琵琶湖の湖西・高島市安曇川町に「上古賀の一本杉」という荒々しくも奇妙な形をしたスギの巨樹があると聞きますが、何とそのスギは陸上自衛隊の演習場の中にあるといいます。
演習場での訓練では迫撃砲や機関銃・銃などを使用しての実射が行われるといい、一般的な日本人の日常生活とはかけ離れた世界がそこにはあるようです。
自衛隊の演習など見たことのない当方が思い描けるとしたら、その光景は映画の一シーンかドキュメンタリーの世界としてしか想像できないでしょう。
演習が行われる日は途中の山道に検問が設けられて立入禁止になり、演習のない日は入れるとはいえ、そういう場所に足を踏み入れるのは経験したことのない違和感を感じてしまいます。
集落の外れの田園地帯に古めかしい行先看板でおおよその方向は分かったものの、演習場への案内板などあろうはずもなく、周囲を何周もうろうろするばかり。
誰か地元の人に聞こうにも人の姿は見当たらず、出会うのは猿ばかり。やむなくそれらしい細い山道へ入ってみる。
少し進むと自衛隊の無人の検問所があり、どうやらこの道で間違いなさそうと思う反面、未舗装の道路に難儀する。
どれだけ進んで行ったらいいのか不安を感じつつ進むと、突然「上古賀の一本杉」が見えてきました。
遠目に見ても他に類を見ないような荒々しくも奇妙な姿に思わず。息を吞むことになりました。
このスギは主幹は上方へ向かって伸びているものの、太い2本の支幹が一旦地に這うように横に伸び、再び上方へ向かって伸びています。
主幹は上部でさらに分岐し、支幹と同じように一旦曲がりながらも上方へ伸びています。
「上古賀の一本杉」の主幹の幹周りは5.6mとされ、左右の支幹もそれぞれ3m以上ある巨樹です。
樹高は20m以上はあり、伝承の樹齢は600年ほどだという。
支幹や分岐した枝の上部に苔が生えているのもこのスギを味わい深いものとしており、この場所の湿気の多さが伺えます。
まさに荒々しく猛る神の姿とでもいうべき威圧感があり、植林されたスギ林の中で、一本だけが残されてきたのはある種の信仰のようなものがあったのでしょう。
神は万物に宿るという日本人独特の信仰の中でも、山や巨樹・磐座などに特に崇敬の念を抱くのは、それらを神の依り代として捉える独特の感性なのかと思います。
一本杉を別の方向から見ると、少し様相が異なり巨大な釣り針のような姿に見えます。
角度的には入口側から見る方が迫力があるように思います。
「上古賀の一本杉」を荒々しく猛る...と書きましたが、この樹の興味深いところは正面から見ると奇妙としか言いようのない姿をしていることでしょう。
どう感じるかは人それぞれとは思いますが、女性が足を開けて座っているように見えないでしょうか?
見ている方が少し気恥しく感じてしまうほど女性的な姿に見えます。
左側から見る姿は荒々しい男性的な姿。正面から見ると女性的な姿。
雌雄両方を兼ね備えたような姿がこの樹の最大の魅力なんだと思います。
しかも左右の支幹の分かれ目のところには小さな祠が祀られています。
この何とも不思議な巨樹は高島市の天然記念物に指定されているといいます。
尚、このスギには「一本杉と弘法大師」という昔話があり...
《昔、弘法大師・空海が朽木の途中に行こうとして、ここ(一ノ瀬谷の入口)でお昼の弁当を開き、道のそばの杉の枝を折って箸にし、食べ終って、その箸を地面に挿したところ、その箸が杉の木になった。
杉の木は、ぐんぐん大きくなって、上古賀の一本杉と言われるようになり、饗庭野への道しるべとなりました。》
弘法大師の伝説は実に多いですね。
<熊野神社>
「上古賀の一本杉」へと進む山道の入口近く饗庭野台地の南麓に「熊野神社」があり、参拝してから帰ることに致しました。
まず驚くのは立派な社殿のある神社でありながら、入口が獣害防止のために閉鎖されていたことです。
山で祠や磐座への道が柵で囲われていることはありますが、熊野神社の柵の中には参道・拝殿・本殿・7社の境内社がある立派な神社です。
「熊野神社」の御祭神は、「伊邪那岐命」「伊邪那美命」の2柱で創祀年代は不詳なものの、弘仁十四年(823年)の再建だとされています。
江戸時代には「白山宮」と称していたそうですが、明治以降は「熊野神社」となったようです。
また、「熊野神社」はかつて熊野山(饗庭野丘陵)にあったとされていますが、自衛隊演習場になっているため、遙拝所であった上古賀の「熊野神社」と今津町にあるという「熊野神社」の2つが残るといいます。
参道には鬱蒼とした森があり薄暗いのですが、参道を抜けた先には境内が開けて拝殿が見えます。
境内には山から流れ出る清水が流れており、寒さも相まって身が引き締まります。
寒いのもそのはずで、本殿前の石畳の部分には解けなかった雪が残っています。
本殿は近年修復されたのでしょう、真新しい色をした部材を使った部分があります。
雪を踏みしめながら参拝しましたが、雪は固まっていて足を取られることはない。
本堂の左側には7つの境内社が並びます。
「住吉神社」「神明神社」「春日神社」「甲州神社」「飯綱神社」、一段屋根が高いのが「愛宕神社」と「天満宮」。
境内には砂利が敷かれてよく整備されていますので、獣害除けの柵の中にいるとはとても思えません。
本堂の修復部分に掛けられた龍の彫り物もなかなか見事なものです。
おそらく氏子さんたちによって、段階的に改修されていっているのでしょう。
信仰深い山里でありながらも、その山の中には自衛隊の演習場があるというのはかなり特殊な一帯という印象を強く受けます。
逆に言えば、特殊な環境の中にあってこそ守れれてきた巨樹の1本という言い方も出来るかもしれません。
演習場での訓練では迫撃砲や機関銃・銃などを使用しての実射が行われるといい、一般的な日本人の日常生活とはかけ離れた世界がそこにはあるようです。
自衛隊の演習など見たことのない当方が思い描けるとしたら、その光景は映画の一シーンかドキュメンタリーの世界としてしか想像できないでしょう。
演習が行われる日は途中の山道に検問が設けられて立入禁止になり、演習のない日は入れるとはいえ、そういう場所に足を踏み入れるのは経験したことのない違和感を感じてしまいます。
集落の外れの田園地帯に古めかしい行先看板でおおよその方向は分かったものの、演習場への案内板などあろうはずもなく、周囲を何周もうろうろするばかり。
誰か地元の人に聞こうにも人の姿は見当たらず、出会うのは猿ばかり。やむなくそれらしい細い山道へ入ってみる。
少し進むと自衛隊の無人の検問所があり、どうやらこの道で間違いなさそうと思う反面、未舗装の道路に難儀する。
どれだけ進んで行ったらいいのか不安を感じつつ進むと、突然「上古賀の一本杉」が見えてきました。
遠目に見ても他に類を見ないような荒々しくも奇妙な姿に思わず。息を吞むことになりました。
このスギは主幹は上方へ向かって伸びているものの、太い2本の支幹が一旦地に這うように横に伸び、再び上方へ向かって伸びています。
主幹は上部でさらに分岐し、支幹と同じように一旦曲がりながらも上方へ伸びています。
「上古賀の一本杉」の主幹の幹周りは5.6mとされ、左右の支幹もそれぞれ3m以上ある巨樹です。
樹高は20m以上はあり、伝承の樹齢は600年ほどだという。
支幹や分岐した枝の上部に苔が生えているのもこのスギを味わい深いものとしており、この場所の湿気の多さが伺えます。
まさに荒々しく猛る神の姿とでもいうべき威圧感があり、植林されたスギ林の中で、一本だけが残されてきたのはある種の信仰のようなものがあったのでしょう。
神は万物に宿るという日本人独特の信仰の中でも、山や巨樹・磐座などに特に崇敬の念を抱くのは、それらを神の依り代として捉える独特の感性なのかと思います。
一本杉を別の方向から見ると、少し様相が異なり巨大な釣り針のような姿に見えます。
角度的には入口側から見る方が迫力があるように思います。
「上古賀の一本杉」を荒々しく猛る...と書きましたが、この樹の興味深いところは正面から見ると奇妙としか言いようのない姿をしていることでしょう。
どう感じるかは人それぞれとは思いますが、女性が足を開けて座っているように見えないでしょうか?
見ている方が少し気恥しく感じてしまうほど女性的な姿に見えます。
左側から見る姿は荒々しい男性的な姿。正面から見ると女性的な姿。
雌雄両方を兼ね備えたような姿がこの樹の最大の魅力なんだと思います。
しかも左右の支幹の分かれ目のところには小さな祠が祀られています。
この何とも不思議な巨樹は高島市の天然記念物に指定されているといいます。
尚、このスギには「一本杉と弘法大師」という昔話があり...
《昔、弘法大師・空海が朽木の途中に行こうとして、ここ(一ノ瀬谷の入口)でお昼の弁当を開き、道のそばの杉の枝を折って箸にし、食べ終って、その箸を地面に挿したところ、その箸が杉の木になった。
杉の木は、ぐんぐん大きくなって、上古賀の一本杉と言われるようになり、饗庭野への道しるべとなりました。》
弘法大師の伝説は実に多いですね。
<熊野神社>
「上古賀の一本杉」へと進む山道の入口近く饗庭野台地の南麓に「熊野神社」があり、参拝してから帰ることに致しました。
まず驚くのは立派な社殿のある神社でありながら、入口が獣害防止のために閉鎖されていたことです。
山で祠や磐座への道が柵で囲われていることはありますが、熊野神社の柵の中には参道・拝殿・本殿・7社の境内社がある立派な神社です。
「熊野神社」の御祭神は、「伊邪那岐命」「伊邪那美命」の2柱で創祀年代は不詳なものの、弘仁十四年(823年)の再建だとされています。
江戸時代には「白山宮」と称していたそうですが、明治以降は「熊野神社」となったようです。
また、「熊野神社」はかつて熊野山(饗庭野丘陵)にあったとされていますが、自衛隊演習場になっているため、遙拝所であった上古賀の「熊野神社」と今津町にあるという「熊野神社」の2つが残るといいます。
参道には鬱蒼とした森があり薄暗いのですが、参道を抜けた先には境内が開けて拝殿が見えます。
境内には山から流れ出る清水が流れており、寒さも相まって身が引き締まります。
寒いのもそのはずで、本殿前の石畳の部分には解けなかった雪が残っています。
本殿は近年修復されたのでしょう、真新しい色をした部材を使った部分があります。
雪を踏みしめながら参拝しましたが、雪は固まっていて足を取られることはない。
本堂の左側には7つの境内社が並びます。
「住吉神社」「神明神社」「春日神社」「甲州神社」「飯綱神社」、一段屋根が高いのが「愛宕神社」と「天満宮」。
境内には砂利が敷かれてよく整備されていますので、獣害除けの柵の中にいるとはとても思えません。
本堂の修復部分に掛けられた龍の彫り物もなかなか見事なものです。
おそらく氏子さんたちによって、段階的に改修されていっているのでしょう。
信仰深い山里でありながらも、その山の中には自衛隊の演習場があるというのはかなり特殊な一帯という印象を強く受けます。
逆に言えば、特殊な環境の中にあってこそ守れれてきた巨樹の1本という言い方も出来るかもしれません。
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