建築物が揃う西本願寺ですから、修復工事も大規模なことになるようです。
変わらないのは、1636年の再建時に作られたという御影堂の天水受けを四隅で支える邪鬼でしょうか。
御影堂門から境内を出て、堀川通りをわたった先には「総門」があり、そこから先には仏具店・仏壇店・表具店・お香屋などの老舗が軒を連ねる門前町が続きます。
この門前町は、かつては京都の町とは違う行政組織の「寺内町」だったといいい、その通りにはなんともモダンな「本願寺伝道院(重文)」が異彩を放っています。
伝道院は1895年に真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられ、現在は浄土真宗本願寺派の僧侶の布教・研修の道場となっているといいます。
建築のコンセプトは“石材や鉄に依存しつつも欧化でも和洋折衷でもなく、日本建築の木造伝統を進化させること”とされています。
西本願寺のすぐ前には「龍谷ミュージアム」があり、京都駅に向かって歩く途中には「東本願寺」が見える。
京都駅ビルの「ジェイアール京都伊勢丹」には、美術館「えき」KYOTOもありますので、“東本願寺参拝とアートミュージアム巡り”の歩き旅に再訪したいところです。
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